文/山東省の大法弟子
【明慧日本2017年1月17日】私は中国東北部の山村に生まれました。私は物心ついてから1日として良い日を過ごしたことはありませんでした。両親は毎日喧嘩をしていました。一度、父は台所用の包丁を母に向けたことがあります。両親は私達姉妹を殴る時、残酷で容赦ありませんでした。私達が熟睡している時、布団を捲って、靴で顔を殴りました。妹は耳を打たれて長い間、音が聞こえませんでした。姉は怖れて癲癇を発症しました。弟は生れ付きの知的障害児です。父はまた近所の人や同僚と頻繁に喧嘩をしていました。私達4人の子供は毎日恐怖の中で過ごしていました。
我が家はとても貧乏でした。私が小さい頃、両親とも重い病気を患っていました。家に少しでも良いものがあれば、父はいつも私達が眠った後に食べてしまいました。私が7、8歳の頃、ある日友達の家に遊びに行きました。友達のお父さんが子供の食べ残したクッキーを戸棚に置いて出て行くのを見ました。私は食べたくて我慢できず、取ろうとした時、ちょうどお父さんに見られてしまって、叱られました。それ以後、私は人からよく「泥棒」と罵られるようになりました。
私達姉妹はいつも他の子供達にいじめられ、姉と弟には知的障害があり、もっと激しくいじめられました。弟がもう少し成長した頃、よく他の人に牛の世話をするよう強要されました。行かなければ殴られました。ある時、弟は深さ2、3メートルの野菜の貯蔵庫に入れられ、蓋をされてしまいました。
私は長期にわたり、恐怖と貧困の中で生活し、とても強い劣等感があり、苦痛でした。
天上の神のご降臨を期待
ある日、私は新聞で実際にあった話が掲載されているのを読みました、「腰が90度に曲がったおばあさんが毎日軒下に座っていました。ある日、突然大雨が降り出し、雷鳴が轟き始めました。おばあさんは行動が遅く、家の中に戻るのが間に合わず、怖くて失神してしまいました。気がついて起き上がると、直角に曲がっていた腰が治り、まっ直ぐになっていました」
読み終わってから「これは神様に救われたのではないか?」と私は思いました。
それ以後、私はずっと天上の神様が苦しみから救ってくださるのを期待していました。しかし、学校では先生から無神論を教わりました。
私は18歳の年に、東北部を離れて山東省に来ました。24歳で結婚し、そして子供を産みました。しかし、出産して1カ月後、思いがけず重い関節リウマチを発症しました。日常生活はすべて夫と義母に面倒を見てもらい、階段の上下は夫に背負ってもらわなければなりませんでした。夫は私を背負ってあちこちへ連れて行き、治療しましたが、全く効果がありませんでした。100種類以上の漢方薬を飲んでも病気は治らず、胃を悪くして、いつも痛みがありました。
私はまた大仙人など民間の療法師にも治療してもらいましたが、病気はますます重くなりました。私は精神的につぶれる寸前でした。幼い頃から1日として良い日を過ごしたことがありません。やっと少し希望が見え始めたのに、またこの病気になってしまいました。絶え間ない痛みで毎日涙が止まらず、私はもう生きていたいとは思いませんでした。苦しみながら3年経ちました。私は五台山の寺院で帰依しようと決意しました。
師父は苦難から救ってくださった
同僚が1996年10月、法輪功を学ぶと、病気が消え、健康になると教えてくれました。多くのがん患者が法輪功を修煉してから病気が治ったそうです。同僚は1冊の本を貸してくれ、先ずそれを読むようにと言いました。
その本『轉法輪』を開くと、まず「佛法」の2文字が目に入りました。これは私がずっと探し求めていたものだと思いました。しかし、私はまた考えました。「小さい頃から、我が家は軽蔑され、私自身も軽蔑され、良いことが全くありませんでした。学校で優等生と認められても、先生は他の同級生に譲らせました。会社で『先進生産者』と認められても、上司は他の同僚に譲らせました。
法輪功の師父は私を本当に相手にしてくださるでしょうか?」。私に大法を紹介してくれた同僚は「大法の師父は貧富や社会的地位も問わず、大法を学びたければ、師父は必ず構ってくださる」と言いました。
私は病気を治したい一心で、法輪功の修煉を始めました。
同僚と一緒に4日間煉功しただけで、3年間浮腫んでいた足はすぐに腫れが引いて、自由自在に行動することができようになりました。その時、私は本当に師父が構ってくださったのが信じられず、とても嬉しく、興奮しました。私は五台山で帰依するのをやめて、大法の師父に従って、法輪大法を修煉しようと決意しました。
私が修煉して1年が過ぎたある時、4歳の息子が自宅の3階のマンションのベランダから転落しました。しかし、少しの傷さえありませんでした。息子は「師父が受け止めてくださるのを見た。僕は孫悟空のように空中でとんぼ返りをした」と言いました。
大法の師父のご恩に対し、それはあまりにも大きくて、私は永遠にお返しすることができません。
善良な同僚が師父に感謝
江澤民派は1999年7.20、法輪功と大法弟子への迫害を開始し、師父を誹謗し、中国全土は一時、真っ黒な雲に覆われました。2000年、私は数人の同修と一緒に北京の信訪局へ行き、法輪大法を修煉後、心身ともに健康になった体験文章を提出しました。しかし、私は地方政府の北京駐在事務所に拘束され、その後、また地方の公安局へ移され、留置場に15日間、拘留されました。解放されて出社すると、私は会社から処罰されました。仕事中、現場の責任者は同僚の1人に私を監視させ、私の行動を注意させました。
私を監視する同僚はとても善良な人でした。彼女は上司に「法輪功は確かに素晴らしいです。そうでなければ、大勢の人が北京に行き、法輪功は公正だと言うでしょうか、どうして共産党が素晴らしいと言う人がいないのでしょうか?」と言いました。
この同僚は結婚して数年経っても子供ができず、とても焦っていました。私は彼女に「知り合いの大法弟子は結婚して9年間も子供ができず、法輪大法を修煉してから全ての病気がなくなり、また可愛いい娘が生まれました」と話しました。
同僚はそれを聞いて法輪功を修煉したいと言い、私は彼女に煉功の動作を教えてあげました。まだ5式の功法全てを教える前に、私は彼女が妊娠した夢を見ました。彼女はすぐ病院で検査して、本当に妊娠していました! 男の子を出産しました。同僚は師父に子供を授けていただいたことをとても感謝しました。
師父の教えに従い、私利心を放下
私が大法を修煉して間もない頃、義母が市内に家を買いたいので、2人の息子にお金を半分ずつ出してもらいたいと尋ねて来ました。義母夫婦が亡くなったら、家を2人の息子で半分ずつ分けると言われました。義姉は私に「うちは渡すお金がないので、義母が亡くなった後、家をもらうつもりはない」と言いました。
夫はあっちこっちでお金を借りて、3分の2のお金を義母に渡して家を買いました。義父は私達が3分の2のお金を出さなければこの家を買えなかったので、この家を私達夫婦のものだと言ってくれました。残念ながら、義父は新居に引っ越しするまで待てず、亡くなりました。
義父の葬式前に、義姉は息子が結婚するため、あの家を買いたいと言い出しました。その時、あの家の価格は買った時より数倍も高く、買った時にお金を出さなかったのに、私達が義母に渡した金額で買い取ると言いました。義父の葬式費用も全く出さず、全て私達と義妹が出しました。
その後、義姉は義母から不動産証書を奪い取り、勝手に新居に住み込み、そして義母の同意なしに義母がまだ住んでいた家を売り、義母を家から追い出し、あの家は自分達が出資して建てたと言いました。
私は夫と私の会社の社宅を借りて義母に住まわせました。義母が入院し、義兄はお金を全く出さず「今はお金がないので、後で返す」と言いましたが、7、8年も経ちましたが、義母の入院費用のことは二度と言い出すことはありませんでした。
もし、私が大法を修煉していなければ、義姉ととことん戦い、絶対に二度と付き合っていないと思います。大法を修煉したので、何事に遭遇しても心は穏やかですが、たまに内心で不満に思うこともあります。しかし、そういう時、法輪大法の法理、師父のご教示が耳元に響き、次第に「真・善・忍」に同化します。
法輪大法は私の劣等感と暗い心を払拭し、今、光と希望で満ち溢れています。師父の恩恵は無限で、言い尽くせません。私はしっかりと師父に従って、私達の元の家に必ず戻ります。