長春で師父の説法を聞いた喜びは今なお心に残る
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文/長春市の大法弟子

 明慧日本2019年1月11日】

 私は23歳で法輪大法の修煉を始め、すでに二十数年が経ちました。1993年6月19日、私は幸いにも吉林省委員会の大講堂で催された長春市第三期法輪功講習会に参加して、師父の説法を聞くことができました。その時の私はまだこれこそが二十数年間、ずっと待ち望んでいたものだとは知りませんでした。

 省委員会の大講堂に入った時、私の心は穏やかで和やかでした。友人が私のために予め席を用意してくれていました。その席は前から10列目以内でした。座ったとき、私は自分の願いが叶ったような感覚を覚えました。私は背中で何かが動いていると感じ、誰かが椅子を揺るがしてないか確認し、周りを見回しました。しかし、左右と後ろで誰も私の椅子に触れた人はいませんでした。そこでこれは自分の体の中で何かが回転していると確信しました。一緒に来た人に「背中で何かが動き、回転しているように感じますが」と言うと、雲というおばさんが「法輪が回転しているよ、師父があなたに法輪を植えつけてくださいましたよ」。それを聞いた私は師父がまだいらっしゃっていないのに、誰が法輪を植えつけたのかと、不思議に思いました。

 待っている間、大気功師だからパリッとしたスーツを着て、きっと大金持ちで威張っているに違いないと、私は師父の姿を想像しました。

 大講堂には秩序を維持する人はおらず、誰も静かにするように要求していませんでしたが、皆とても静かで、すべては強大で慈悲なるエネルギーに制御されていました。騒がしく話す人も、勝手に歩く人も、ペラペラと休む暇なく話す人もおらず、タバコを吸う人はなおさらいませんでした。全ての人は和やかで、慈悲なるエネルギーに包まれて静かに師父が来られるのを待っていました。

 皆が期待している中で、師父が演壇に上がられました。師父は白の半袖シャツを着ておられました。ズボンや革のサンダルは古くなってはいましたがよく磨かれていました。そのこうごうしいお姿は人の魂にまで触れるほどでした。私は心の中で驚きました。世間にいながら世間の穢(けが)れに染まらずといった感じでした。肌は比べ物にならないほどきれいで、漆黒の髪は20代の若者の様子で、身長が高く堂々とした体格で、尋常でない風格の持ち主のように見えました。そして、親切そうな慈悲のある笑みを浮かべておられました。

 師父はまず自己紹介をされた後、法輪功は歴代一人にしか伝えず、大昔からの佛家修煉大法であり、・・・と、法輪功を紹介されました。

 師父が説かれた初めての問題が法身のことでした。師父には無数の法身を持たれており、本人がまだ気づかないうちから、法身はすでにこの場にいる人の身体を調整し、縁のある人に法輪を植え付けたとおっしゃいました。これで私の謎は解けました。師父が私の体を整えられ、法輪を植え付けてくださったと分かりました。そして、師父は世界の謎の一部を解明してくださいました。あのバーミューダ海峡のトライアングルなどなど、それらは全部私が最も知りたがっていたものでした。私はこの時、師父は普通の人ではなく、超能力を持っておられる方ですべてを知っておられると思いました。

 師父の説法を聞いて私は、常人が永遠にわかるはずがないすべてがわかりました。そして、宇宙には法が存在し、それが「真・善・忍」であり、我々人類を含めた宇宙の万事万物は「真・善・忍」で構成されているのです。私は自分が病気にかかった真の原因、根本的な原因を見つけました。もし私が自分の心を変え、宇宙の特性「真・善・忍」に同化すると病気になった根本的な源を変えたことになり、すべてが正常な状態に戻ります。そこで「私は必ず返本帰真の道を歩み、自分の先天の本性に立ち戻り、宇宙の特性『真・善・忍』に同化する」と、私は決めました。

 師父の説かれたお言葉はすべてとても貴重なものでした。私は焦ってメモしようと思いましたがペンを持っていませんでした。ちょうどその時、「講義を聞くことに影響しますので、メモをとらないでください」と師父がおっしゃいました。私は飽くことなく、どの言葉も漏らしたくなく、忘れたくありませんでした。私は師父の言葉がすべて非常に強いエネルギーを持って絶えず、自分の頭に注ぎ込まれていることを感じ取りました。学生の時も先生の講義を聞く時には、頭を使って聞いたことを覚えていて非常に疲れました。しかし、師父の説法は非常に強いエネルギーを持って私の頭に注ぎ込まれており、私の生命の深い所まで注ぎ込まれていき、聞けば聞くほど体は楽になりました。

 10回の講義の中で、師父は何回も学習者のために体を調整してくださいました。まず私たちにしっかりと立ち、1、2種類の病を思い浮かべてからリラックスするようにおっしゃいました。そして師父は台の上にお立ちになり、手を高く上げられてからゆっくりと下へおろされました。私はよくない物質が頭から足元に押し出されていくように感じました。師父が手につかまれた時、私はそれが体の中からつかみ出されていくのを感じました。師父はそれを手につかみ取り、学習者に早く体を動かすように言われながら、ステージの端まで歩かれ、手の中にあったものを払い落とされました。ある日、師父は皆が煉功する時に長時間立っていると足首がとても痛くなるので、今日は足首のところの業力を消去しましょうとおっしゃいました。師父は同じ方法でされました。それからというもの、私は何時間立っていても足首が痛くなるようなことはありませんでした。

 師父が天目の問題について説法された時、私は大体6、7列目の真ん中の位置に座っていました。私は聞きながら、もしかして後で皆を立たせてから師父が手を動かして、皆の天目を開いてくださるのではないかと思いました。私は集中して講義を聞いていましたが、両眉の間が痒くなり思わずかきました。師父は慈悲深い目で私を見ながら「かかないでください。私が天目のことを話す時、皆さんの天目を開いて上げます」とおっしゃいました。そこで私はハッとしました。

 講習会の3日目に、私はいつも通りに30分前に省委員会の大講堂に着きました。しかし、正門の前には人がいっぱい集まっていました。人々は後れまいと先を争ってやって来ました。正門を守っていた弟子は危険なことが生じることを恐れて、正門を開きませんでした。師父がいらっしゃった後、多くの学習者と一緒に人を導き入れました。正門が開かれると人々は急いで中に向けて走り出しましたので、私も走りました。頭を上げて見たら、師父は廊下の向こう側に立たれて慈悲深く学習者を見守り、倒れないように見守っておられました。私は師父を見ながら、急いで師父の身辺へ走り寄りました。師父は説法の中でこの問題に言及されました。学習者は師父の説法を聞き修煉すると、大法に対してある程度の認識を持つようになり、このように我先へと人を押しのけて進むことはなくなるはずです、とおっしゃいました。それ以降、説法が始まる1時間前に正門が開くようになりました。

 毎日職場から帰ると夕食も食べずに、自転車に乗って説法を聞きに行きました。家から遠く、約1時間くらいかかりましたが、体が弱かった私にとっては想像することさえできませんでした。私は30分から1時間前に省委員会の大講堂に着いて、慈悲で和やかなエネルギー場の中に包まれて座っていました。悪いことは何も考えず、良いことも思い出せず、思惟は静止したようで、内心は落ち着いて穏やかでした。講義は3時間ほど続きましたが、家に帰ってからもお腹が空いた感じはしませんでした。

 師父は毎日2時間くらい説法されてから、10分間休憩され、それから動作を教えてくださいました。1人の学習者が演壇で煉功動作の手本を示し、師父は功法の要点を説明されました。人が多すぎでやっと煉功ができそうな場所を見つけましたが、突然私の前に1人のおばさんが割り込んで来て、私の立っていた位置に立ちました。しかも謝る気も一切ありませんでした。私は腹が立ちましたが師父の教えてくださった「真・善・忍」の基準で自分を律するべきだと思い出しました。ここで人を怒ることは正しくないと分かって、自分をおさえて腹を立てませんでした。しかし何かが胸元を塞いでいるようで取り除くこともできず、胸の内で悶々(もんもん)としていました。その時、向こうの方から慈悲深いエネルギーが私の心に注ぎ込まれてきて、塞いでいたものがアッという間になくなりました。

 省委員会の大講堂は前から4列目までVIP席だとラベルが貼られていました。これは主催者側が省と市の責任者達のために残しておいた席でした。中国共産党の役人達は師父を測定するために、多くの重病患者を連れて来て、師父に治療させようとしました。その中の1人の女性は4枚のCTフィルムを見せながら、興奮して話しました。彼女の母は癌を患っていて、もう末期になっていました。腫瘍は胸の部位にまで広がり、大きくなって気管支まで達して気管支が歪んでいました。師父による4回の治療を受け、毎回治療が終わったら患者を連れて、病院でCT検査を行い撮影しました。合わせて4回撮影しましたが、これも省と市の責任者たちの要求に従ったものです。4枚目のフィルムでは腫瘍が完全に消えて見えなくなりました。しかし腫瘍に押されて歪んだ気管支はまだそのままの状態で、ただ腫瘍だけがなくなっていました。この女性は大講堂の中の1000人を超える学習者に対して、もし疑うなら演壇まで来てCTフィルムが本物のかどうか確認してくださいと告げました。この女性は敬虔に錦の旗を師父に差し上げて、感謝の意を表しました。

 しかし、1999年この女性は中国共産党が捏造した「1400例」の一つの例として現れました。そこで彼女は自分があの時、演壇で皆の前で公に話したことを完全に否定しました。私はテレビで彼女の表情を注意して見ましたが、内心で恐れているのが見えました。彼女は中国共産党の人員に脅かされていたのに違いありません。しかし、あの4枚のCTフィルムについて、誰ひとりも触れる勇気はありませんでした。私があの時確かに見ていた歴史の証人です。

 私には他の空間が見えませんが、体の中に無数の法輪が強烈に回っていることを感じることはできます。身体の奥深いところから表面まで、服でさえ一緒に動いています。私は日中学校で授業をする時、手の上に法輪が回っていて、手に持っている紙さえ揺れ動いているのを感じます。

 ある日、私は講習会から帰ってから、「法輪椿法」を煉りました。私は腕が細くて毎回法輪を抱える時、一つの大山を挙げているようで非常に苦しくなって泣いてしまったことがあります。しかし私の求道の心、大法を修めたい心は非常に強かったのです。頭上で法輪を抱え、左のまぶたに一つの目が現れ、それもはっきりと見えて確かなものでした。『轉法輪』には「主通路以外に、両眉、まぶたの上・下、両目の間など幾つかのところに主要な副通路があります」と書かれています。私は修煉し始めたばかりで、大法に対する認識が浅く、「始めたばかりなのに、なぜこのような高い境地まで達したのか? なぜ副通路にまで目が現れたのか?」と、心の中で疑問に思いました。

 10日目、師父は学習者の質疑を回答してくださいました。私も心の中の疑問を聞きたかったのですが、旧勢力の妨げで書いた質問の意味がはっきりしませんでした。師父が私の書いた質問を読まれた時、まったく自分の聞きたい問題ではありませんでした。座席に座っていた私は心の中でずっと師父に謝りました。「師父、そんな意味で書いたのではありません。これは私が聞きたい問題ではありません」と、師父に私の謝罪の言葉が聞こえたらしく、メモした紙を注意深く見られていました。師父のこの一目で、弟子のどれくらいの悪いものが消去でされたのでしょうか?

 10日間の講習会はあっという間に終わりました。師父は非常に忙しくされており、全国各地で法を伝えられるスケジュールがきっちりと詰まっていました。長春での10日間の説法の次は、すぐ別の場所へ行かれて法を伝えられることになっていました。師父は来られるのも慌ただしく、他へ行かれるのも慌ただしくされていました。すぐに師父と離れなければならなくなって、心の中は大変辛くなりました。

 師父は、次に説法する場所でまだ準備ができていないため、長春で8日間多く留まることになったとおっしゃいました。そして長春で8日間の講習会を開くことになりました。また師父の説法を聞くことができるようになって、学習者は皆嬉しくてたまりませんでした。これはどれほど大きな縁でしょうか。大法の修煉に入ったばかりで、18日の説法を聞くなど、これは私にとって最も幸せで光栄な思い出です!

 学習者の人数が増えて、省委員会の大講堂にはもう入れきれなくなったので、8日間の講習会はあの大きな吉林大学の鳴放宮で開催されることになりました。

 鳴放宮での講習会の2日目に、師父は天目を開くことについて説法されました。今回、私は分かりました。師父は天目の問題について説法される時に、学習者の天目を開いてくださっていました。法輪は真正面から私の両眉の間のやや上に止まり回転しました。そして法輪は電気ドリルのように中に向けて回転しました。両眼球が肉の中に入り込もうという感じがしました。師父は『轉法輪』で「今、天目のことをお話ししている間、皆さんの額のところでぎゅっと肉が中心により、内側に入り込もうという感じがしたでしょう」とおっしゃいました。私も本当に前額に一つの通路が開かれるのが感じられ、法輪が強大な力で中に向けて回転しているのを体験しました。松果体の位置まで着くと、法輪は大きくなって絶えず回転しました。しばらくすると法輪は小さくなって通路から出て、私の前額の前で回転しました。そうして再び通路に向けて回転しました。このように絶えず繰り返して行っていました。

 師父は非常に苦労されていました。毎日2時間の説法の間、一口の水もお飲みにならず、その上、中休みの時は、楽屋で自ら人に病気治療を施されました。ある日説法が終わって脇門から出たところ、窓から見ると楽屋の中には人がいっぱいでした。師父はその後も自ら患者の病気を治しておられました。師父は非常に忙しく、非常に苦労されておられました。私は別れを惜しみながらそこを離れました。

 講習会のチケットの価格は全国で一番安く、新しい学習者は40元、古い学習者は20元でした。その時他の気功のチケットはというと、全部一律に100元以上受け取っていました。師父は生活の面でも非常に質素に慎ましくされており、省委員会の大講堂での講習会では毎日同じ白いシャツを着ておられました。その着ておられた白いシャツをいつも夜洗って、着ておられました。鳴放宮での講習会の時は、いつもごく普通の白い半袖シャツを着ておられました。チケットの収入はほとんどを主催側が徴収し、師父の手元にはわずかなお金しか残りませんでした。そこで分かりましたが、チケットの価格が低かった原因は、師父が自分がもらうべき報酬部分を切り詰めて少なくし、できるだけ学習者達に安いチケット価格にされていたからです。中国共産党は師父が財物を集めて、私腹を肥やすと誹謗していましたが、これらは全く根も葉もないあり得ない話です。師父には1億人以上の弟子がいますが、1人あたり1元を師父に差し出せば、師父は直ちに億万長者になり得ます。私も喜んで師父に差し上げますが、これはいともたやすいことです。しかし、師父は学習者からの金品は一切受け取らず、ただ弟子の大法を修煉したい心だけを望まれていました。そして、弟子たちが「真・善・忍」の宇宙の特性に同化して、返本帰真して良い人になり、良い人の中のさらに良い人になることしか望んでおられませんでした。

 師父は豪邸を持たず、私がかつて見たあの古ぼけた小さな家しかありませんでした。師父の家に行ったことのある学習者は、師父の家を見て本当に悲しくて涙が出たと皆言っていました。師父は清廉潔白で本当に偉大なお方で、大徳の士です。私はなぜ師父が世間の汚れに染まっておられないのか理解することができました。それは世間の汚れが貼り付こうとしても全くできないほど、清廉潔白なお方だからです! 

 1994年4月29日、師父は長春に戻られ、吉林大学の鳴放宮で法輪大法の講習会を開かれました。私は母親と友人1人を連れて師父の講義を聞きに行きました。鳴放宮内には空席が全くなく、外には外地から駆けつけた一部の学習者もいましたが、チケットはすでに売り切れたため購入できず、彼らは毎日師父の講義される会場の外で座禅をして、そこを離れようとしませんでした。

 私は今回が長春での最後の説法であると悟りませんでした。10日目に用事があって講義を聞きに行けませんでした。これは私にとって生涯で一番残念なことで、心の中で最も苦しくて、いくら悔やんでも悔やみきれないことでした。

 あれから二十数年が過ぎ去りましたが、この時期のことを振り返ってみると、次のようなことが私には分りました。師父はこれらのことを利用して、私や同修の皆さんに告げられています。機縁はずっとあるわけではなく、全てはとても早く過ぎ去っていくものです! 修煉者の皆さん、同修の皆さん、この万古の機縁を本当に大切にし、日々おこたりなく精進していきましょう!! 

 私は師父の教えをしっかりと覚え、「真・善・忍」の基準を持って自分に要求し、心性をしっかりと修めます。私は法を得た喜びと幸せに浸っていますが、これは私が成長する過程の中でかつて味わったことのない幸福感でした。私は長春で師父の説法をお聞きして、法輪功を修めていることで、ただこれだけの理由で中国共産党から酷く迫害され、不当に拘禁され、殴打され、公職を罷免(ひめん・免職)され、落ち着く自分の居場所さえも失いました。しかしそれでも、この法を得た喜びは、今でもはっきりと私の心にありありと残り、そして、今まで法を得た喜びを1日たりとも忘れたことはありません!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/6/373401.html)
 
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