文/アメリカの大法弟子
【明慧2019年5月30日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は1998年に法を得て、二十数年修煉してきました。以下の幾つかの方面から、今までの修煉体験を皆さんにご報告したいと思います。
一、法を得て、法を学ぶ
1998年7月、インターネットで師父の「北京『轉法輪』発売記念イベントでの説法」を読み終えた直後、私は「これは素晴らしい! 必ず『轉法輪』という本を見つけよう」と思いました。その日の夜、ある学習者の家で私は『轉法輪』を手にしました。家に帰って、一晩かけて本を読み終えた私は大興奮し、人生に対する全ての困惑について、本から回答を得ました。しかし、すぐには修煉を始めようとしませんでした。修煉するには、とても多くのものを放下しなければならないことが、当時の私には不可能に思えたからです。当時、私は全ての大法書籍と師父の説法ビデオを入手し、あらゆる時間を利用して学法したり、ビデオを見たりして、夕食後はすぐ師父の説法ビデオを見るのが日課でした。多くの説法は数十回繰り返し見ました。こうして2カ月ほど経った時、私もやっと修煉して、師父について家に帰ろうと決心しました。
師父は多くの説法の中で、大法弟子は必ず多く学法し、法をしっかり学ぶべきだと繰り返し、強調されています。弟子として私はそれを心に銘じ、学法する際もしばしば師父の深い法理に震撼しました。『轉法輪』の「業力の転化」にこのような一節があります。「もう一つの情況があります。つまり、家族の間や先祖からも蓄積されてくることがあるということです」[1] この一節は無数回読んできて、今までは「家族の間や先祖から」という部分は他人を指しており、自分とはあまり関係がないと感じていました。しかし、ある日の学法で、全然違う感覚を覚えました。法は私の修煉の次元におけるその真の内涵を以下のように見せてくれました。私たち大法弟子は皆、自分の宇宙大穹での王や主であり、自分の宇宙大穹という大家族の中での最高の先祖です。もし、私たちがしっかりしていなければ、自分の宇宙全体の一層一層の衆生に影響を与えてしまいます。この法理に深く震撼させられると共に、私は突然、自分が背負っている重荷がかつてないほど重いことを感じました。もし私たちがしっかり行なうことができなければ、師父に申し訳が立たず、大法に申し訳が立たず、私たち自身の大穹にいる無数の衆生にも申し訳が立ちません!! 本当にしっかりしなければ、いけないのです!!
法をよく理解し、師父の法を正す進展についていけるように、師父の新しい説法が発表される都度、私は自分に少なくとも10回読むように要求しています。多くの説法の中で、師父はほかの説法は全部『轉法輪』を解説しているとおっしゃっており、最初、私はあまり理解できませんでした。『二〇〇三年カナダバンクーバー法会での説法』にこのような一節があります。「形のある非常に高い次元において、三位一体はつまり、真体、真神と思惟なのです。こういう三位一体です」 更に、師父は大穹の高い次元から一層一層と人間の所まで下りて来られた全過程も説かれました。ある日突然、私はこの部分の説法はまさに『轉法輪』の次の一節を解説していると悟りました。 「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」 同時に、私は未来の新宇宙には「滅」が存在しない根本的な原因もぱっと分かりました。なぜなら、未来の新宇宙の全ての層には師父がいらっしゃるからです。
学法しながら、私はある最大の疑問をずっと抱いていました。師父が法を正すというこれほど大きなことを、なぜ私は『轉法輪』から読み取れないのでしょうか? ある日の学法で、師父はこの方面の法の内涵を見せてくださいました。『轉法輪』の中で、師父は人体の構造を詳細に説かれ、数カ所で「人体そのものが一つの小さな宇宙」だと説かれ、第七講で人の病気を治療することにおいて、異なる境地の治療方法、気功治療、漢方治療、西洋の治療方法、そして各種の民間療法があることを説かれました。もし、人体が小宇宙であれば、人体の病気を治すのは宇宙の病気を治すことではありませんか? 最高の次元からみれば、それは正に今日、師父が大法弟子を率いて宇宙の法を正し、大穹を救われていることではありませんか?
以前、新しい法理を悟る度に興奮していた私は今、淡々としていられるようになりました。なぜなら、法理を悟ることは良いことですが、着実に行動に移せるかどうかは、また別の話だということが分かったからです。『洪吟』の「着実に修める」の中で、師父はこのようにおっしゃっています。「事々対照し 做すところ到るは是修なり」[2] 往々にして、高い法理を悟っても、着実になすことはあまりにも難しいのです。もちろん、法理を悟ることができなければ、なすことも根本から不可能です。私が思うには、日常生活の中で、異なる次元における法の私たちに対する要求に達することができれば、それが真の着実な修煉なのです。
二、新唐人に参加して、弛まず頑張る
2001年、師父の指導の下で、大法弟子たちは新唐人テレビを立ち上げました。一度目の放映から、私はスポーツ番組の制作に加わりました。常人の頃、私はスポーツに非常に執着していましたが、修煉後、それを放棄しました。執着していたものが新唐人で活用されるとは夢にも思いませんでした。仕事をしていくうち、私は真相を伝える番組に携わる同修を羨ましく思い、スポーツ番組では衆生を救うことができず、さらに製作するには毎週数十時間もかかり、時間の無駄だと感じていました。師父は『アジア太平洋地区学習者会議での説法』の中で、このように仰っています。「特に皆さんが救い済度しようとしているのは常人社会の衆生なので、常人社会に更に近づかなければなりません。常人社会の人々が皆さんのマスコミを好んで見るようになってはじめて、より良い効果を収めることができるのです」[3] この経文を読んで私はやっと心が落ち着きました。
ある日、座禅中に、急にある一幕が私の目の前に現れました。それは未来のある日、師父が新唐人テレビを通じて全世界の全ての衆生に説法される場面でした。そこで私が思ったのは、将来真相が明らかになって、世人の誰もが大法と師父を知る時、もしかして、師父も別の形式で、例えばテレビと言う形式を通じで説法されるかもしれません。そこで、私は新唐人番組に携わることの意義を深く感じ、「今後、どんな困難にぶつかっても、必ず最後まで新唐人をやり遂げ、絶対に途中で投げ出しません」と師父に誓いを立てました。
誓いを立てるのは簡単ですが、実行するのはそう簡単ではありませんでした。私達の大型法会が開かれるのはたいてい週末ですが、世界各種の重大なスポーツの試合も週末に行なわれ、それは私が番組を出す時間帯でもあります。仕事の性質上、事前準備ができないので、毎回の法会の期間中に、私はよく徹夜で仕事をして、いかに番組を定時にアップしていくかの方法を考えました。数年来、私は一度も法会に参加することによって、番組に支障をきたしたことはありませんでした。
もう一つの困難は、同修との協力です。最初にトラブルがあれば、私は我慢できても、心の中は不満だらけで、時間が経つにつれて、やっと全てのトラブルを修煉の向上のチャンスと捉えることができました。一度、国際サッカー試合の決勝戦の直前に、司会者の同修が急に別の都市に行かなければならないと言い出しました。私は「ノートパソコンを持っていけば、 私が文面を作成するので、あなたは音声を付け加えてくれればいいです」と言いました。同修は車に多くのものを積んでおり、パソコンを置く場所がないので、持って行きたくないと言いました。私が「運転席の下に置けばいいよ」と言っても、同修はやはり断わりました。それでも粘って持たせようと思った私は突然、これは修煉のチャンスだと感じて、「それならいいです」と言って、内心では全く怨む心がありませんでした。
その後気づいたのですが、修煉するにはどうしても様々な困難にぶつかり、それに直面しなければならず、避けて通ってはいけません。分かっていても、内心で私は師父にこう言いました。「師父、無い袖は振れません 。アフレコ(映画・テレビで、無声で撮影したあとで声や音を録音すること。俗称、音入れ)がなければこの番組をどう仕上げますか?」。その時、名案が閃(ひらめ)いたのです。私は以前同修がつけてくれたアフレコを探し出して、数十倍の時間をかけて繋ぎ合わせて、やっと決勝戦の音声を完成させました。じっくり聞かなければあまり気付かれないと思います。もう一つの関を乗り越えて、私は喜びを感じて、師父に感謝しました。
三、大紀元の中で 営業に携わる
2010年の神韻公演が終わった直後、大紀元の社長から電話がかかってきて、「大紀元に来て営業してください」と言われました。中国にいた時、私は科学研究に携わり、アメリカに来てからは電子工学の研究開発に従事し、営業をやったことがなく、営業の仕事に携わることなど考えたこともありませんでした。何の心の準備もなかった私は「なぜ私に営業をさせるのですか?」と聞きました。私は適材ではないので、ほかの人を探してほしいという意味でした。社長は「あなたが神韻チケットを良く売ってきたのを見ているので、大紀元の営業をやるのは問題ありません。明日出勤してください」と言って、全く相談の余地がない感じでした。偶然なことはないと思った私は承諾しました。
電話を置いてから私は悩み始めました。その時ちょうど、私は常人の仕事を探しに行くつもりで、ある程度の収入を得られれば、常人である妻の不満を解消できると思っていました。その代わり、全ての時間が仕事で費やされてしまいます。当時、私の最大の願望は多くの法を実証することをし、多くの衆生を救うことでした。もし大紀元の営業マンになれば、法を実証する事には間違いありませんが、自分には全く経験がないので、本当にできるかどうか不安でした。
その時、先日学んだ『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』の一節が脳裏に現れました。「大法弟子は皆ある考えを持っています。つまり、とにかく第一線に突き進んで、いくら苦しくても、疲れても、夜更かししても、寝なくても、何でもやるし、何でもできます。しかし、経営の話になると、気が進まなくなります」[4] 私は早速この部分の説法をじっくり、繰り返し読み直しました。
師父はこのようにおっしゃっています。「皆さんは何でもできるのではありませんか?(笑) 皆さんはすべてのことにおいて最初できなかった状態からできるようになったのではありませんか? なぜこのことを良く行なうことができないのでしょうか? マスコミの運営が良くなれば、マスコミはさらに効果的になり、さらに力を発揮することができます。現在、運営が続けられるようにたくさんの時間が浪費され、あちこちからお金を探してきてそれを維持していますが、相当難しいのではありませんか? もし、皆さんはこの面で努力し、力を入れれば、運営状況は必ずよくなると思います。スポンサー探しにしても、広告の営業にしても、マスコミの運営資金のために行なったすべては第一線で行なったことと同じであり、威徳は同じなのです」[4]
読み終えた後、私の心はパッと開きました。第一線に出たり、夜更かししたり、睡眠をとらないなど、これらのことを私は法を正す師に手伝うプロジェクトの中でずっとやってきました。今、最も必要なのはスポンサーや広告主を探して、メディアに十分な資金を持ってくる弟子です。それならば、私は師父が要求されるそのような弟子になろうと思いました。私にとってそれはとても難しいことですが、中国で自分の命を危険に晒しながら、真相を伝える弟子たちより難しくはないでしょう。
考えを整理してから、私は翌日、迷いなく大紀元に出勤しました。最初の頃、私は経験のある営業マンと一緒に外で走り回り、実践の中で営業を学んでいきました。エンジニア出身の私にとって、どんなに先端な電子設備でも、それは生き物ではないので、絶えず勉強し、研究し、繰り返し実験すれば、どうにか結果を出すことができます。しかし、営業は全く別の話です。営業する相手は生きている人間なので、喜ばせたり、何かの不適切な発言で相手を怒らせたりします。広告費を出してもらうには、絶えず相手の言葉の意味や心理状態を推測し、様々な方法で相手を納得させ、最後に快く広告費を出してもらわなければなりません。これは私にとって本当に容易いことではなく、ある意味、私は全面的に自分を変えなければなりませんでした。
以前の仕事の習慣で、私は一人で家やオフィス、実験室に閉じこもって、静かに研究し実験を行なうことが好きでした。しかし、今は毎日のように外で走り回り様々な人に会って、私たちの新聞を紹介しなければならず、慣れるまで一苦労でした。新聞を手にして一生懸命に相手に説明したと思ったら、相手は私が新人だと分かると、苛々して「ここで時間を無駄にせず、早く役に立つこと、金が儲かることをしなさい」と言いました。徐々に、私はエンジニアから営業マンに変身することの難しさを感じました。大紀元の営業マンは、なおさら難しいのです。
数カ月のうち、私はアトランタのほぼ全てのカーディーラーを走り回り、チャンスがある度に、会った全員に真相を伝えました。1カ月ほどの努力を経て、ある日、私は本田のある店舗から3カ月半の白黒の広告を取りました。その後、店の販売マネージャーを神韻の鑑賞に誘うこともできました。
大法弟子として、大紀元の営業に携わる最大のメリットは、新聞を媒体にして多くの人に接して真相を伝えられることです。特に、未だに私たちのことを理解できず、反感さえ抱く多くの中国人の考えを変えるには、私たちの弛まない努力が必要です。数年来、私は営業の仕事を通じて、頻繁かつ地道に真相を伝えることによって、多くの中国人の考えを変えました。
ある日、カーディーラーの店で華人の販売員に出会いました。彼は中国共産党を好かず、私達の新聞にも好感を持っていません。最初、彼に真相を伝えたとき、彼はとことん抵触していました。数回にわたる長時間の真相伝えによって、彼は徐々に変わり始め、その後、私と人生について討論し、時事問題について意見を交わす関係になりました。最後に、彼は私が伝えた中国伝統文化の真髄理念をプリントアウトして、オフィスの壁に貼りました。
偶然の機会に、私はアトランタのある華人大富豪家に出会いました。彼も私たちに非常に負のイメージを持っており、私たちの新聞を読まず、口にするのは全部中国共産党に洗脳された内容ばかりでした。長時間にわたり、系統的に彼に真相を伝えた後、彼の考えは大きく変わりました。その後、彼は私に今、毎週、大紀元新聞を読んでいて、私と付き合うのも好きだと言ってくれました。
ある韓国のカーディーラーの華人販売員に、私は機会がある度に真相を伝えていました。その後、彼は私にこう言いました。「あなた達は他の新聞社と違います。彼らは金目当てで来て、金を手にしたらすぐ去って行きます。誰もがあなたのように私とこれほど多くの会話をしません」。もう一つのカーディーラーは華人の居住区から遠く離れており、総マネージャーは韓国人です。彼に多くの真相を伝えた後、彼らの店で車を買う華人があまりいないにもかかわらず、彼も広告を出してくれて、「私はあなた達を支持します」と言ってくれました。
営業するには根気が要ります。困難に直面しても耐え続けなければなりません。数年間、私はアトランタにある最大の本田ショップを訪ねました。その店には一つの規定があります。新聞に広告を出さず、テレビとネットにだけ広告を出します。販売マネージャーの韓国人は毎回、「あなた達にテレビ局ができたら来て、そのとき広告を出します」と同じセリフを言います。しかし、私は諦めず、機会があれば彼を訪ねました。
ある日、彼らの店が韓国の新聞に広告を出したのに気づいて、私たちにもチャンスがあると思って彼を訪ねました。その時、彼はすでに店の総マネージャーに昇進していました。彼は「今はやはりあなた達を必要としません。将来、あなたに説得されて考えが変わったら、そのとき取引しましょう」と言いました。私はそのチャンスにまた、彼に真相を伝えました。
しばらくして彼を訪ねると、彼はちょうど電話中で、私にオフィスに入るように手招きしました。彼が電話を切ったのを見て、私は何を話題にしようかと思った時、彼が先に口を開きました。「あなたが好きです。この間、他の新聞社の営業マンが来ましたが、30秒足らずで帰らせました。あなたは根気があって礼儀正しい、あなたの所で広告を出しましょう」と言って、5分足らずで、彼は1年間の全紙面広告の契約を結んでくれました。
四、真相を伝える中で向上する
7月20日以降、中国共産党が大法へ汚名を着せる宣伝を見て、私と多くの弟子はネットで真相を伝え始めました。最初は全く経験がないため、どこからどう話せばいいか全くわかりませんでしたが、伝えていくうち、徐々に科学や宗教、信仰など、各領域に関する問題に自由自在に回答できるようになりました。
法を正す進展の発展につれて、 私たちは自分たちの新聞、テレビ、多くのサイト、そして電話による真相伝えのプロジェクトを持つようになり、大法弟子による真相伝えと衆生を救う舞台を大きく広げました。もちろん、神韻は衆生を救う最大のプロジェクトです。ある日、展覧会で神韻を宣伝していた時、アメリカ人の夫を持つ中国人女性に会いました。私の娘は彼女の娘と同じ舞踊学校で、バレエを学んでいるので、少し面識がありました。私は彼女に声をかけて、神韻を紹介しようとしました。二言も話していないうち、彼女は声を荒げてこう言いました。「中国のものであれば、私は何でも好きです。しかし、なぜあなた達だけが中国の文化を広めていると言え、あなた達のものだけが最も中国的で、最も伝統的だと言えるのですか?」と言って、不愉快そうに去って行きました。私は弁明せず、どうすればいいか、どこを言い間違えたのかと自問しました。
展覧会場を一周回って、また彼女に会いました。私は機会を狙って彼女にこう声をかけました。「先ほどはごめんなさい。少し焦っていてはっきり言えませんでした。私が言いたいのは、今、私たち中国人の多くが自分たちの真の文化と伝統を知らないのです。なぜなら、1949年以降、真の伝統と文化が数回の政治運動によって破壊され、特に文化大革命によって徹底的に破壊されました。例えば、もうすぐクリスマスですが、あなたはアメリカに来てから数年経ち、ご主人もアメリカ人なので、アメリカ人がなぜクリスマスを祝うのかきっと知っているでしょう。これからの元旦や、先月の感謝祭を祝う意義もお分かりでしょう。しかし、中国人として、私たち中国人がなぜ旧正月を祝うか教えていただけますか?」
彼女はその場に立ちすくみ、何も言いませんでした。なぜなら彼女は全く知らないからです。それを機に、私は真相を伝え始めました。「以前、私も知りませんでした。アメリカに来てからやっと、少しずつ真の中国の文化と伝統を学びました。考えてみてください、私たち中国人が、アメリカに来て中国の文化を学ぶなんて、おかしくありませんか。しかし、これは私たちの間違いではありません。私たちは小さい時から、誰からもこれらの根本的な中国の文化や伝統的な習慣を教わらなかったからです。中華民族は歴史上ずっと礼儀の邦と言われていました。周辺諸国が今、有する多くの文化は昔、中国から学んだものです。考えてみてください。堂々たる5000年の文化を持つ中国人は今、孔子の「仁、義、禮、智、信」を学ばないだけでなく、「天、地、人」との戦いを楽しみ、ひいて、は自分たちがなぜ旧正月を祝うかも分かりません。 これは私たち中華民族の屈辱と悲しみではありませんか! 神韻はまさに中国の輝かしい5000年の文化を全世界に見せています。これは中国人の誇りとプライドではありませんか!」と、その後、出会った多くの中国人に、私はこの話題を使って真相を伝えました。毎回、真相を伝えた後、私は常人の反応を元に、どこがよく話せなかったのか、どの問題にうまく答えられなかったかを真剣に考えて、改善を図り、絶えず真相を伝えるテクニックを向上させ、その場で答えられなかった問題に対して、じっくり考えて答えを見つけ、別の常人に再び同じ質問を聞かれたら、必ず即答できるように努力しました。
中国にいた頃、私は先端科学の研究をしていました。海外に来てからの身近な友人の大半は、博士や修士号をもつ高学歴の人たちです。彼らに真相を伝える時、彼らの多くは中国共産党による大法への迫害に賛同しませんが、信仰に言及すると、やはり軽蔑した表情を見せながら、時代が変わったのに、まだそんなことを言うのかと言わんばかりに、いかにも科学こそが最も正統的なものだという反応でした。
数年前の神韻公演で、 天幕に映し出された師父が書かれた歌詞、「科学が人類を岐路に導いた」を見た時、びっくりしました。師父はすでに公に科学による世人への毒害を取り除かれており、私もその進展についていかなければと思いました。そして、どうすれば学歴の高い友人達に真相を伝え、科学による彼らへの毒害を取り除けるかを、積極的に考え始めました。
ある日のパーティーで、物理を学んでいる友人と一緒に座って雑談し、意識的に話題を物理や科学に持って行きました。私は彼に「物理に詳しいあなたにお聞きしますが、今の現代物理学や現在の科学の発展のペースで行けば、あと何年経てば人類は真に宇宙の真相を認識できると思いますか?」と尋ねました。 彼は一瞬、ポカンとして「これは結論を出しにくいですね。しかし、今の現代物理学と科学の発展の方向に向かって行けば、いずれ、人類はきっと最終的には宇宙の真理を認識できます」と言いました。
「私はあなたほど楽観視していません。もし今の科学の発展の道が誤りであれば、真理に近づくどころか、ますます宇宙の真理から遠ざかってしまう可能性もあります。一つの例ですが、あなたの娘さんはハーバードに合格しました。あなたの友人として、私もあなたの娘さんのために喜んでいます。しかし、いくら喜んでも、あなたの喜びとは比べものになりません。そうでしょう。なぜなら、ハーバードに合格したのは私の娘ではないからです。そこで、教えて欲しいのは、あなたの喜びは私の喜びより量的にどれくらい多いですか? 1グラム? 38グラム? 1 キロ?」 と私は言いました。これを聞いた彼は笑い出しました。私はさらに続けて、「考えてみてください。現代科学の研究領域は完全に物質の領域に局限されており、人間の精神領域への研究はゼロに近いのです。物理学の基本常識で考えれば、遠いところから私たちの太陽を見れば、小さな星に見えます。地球は小さくて光を放たないため、遠くからは全く見えません。地球上の人間を、この宇宙から見れば、微生物の中の微生物とも言えないぐらい、とてもとても小さいでしょう。さらに、現代科学のいわゆる万有引力や相対性理論、光速が毎秒30万kmであるなどを、人間はこれらの定義や理論を銀河系以外のさらに広い宇宙空間に持って行って、検証したことがありますか? ないでしょう?」と言うと、彼は「銀河系の外どころか、銀河系内でも検証したことがありません」と言いました。「そうでしょう。それならば、どうしてさらに遠い宇宙範囲にも適用できると言えますか?」と私は続けました。
その友人は頭を振りながら、今までこの方面に関して考えたことがなかったと言いました。私たちは2時間ほど話しました。最後に、彼は私と話して、多くの見識が広がったと言いました。その時、私は周辺の多くの人が私の話を聞いていることに気づきました。彼らはまた、人体の超能力や哲学について私と討論しました。 その後、私は科学を盲信するほかの高学歴の友人にも真相を伝え、2年程で良い効果が得られ、私には科学の話題を持って来なくなりました。
五、突発事件で第一念を修める
20年以上修煉してきて、私は多くの大小の関を乗り越えてきました。よく乗り越えられたものもあれば、よく乗り越えられなかったものもあります。ある日、家でプロジェクトの仕事をしているとき、私はトイレを使うときもプロジェクトのことを考えていました。用を足して水を流そうとした瞬間、便器が真っ赤になるほど下血したことに気づきました。十数層のトイレットペーパーも血に染まっていました。ビックリした私がまず思ったのは、「どうして? 何かの病気かなぁ?」でした。続いて、「気にしない。この50キロほどの身体を全て師父に預けよう」と思い、仕事に戻りました。結果的に、そのようなことはその後、再び起こりませんでした。
その後の同修との交流でも、私はその関をよく乗り越えられたと思っていました。しかし、先日、今までの修煉の道のりを振り返ろうとしたとき、真っ先に思いついたのはその出来事で、更に高い基準で判断し直してみると、その関をきちんと乗り越えたとは言えないことに気づきました。二つ目の念で、私はやっと正念に戻り、初めに出てきたのは全く常人の念だったと気がついたのです。
遡(さかのぼ)ってみれば、多くの突発事件に遭遇した際、私の第一の念は常に「私、私、私」で、第二、第三、ひいては、その次の次になって、やっと正念が出るのです。この方面で着実に修煉し、突破しようと決心しました。言うのは簡単ですが、実行は難しいものでした。まるで身体に自動的な機制があるように、突発事件に遭う度に必ず「私」が先に出てきます。長い間この関を突破できず、私は非常に落ち込んでいました。
つい最近のある日、地元での神韻公演が終わった後、私は車一杯に食器セットを積んで次の公演の都市に向かいました。しかし、車を走らせて高速に入って1時間ほど経ったとき、ギアボックスが燃えてしまい、路肩に臨時停車しました。次に公演する都市では、コックである大法弟子が神韻のために食事を用意することになっており、私が積んでいる食器セットは必須です。その時、私が最初に思ったのは、どんな方法を使っても必ず定時に届けなければならない、ということでした。時間が迫ってきているにもかかわらず、私は冷静でした。同乗していた同修は、「本当に運が悪い。どうして私はあなたの車に乗ってしまったの!」と文句を言い出しましたが、私は気にせず、電話で同修に別の車を送ってきてもらい、自分の車の処理をレッカー車に依頼しました。全てが順調に運び、3時間内に私は別の車で出発し、当日の夜、無事に食器セットを同修に渡すことができました。事件の最中、私は車が壊れてどうしようとか、遅く家に帰れば妻に何か言われそうとか、車の修理にどれだけのお金がかかるかなど、終始自分のことを考えたことがありませんでした。もちろん、全ての突発事件に100%の正念で臨むという目標にはまだ程遠いのですが、目標に向かって引き続き頑張っていくつもりです。
六、大法弟子には精進の道しかない
今、私はフルタイムで真相を伝えるプロジェクトに参加しています。テレビの特集番組を制作する以外に、私は大紀元の営業もやり、米国南東部の一部の神韻宣伝ビデオの制作や神韻のインタビュー報道、そして協調の仕事も担当しています。家では常人の妻の食事も用意しなければなりません。いくつかのプロジェクトの提出期限が重なり、きちんと完成できない状況に追い込まれて散々な目に遭う時もよくあります。その時、分身術があればいいのにとよく思いました。最後は仕方なく、毎日の睡眠時間を減らすことになりました。夜中の2時前に寝たことは殆どなく、大体夜明けの3時、4時に寝ます。そして、毎日2食だけ食べたり、1日中食事を摂らなかったり、一番忙しい時はまる2日食事をせず、水だけ飲んでいました。オリンピック期間中、私は週に120時間をオリンピックの特集番組の制作にかけました。大法の仕事は大変ですが、心は非常に充実しています。
ご存知のように、昔、衆生を済度しに地球に来た神々は皆、地球がまだそれほど堕落していない時期を選んで来ました。済度しているのは副元神だけで、あれだけ多くのエネルギーを使ってやっと数人だけを三界の外にしか済度できませんでした。今日、私達の師父は有史以来、人間が最も腐敗堕落した時期に法を伝え、衆生を済度されています。済度されるのは人間の主元神で、しかも彼らを宇宙大穹の王や主の位置まで帰らせるのです。これは宇宙の歴史上、かつてなかったことで、神々も想像すらできず、天地開闢以来、初めてのことです。宇宙の神々でさえ、師父が行なっておられることに、心の底から感服して頭が下がるのに、大法弟子である私たちは尚更、この萬古にもない機縁を大切にすべきではありませんか?
なぜ、私たちは今の世人を救わなければならないのでしょうか? 宇宙の億万年に亘(わた)る長い変遷の過程の中で、彼らも私たちと同じく、宇宙の各層の美しい天国世界を後にして、師父に従って一層一層と人間のところまで降りてきたのです。もし、彼らが宇宙の法が正されるこの最後の肝心な時期に法を得られず、済度されなければ、億万年の努力は全て台無しになってしまい、一切の古いものと一緒に解体されてしまうのです。私たち大法弟子は彼らより一歩先を進んでいるだけです。私たちは今、法を得たのですが、もし、立てた誓いを果たせず、最後まで精進し続けていかなければ、彼らと同じく全てを台無しにしてしまうでしょう。私たち大法弟子の前には二本目の道はなく、退路もなく、ただただ着実に修煉して、最後まで精進し続ける道しかないのです。
最後に、師父が『二〇〇三年元宵節での説法』で説かれた次の一節を以って、今日の発表を終わります。「今誰も私が偉大であるとか、師父である私のどうこうを言う必要はなく、将来振り返ってみれば、私が行なった全ては全部皆さんのために切り開いているのです」[5] それでは皆さんご一緒に、師父が切り開いて下さったこれらの中で、小さな粒子の微々たる力を捧げましょう!!
師父に感謝致します!
同修の皆さんに感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」
[3] 李洪志師父の著作:『各地の讲法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
[4] 李洪志師父の著作:『各地の讲法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
[5] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
(二〇一九年ニューヨーク法会の発表文章)