文╱中国の大法弟子
【明慧日本2019年1月26日】以前、『轉法輪』の第一講「気功は修煉にほかならない」の部分を暗唱した時、「人は低能で、ちっぽけなものに過ぎず、神は自由自在で、とても偉大である」と強く感じました。そして、再びこの節を暗唱したら、「人の考えが天の考えには敵(かな)わず、何もかも神に掌握されている」と、より強く思いました。
想像してみてください。「文化大革命」のような狂った時代には、中国共産党は伝統に反対し、神佛に反対し、至る所で寺院を破壊し、仏教の経典を焼き払い、これから先は何ものをも恐れず、やりたい放題できると思っていたのかもしれません。しかし意外なことに神は、この大変な時期に「気功」という言葉をうまく活用して、人々に神への道、つまり修煉する道を用意してくださいました。表面から見れば、環境が非常に厳しそうに見えますが、実は、気功は「『文化大革命』の半ば頃から始まり、その後期にブームとなったのです」[1] と説かれています。この事からしても人間の軽薄さや傲慢さが、いかに愚かで無知であるかが分かります。
人間は自分には能力や権力があれば、大衆を左右することが出来ると勘違いをし、「気功を普及させようとする気功師の願望がいくら良くても、大衆の病気を取り除き健康を増進させ、人々の身体の素質を向上させることがいくら良いことにきまっているとはいえ、人々はやはりそういう名前で呼ぶ勇気がありませんでした」[1] とも説かれています。 神は修煉を「気功」という新たな言葉に置き換え、現代人の考えに合致させたため、全てがうまく運べるようになりました。
人間は実に可哀そうなものです。神の大きな智慧の前で、人間のあの程度のあざとさ( 小りこうさ。思慮の浅さ)は、ただの子供の遊びに過ぎません。もしかすると、子供の遊びにも至らないかもしれません。私は師父がおっしゃった「人間がこうしようと思い、人間はそのように発展したいと思い、人間社会をどんな状態に到達させたいと思っていても、今日まで人間は自分の言った通りにしたことはありません」[2] の言葉を思い出しました。
これらのことを悟った時、私はとても大きな人心、つまり長い間、常人の情勢に執着する心を放下しました。最初の頃、私は現政権にとても執着していました。その期待が外れてから、今度は外国政府に執着して、毎日インターネットで何か新情報がないかと調べ、詳しい内容を見る時間がなければタイトルだけでも見るようになりました。すべては師父によって掌握されていると分かっていてからも、やはりネット上の情報に惑わされ、一喜一憂していました。
今から考えれば、自分はなんて愚かなのか? いったい誰に何を期待をしているのか? 本当に馬鹿じゃないかと思いました。現在の情勢は、ただ天象の変化の下での人間の表現に過ぎず、今はすべての生命が自らの位置に新たに配置されている時期に過ぎません。私の責任は自らを修め、もっと多くの人を救うことだけです。これ以上、馬鹿なことをしてはいけない、早く自分を正さなければならないと思いました。
同時に法も開示してくださいました。「真相を伝える時、人々の考えや意識に合致するよう、人の執着に沿って話さなければならない」と私は悟りました。人間は頭が頑固そうに見えますが、彼らの観念に沿って話を進めれば、実は、彼らの考えを容易に変えることができると分かりました。
ここで、自らの体験をお話しましょう。近年、私は主に携帯電話で三退を勧めましたが、しばらくの間、効果は芳しくありませんでした。私の場合、電話を掛けると、相手の人は基本的に2分以上真相を聞いてくれます。中には、繰り返して聞いたり、あるいは他のルートで真相を求めたりする人もいました。多くの人が法輪功の真相も知っているし、中国共産党が悪いことも分かっていると私は感じました。それでもなお、彼らは三退する態度をなかなか表明しません。その理由には恐怖心という要素もありますが、実は、多くの人が中国共産党の洗脳によって道徳水準が非常に低下し、良知や道義よりも利益を最優先に考えていて、得をしないことは決してやらないという考えを持っているように思いました。時には「三退をして災難から逃れられる」と話すと、一部の人に「災難、災難って、縁起の悪いことを言わないでほしい」と言われました。彼らに信じてもらえないだけではなく、逆にこちらが不吉なことを言っているように思われてしまいました。
最近、私は方法を変えて、次のように話を切り出しました。
「あなたはきっと『三退をして平安を守る』という話を聞いたことがあるでしょう。それは本当の事です。近い将来、大きな災難がやって来ます。その時、神様が悪をこらしめ善を励まし、悪人を処罰するでしょう。そのような光景をあなたは必ず目の当たりにします。災難から逃れられる人には大きな福があります。私はこれらを伝えるため電話をかけて、あなたに幸運の証人になって欲しいし、さらに実際に体験して欲しいのです」
このように言うと、まず相手の人にこれは「福を届ける」電話だと感じさせます。そして、たとえ災難が起こったとしても怖くない、このチャンスを掴んで三退をすれば災難から逃れられ、大きな福を手に入れることができると感じさせました。僅かな言葉の違いでしたが、人の心に順応したせいか効果はとても顕著でした。三退に賛成した人は嬉しそうに「ありがとう!」とお礼を言ってくれました。
少しの体得です。法に則っていない所があれば、同修のご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の説法:『ヨーロッパ法会での説法』