自我への執着を一掃する
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文╱アメリカの大法弟子

 【明慧日本2018年12月19日】師父が私に地元のグループ学習を終えたあと、この交流文章を書くように按排され、気持ちを整理し執着を正視して暴くように促してくださったことを感謝します。私の強い執着心を一掃できることを心から願っています。

 最初にこの執着を意識したのは、全世界の救援プラットフォームで司会をやっていた時でした。私は交流会を主催し、原稿を読まずに、ぺらぺらと喋り、即興で発言できることを自慢していました。その時、私は思わず「私」から始まる言葉を連発しました。あるタイ籍の同修は、「どうしてこんなに『私』が多いのですか?」と注意してくれました。私はとてもびっくりし、確かに今までこの問題に全く気付いていなかったと思いました。

 絶えず法を学ぶことによって、次第に、これは自我に対する執着心だと分かりました。そして、自尊心、傲慢な心、虚栄心、面子を重んじる心、嫉妬心、名を求める心、闘争心などもすべてここから派生したものだとわかりました。

 幼い時から、私は非常にプライドの高い子供でした。ある日、数学の先生から「あなたの答えは間違っていたよ」と言われただけで、私は授業中泣き出してしまいました。

 以前、こんなこともありました。父が私を殴ったことをずっと根に持っていて、その後の十数年間「お父さん」と呼びませんでした。またある時、母が焼き芋を作り、熱いうちに食べて欲しいと、姉と一緒に学校まで届けてくれたのに、ある男の子に「何だ、りんごかと思ったら芋かよ」と冷やかされて私は恥ずかしくなり、 母に「もう学校に来ないで」と怒りました。

 これだけ強い人心と執着は、転生輪廻の中で蓄積されたものでした。中国共産党の統治下で生活していると、伝統文化からのよい影響を受けず、その執着心は逆に邪悪な党文化に強められ、拡大されました。幸いにも私は大法の修煉を始め、大法の中で修めることができました。さもなければ、これらの執着と観念は私にもっと強く作用し、もっと多くの業力を作ってしまったでしょう。

 年に一度の神韻公演がまたやってきました。公演は私たち大法弟子が、自我を放下し、全体を圓容し、共に高まり、精進する機会です。2014年から、私は4年連続して地元での神韻の営業活動に参加しました。皆と協力し合い、全体に溶け込み、自我を放下してからの威徳を切実に感じました。そして、恐怖心もしだいに取り除かれ、車の運転や方向感覚も年々向上しました。自尊心、傲慢な心、嫉妬心、怨恨心など、自分にも他人にも有害な恐ろしい物質は、たくさん取り除かれました。

 2018年の神韻公演が始まる前、地元の同修が9人の政治家からの英文の祝電を持って来てくれました。私は徹夜で翻訳しました。翻訳の速度も品質も、私の実力以上のものでした。私は連続して7時間もパソコンの前に座り、考え、入力し続けました。しかし、私は頭がとてもはっきりしていて、思考もとても明晰でした。完成した文章を繰り返して読み直し、すらすら読めるように、リズムが取れるように入念にチェックしました。完璧になったと確認してから、やっと送りました。私の心の中では、迅速に、しかもきちんと仕事を完成させたい気持ちがいっぱいで、自我に対する執着はまったくありませんでした。師父は私のこの純粋な気持ちをご覧になり、加持してくださいました。

 師父の弟子として、法輪功修煉者として、自我を放下し、自我に対する執着を徹底的に取り除き、「衆生を救済し、邪悪を暴く」ことをより良く、より深く行なうことが私の目標です。これからの修煉の道で、同修たちと励まし合い、協力し合い、助け合っていきたいと心から願っています。

 師父に感謝いたします。

 同修に感謝いたします。

 合掌

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/25/377119.html)
 
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