【明慧日本2018年10月25日】撫順市朝鮮族の法輪功学習者・金順女さんは2018年9月19日に、所在地の役場へ証明書を取りに行った際に不当に連行され、留置場に入れられた。そこで残忍な迫害を受けて昏睡状態になり、10月10日に死亡した。享年66歳であった。
9月19日、金さんは所在地の役場へ証明書を取りに行き、職員に「法輪功学習者は真・善・忍の教えに従って、より良い人を目指している」という内容を伝えただけで、真相を知らない人に通報され、駆けつけて来た警官らにより連行され、現地の留置場に入れられた。
10月6日、家族は「金さんが病院で救急手当てを受けている」という電話を留置場から受け、急いで病院へ行ったところ、目にしたのは昏睡状態に陥った金さんの姿であった。警官は「サインをしたら、帰らせるが、サインをしないと重刑に求刑する」と脅かして金さんの娘にサインを求めた。金さんの夫と娘は病院で金さんを4日間看病したが、金さんはずっと意識が戻らず、10月10日朝4時に帰らぬ人となった。病院の診断書には「脳血栓」と書かれていた。
金さん夫婦は法輪功を20年以上、修煉していた。中国共産党による迫害の中で、金さんは5回も連行され、一家3人は13年間にわたって、家族そろって過ごすことが出来なかった。2002年、金さん夫婦は不当に連行され、金さんは懲役13年の実刑判決を宣告された。それから遼寧女子刑務所で様々な残忍な迫害を受け続けた。夫も懲役11年、娘も懲役3年の実刑判決を受けた。
1999年7.20、中国共産党は江沢民の指示によって法輪功への弾圧を発動した。その頃、金さんは既に連行されて15日間拘留された後、労働教養所に入れられて6カ月間拘禁され、そこで洗脳的な教育を強制された。家族は教養所に強要された洗脳教育料1500元と、順城区610弁公室に強要された1万元を支払った後、やっと金さんは解放された。2000年旧正月から2001年末までの2年間に、金さんは3回も連行され、1回目は拘留され、2回目は労働教養を強いられた。労働教養所で金さんは断食をして迫害に抗議した。その後、金さんは暴力的な灌食を受けた。
2002年4月6日、金さんは他の学習者と共に、法輪功迫害の真相についてのチラシを配布した時に、また連行され、薬物依存の回復施設に入れられた。そこで、派出所の所長による「開脚」という拷問を受けた。「開脚」とは、1人が金さんの片方の脚の上に乗り、もう1人は反対側の脚を上げて、頭を超えるまで力いっぱい脚を開くことである。1回「開脚」をされただけで金さんは即座に意識不明になった。それにもかかわらず、警官らは引き続き金さんに「開脚」を繰り返した。意識が戻った金さんはすでに動けなくなっていた。現場のある警官は「こいつは生命力が強い」と言った。
金さんは2002年11月に懲役13年の実刑判決を宣告され、2003年4月に遼寧女子刑務所に収監され、そこで、下記のような様々な酷い迫害を受け続けた。
1、スタンガンでの電撃
上半身の服を全部脱がされ、頭から冷たい水をかけられた後、連続2時間以上にわたり、スタンガンで電撃された。口も電撃を受け、口の中や周辺は水泡だらけになり、数カ月経っても上下の唇がまともに合わせられなくなった。
2、強く殴打され、体罰を受ける
2004年3月、刑務所側は法輪功学習者の転向率を向上させるために、学習者への迫害を一層激化させた。警官は他の囚人に指図して、学習者へ暴力を振わせた。時々、インスタントラーメン2個を与えることを条件として、囚人らに学習者へ暴力を振わせた。数人の囚人は金さんのパンツを脱がせて、パンツを金さんの口の中に入れ声を出させないようにして、金さんを押し倒して殴ったり蹴ったりした。同刑務所の他のすべての学習者がゴム棒で強く殴られるという拷問を受けた。
また刑務所の規則やルールを暗唱するよう強要された。暗唱しない場合は、頭を地面に向けて腰を曲げ、お尻を上に向けさせられ、この体制を朝から夜まで1日中続けさせられ、一週間このような拷問が続いた。顔も脚も腫れあがり、全身傷だらけになった。
3、睡眠を剥奪され、トイレに行くのも禁止
睡眠を剥奪され、トイレに行くのも禁止され、毎日深夜12時過ぎてから初めて眠ることを許された。長い間、金さんは1時間の睡眠しか取れなかった。毎日睡眠不足で食事もあまり摂っていない、それにもかかわらず、力仕事を強制させられていた。
地獄のような環境下で、金さんは腎臓病、心臓病、高血圧にかかった。2013年の当時、金さんは230mmHgの高血圧に達し、目を開けられず、頭に大きい鍋の蓋(ふた)をかぶったかのようで、本当に辛かった。ある日、心臓が突然止まって意識不明になり、病院で数日間救急手当てを受けた後、やっと意識が戻った。
2015年4月5日、13年にわたる地獄のような刑務所生活がやっと終わって、解放された金さんは僅かな補助金で生活を送っていた。年金を受給できるはずだったが、懲役を受けたことが原因で年金を受給できなくなった。