「羅漢」はどうして「墜ちてしまった」のか
■ 印刷版
 

文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年2月3日】法を暗唱していた時のことです。轉法輪』の第六講「走火入魔」を暗唱した時、私の今の次元において、法は私に「『羅漢』は自分を見つけることができず、主意識が強くないため、『墜ちてしまった』」という法理を開示してくださいました。

 師父は「昔、ある人が一生懸命修煉して、やっと羅漢になれるところまで成就しました。もうすぐ正果を得て、羅漢になれるのだと思うと、これを喜ばずにいられるでしょうか? やっと三界から抜けられるのです! しかし、喜ぶこともまた執着心で、歓喜心なのです。羅漢は無為であるべきで、心が動じてはいけません。結局その人は堕ちてしまい、それまでの修煉が無駄になってしまいました。無駄になったからやり直すしかないので、一から修煉し直し、ずいぶん苦労をして、また上がってきました。ところがその人は、今度は心の中で『喜んではいけない。喜ぶとまた堕ちてしまうから』と言って、怯えました。怯えた途端、また堕ちてしまったのです。怯えるのも執着心の一つです」[1] と説かれました。

 「羅漢」の次元に到達する生命には基準があります。それは「羅漢は無為であるべきで、心が動じてはいけません」ということです。それは羅漢の本当の状態なのです。「喜ぶ」ことや「怯える」と言う思惟はそもそも「羅漢」のものではなく「羅漢」の心は動じないはずですが、残念ながら喜んでしまい、また、怯えてしまいそれらを自分のものだと認め、「私は喜んではいけない」と思ってしまいました。この考え方はそれらの良くない考えを、自分のものだと認めてしまうことになります。師父は「旧宇宙においても、新宇宙においても次のような理があります。つまり、一つの生命の選択は自分自身の意思によって決められるということです」[2] と説かれました。このよくない考えを自分だと思ってしまえば、この羅漢はその位置に留まることができなくなります。ですから、墜ちてしまいました。

 「羅漢」として、どれが自分なのか、どれが自分の考えではないかをはっきりと見分けなければなりません。そして、そのようなよくない考えを決して認めようとせず「この考えはどこから来たのか? 私にはそのような思惟はないはずだ。それを一掃すべきだ」と思わなければいけません。もしこのような強い主意識を持っていれば、この羅漢は堕ちることはなかったでしょう。

 今、法を正す修煉の中で、大法弟子が真の自分を見つけることは極めて重要なのです。私達はよく様々な人心を自分のものだと言っています。例えば「私は情が重いです」とか「私は嫉妬心が強いです」とか「私は色心をなかなか取り除けません」、「私はいつも怯えています」などがあります。それはそれらの考えをまず認めてしまい、そして、それらを取り除くようにするパターンです。それは「穴を掘って、自分がまず中に降りて見てから、それから這い上がってくる」のと同じではないでしょうか。その結果、これらの人心は長い間私たちを妨害し、なかなか取り除くことができません。なぜなら、あなたはそれらを自分だと認め、勘違いしてしまっているからです。

 師父は「人間には多くの執着心、各種の観念、七情六欲があり、全ての考えがあなたの頭に存在していますが、この全てはあなたではないのです」[3] 、「人間は先天の純真さ以外、一切の観念はみな、後天的に形成されたもので、自分ではないのです」[4] と説かれました。

 これらのよくない考えはどこから来たのでしょうか? 表面上では、それは私たちが生生世世の輪廻転生の中で形成された人間の観念とよくない人心だと思われますが、実はこのすべては法を正す中で、旧勢力によって系統的に按排されたものです。どの問題に遇って、どのように考え、どのように心を動かすか、全て按排されました。そして、歴史上で私たちはどんな役を演じて、どのような観念を形成し、法を正す中で、どのような役割を果たすかも全て操られており、全て細かく按排されました。

 師父は「法を正すことも前回の地球の時に既に按排され、一度実験されました。つまり、このことはこれほど久しい年月を経て、全て系統的に按排されています。皆さん考えてみてください。人類社会や私たちが目にすることのできるこの全ては偶然に存在している可能性があるのでしょうか? ひいては全ての大法弟子の一挙一動、一言一行、あなたが考えている事までただで済むことではありません。将来これらを見れば、全ては相当綿密に按排されていると分かります。私が按排したのではなく、それらの旧勢力が按排したのです」[5] と説かれ、そして「今回の魔難の中で旧勢力の按排を認めなければあなたは乗り越えることができます」[6] とも説かれました。

 私達の頭の中に様々な名、利、色欲、意地などの考えが出て来た時、最初の一念は私たちがそれを否定することです。つまり、「私にはこれらのものはありません。滅します! そして、このような考えを私の頭に打ち込んだ邪悪の生命も一緒に滅します! それを按排したもの、操ったもの、駆使したもの、これら全てを滅します」とまず思わなければなりません。

 これは主意識が強いということです。それは正念なのです。こうすれば、旧勢力の按排とコントロールを一掃することができます。このこと自体も法を正すことです。師父は「正念が外に向けて、そして内にも向けて発せられているため、正しくない生命は誰一人、逃れることができません」[7] と説かれました。

 私達は真相資料を配る時、突然とても怖く感じたりします。その時、私たちははっきりと「これは邪霊の要素です。共産邪霊は長い間、中国人の体に一層の『恐怖』という物質を詰め込みました」(『共産主義の究極の目的』からの抜粋)と認識しなければなりません。「これは邪悪の生命が衆生を救うのを妨害するために、私たちに無理やりに加えたものです。先天的な純真な私にはこのような考えはありません。それを滅します!」と必ず思わなければなりません。

 常にしっかりとした正念を持っていれば、妨害されることは少なくなります。このような思惟をぜひ習慣にしましょう。これこそ私たちが本来のあるべき本当の姿ではないでしょうか。

 不適切なところがあれば、慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作 :『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作 :『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文 :『スイス法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作 :『精進要旨』「誰のために存在するのか」
 [5] 李洪志師父の著作 :『各地での説法二』「米国フロリダ州法会での説法」
 [6] 李洪志師父の経文 :『二〇〇三年元宵節での説法』
 [7] 李洪志師父の経文 :『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/1/16/380375.html)
 
関連文章