『轉法輪』を学び、麻薬をきっぱりとやめる
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 文/中国  王清漢

 【明慧日本2019年1月27日】仕事として賭博をやり、麻薬まで吸っていた私が、最後に法輪功を学ぶようになりました。これは台湾で法輪功を学び始めた郭青烽さんの実話で、郭さん自身も思いもよらなかったことです。郭さんは「これまで修煉や修行などの言葉は、私の頭の中で全く概念としてありませんでした」と語りました。


娘の卒業式に参加した郭青烽さん

 18歳の時に賭博におぼれる

 郭青烽さんは中学校を卒業後、姉の夫と共に大工仕事を学び、8カ月で師匠になり、19歳で工場長になりました。しかし郭さんは大工でコツコツとお金を稼ぐのは時間がかかると思いました。その頃、夜になると部屋で寝転んで賭博のやり方を研究していました。18歳の時はほぼ負けなしでした。「あの頃は周りに友人たちがおり、だいたい5、6人が集まってまるで賭博集団でした。私の手元にはお金が多くあり、お金の出し入れが多く、毎日ぜいたく三昧の生活をし、昼と夜が逆転し夜の生活に慣れていました」

 20年前から麻薬に手を出す

 危機は1988年に郭青烽さんの身に降りかかりました。その頃、郭さんはまだ27歳でしたが、初めて麻薬に手を出しました。1年以上麻薬を吸い、仲間や友人たちも皆一緒になって吸い、当時、郭さんは事態の深刻さに気付きましたが、すでに手遅れでした。

 郭青烽さんが服をまくりあげると、腹部にはっきりと残る2本の傷跡が見えます。郭さんによると気持ちが極度に落ち込んだ時に、ナイフで留めた印だということでした。郭さんは「1988年から麻薬に手を出し、体の五臓六腑、肝臓、腎臓、胃、十二指腸がすべて悪くなりました。あの頃は考え方がすでに極端に走っており、人生が真っ暗闇だと感じ、頭の中ではどのように死ねばいいのかということしか、考えていませんでした」と語りました。

 1992年を思い返すと、それは最もひどい1年でした。その年妻とは離婚し、家庭が破たんし、最後には台北の家を売り払い、2人の子供を連れて故郷に帰りました。その時、郭さんは麻薬を吸ってすでに4年が経過していました。麻薬が体に及ぼす危険な深刻さを知り、公立と私立の病院で治療しましたが、麻薬を見ると抑えられなくなり、郭さんは「体の毒は抜けましたが、心の毒はなかなか抜けませんでした」と語りました。「病院では、麻薬を盗んで点滴のビンの中に入れ、自分でもどれくらい眠っていたのかわからず、看護師が起こしても起きませんでした。7カ月目で、手元にあった最後の2500ニュー台湾ドルを使い果たし、その当時、無一文になった事を心ではかえってとても喜び、体が軽くなったと感じていました」

 10年間で4回も刑務所に入る

 1993年に一度台北に遊びに行き、8包のヘロインを持っている所を警官に見つかり、懲役3年の判決を受けました。服役の準備をしていた時に、これで麻薬を止められるという淡い希望を持ちました。1994年に初めて刑務所に入り、それから合計10年にもわたる刑務所生活を送りました。郭さんは「初めて出獄した時は麻薬を止められると信じましたが、2回目、3回目の時はまったく自信がありませんでした」と語りました。

 2003年4月17日、郭青烽さんは「薬の売人」と高速道路のインターチェンジでヘロインの受け渡しの約束をし、当時郭さんは待ちきれずにヘロインを注射し、その場で管轄の警察署の警官に逮捕されました。この時刑務所に入ってから、本当に郭さんの人生の道が変わりました。ここまで話して、郭さんは興奮気味に「縁に出会い、『轉法輪』がこんな私を救ってくださいました」としみじみと語りました。

 『轉法輪』が人生の道を変えた

 その時、刑務所に入り『轉法輪』を見た時のことを郭青烽さんは「不思議なのですが、授業の時、教壇の後ろの本棚に、あの黄金色の表紙の本が並んでいるのが見え、あっちから眺めたり、こっちから眺めたりして、連続3日間その本を見ていました。4日目の昼休みの時、その本を取り出すと、本の名前は『轉法輪』でした。本を開いて見ると、中に『論語』が書いてあり、私は佛教の本だと思い、そばにいた人に『これは何の本ですか』と聞くと、法輪功の本だ、と教えてくれました」と語りました。

 郭青烽さんははっきりと覚えており、2003年9月2日から『轉法輪』を読み始め、金曜日から日曜日までの夜の休みの時間を利用して、第二講を読んだ時に大変驚きました。その本の中に書かれていることが叱責のように感じたからです。郭さんは『轉法輪』を一通り読み終わった時、本の中に書かれていることは一体本当なのか嘘なのかと疑いました。9日間連続で3回読んだ時のことを、郭さんは「頭全体がはっきりとし『轉法輪』を3回読んだ時、全身に法輪があるように感じ、夜寝ていた時も法輪に目を覚まされました」と語りました。

 その日の晩、夢を見た時のことを、郭さんは「夢は頭の中ではっきりと現れ、後で思い返してみると、刑務所を出た後、神韻芸術団の公演『創世』を見たら、夢で見たのと全く同じでした。自分があのように降りて来て、あそこから来たのだと感じ、今ここで苦難を受けているのは、この10年来、ずっと間違った生活をしてきたからで、私は全身罪業だらけだったからです」と語りました。

 次の日、1年前に刑務所に法輪功の功法を教えに来た人がいたのを思い出し、すぐに別の収監区あてにメモを書きました。以前、刑務所に来た法輪功の人に法輪功の全ての書籍を持って来てもらうように、刑務所内で法輪功を学んでいる人に頼むと、7冊持って来てくれました。3カ月と2日かけて、7冊の本を全て7回読み、刑務所の主管に、「もう出て行っていい」と言われました。その時の12日間の休みに、郭青烽さんは故郷に帰り、法輪功の五式の功法を学びました。

 『轉法輪』を暗記し一生懸命に法輪功を煉る

 12日間の休みが終わり、郭青烽さんは引き続き服役しなければなりませんでした。もともとの刑務所では郭さんのことを知っている人が多いことを思い出しました。そこで、郭さんは誰も自分のことを知らない場所で法輪功を学びたいと考えました。当時、大学に通っていた娘に郭さんは「お父さんは法輪功を学ぼうと決心した。今回の服役では自分にとって重要な仕事がある。それは『轉法輪』を覚えることだ」と伝えました。

 そして法輪功の24冊の書籍を準備し、その後、旅行用の袋を背負い、宜蘭で服役することを選びました。

 そこでは朝と午後に静座のカリキュラムがあり、郭青烽さんはその時間を利用して法輪功を煉りました。郭さんは「その時、私は両足で座禅を組めず、座禅を組むと本当に痛かったのです。両足で座禅を組もうと決心し、足が折れてでも両足で座禅を組もうと決意しました。その時はちょうど夏で、全身汗びっしょりで、足はとても痛くてとてもしびれ、体の中をきりで刺されているかのようでした。私が全身を震わせて苦しんでいる様子を見て、何がそんなに苦しいのだとみんなが私を笑いました。実際自分の業力が重いことを私自身は知っており、麻薬で全身が壊れていました」と語りました。

 座禅を始めて30日目の時、ちょうど30分座禅することができ、喜んで足を下ろした時のことを郭さんは「その日は初めての感覚があり、法輪が足の所で回っているのを感じました。ひゅうひゅうと音がし、その音は大きく、それから足から突き出し、最後に丹田に帰っていきました」と語りました。

 刑務所で法輪功を広める

 その時から、郭青烽さんは心の毒を取り除き、心を静めて法輪功を学びました。数十年間麻薬にむしばまれた体が絶えず浄化され、精神もゆっくりと良くなり、それに伴って体も快復しました。その時郭さんは刑務所にいる人に「これから麻薬と縁を切る」と宣言し、当時「死ぬまで二度と刑務所には入らないというと、そんなことは不可能だ。すぐにあんたを刑務所で見かけることになるだろうよ、とみんなが私を笑いました」と語りました。

 それから郭青烽さんは刑務所内の友人に法輪功のすばらしさを話し始めた時のことを「ある人はもう十何年も刑務所におり、いつも手に聖書を抱えていました。以前、私も聖書を読んだことがあり、私はその人に『まずこの『轉法輪』を読んで、私が法輪功の煉り方を教えますから、半年間煉ってみてください』と伝えました。半年後、彼は法輪功の本を全部買いたいと言いました」と語りました。

 ある人は十数年も大極拳の練習をしており、その人のベッドの上段で、郭青烽さんが毎日『轉法輪』を読むのを見ており、法輪功が素晴らしいことをいつも聞いていました。その人が『轉法輪』を読みたがった時のことを郭さんは「太極拳をやってどんな反応があったのかをその人に聞くと、大極をやると気が強くなるのだと言いました。私はその人に『太極拳は気功の一種ですが、十数年もやって、気だけで功はなく、本当の功は心で修めるものであり、動作で煉るものではありません。あなた達には法の指導はなく、もし功を煉ることができた時、体に気があるという感覚はなくなります』と伝えました」

 郭青烽さんはその人と順番に24冊の法輪功の書籍を読み、毎日朝晩一緒に五式の功法を煉り、8カ月経った時、ちょうど8冊の本を読み終わりました。郭青烽さんは、彼は私に太極拳を20年練習しても法輪功をやった8カ月の効果はない、と語りました。彼は19歳の時に麻薬を始め、すでに2、30年刑務所にいました。私は「今回外に出たらまた麻薬を吸いますか?」と聞きました。彼は「それはあり得ない、実際、本当にあり得ない」と答えました。なぜなら、心が変わった時、その物には二度と近づくことがないからです。

 郭青烽さんが刑務所を離れる時、それらの本は全て刑務所にいる人に貸し出しました。郭さんは刑務所にいる人達に「この本はきちんと保管しなければなりません」と伝え、「あなた達が刑務所を出る時に、また、新しい人のために残し、ずっと残して学んで行ってください」と伝えました。

 体と心が恩恵を受け 縁のある人に法輪功を紹介する

 郭さんが変わったために、家庭もそれにつれて良い方向へ変わり、周囲の人も変わっていったことについて、郭さんは、村の警官や議員、そして私を知っているすべての人に対して、法輪功がどんなに素晴らしいかを私は語る必要がありませんでした。彼らは私をじっと見ており、彼ら自身で感じたからです。昨日1人の村人に出会い『轉法輪』の本を1冊あげ、「ぜひ読んでください、読んでみていいと思ったら私に教えてください。法輪功の煉り方を教えます」と言うと、私の変化を見ているので「この本が素晴らしいことはわかる」と彼は納得していたので、きっとこれから読むことでしょう。

 郭青烽さんの姉は現在(2008年)すでに60歳です。姉が法輪功を学んで、すでに2年以上になることについて郭さんは「姉は朝法輪功を煉り、午後も法輪功を煉っていますが、字が読めないので本が読めずに3年もの間、『轉法輪』の本を抱えていました。でも、今では夜間学校に通い始めました。しかし、彼女は『轉法輪』が読めるようになるとは、まだ信じていませんが、自分が法輪功を学んだのは、弟の私があまりにも大きな素晴らしい変化を見せたからだ」と言ってくれました。

 半生の辛い、辛い道を郭青烽さんは歩みぬけて来ました。1994年初めて刑務所に入った時、娘はまだ小学校3年生で、息子は小学校に入ったばかりでした。そして、2004年に刑務所から出所した時には、なんと、ちょうど娘の大学の卒業式に間に合いました。前半生を振り返ってみて、郭青烽さんは千万無量(はかりしれない)の思いで、法輪功が新しい人生の道を大きく切り開き、素晴らしい生き方を与えてくれたことに心から感謝し、二度と誤った道を歩みませんでした。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/6/7/179857.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/6/20/98302.html)
 
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