「初心を忘れずに修煉する」ことについて考える
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年2月26日】「初心を忘れずに修煉する」状態になるには、まず法を学ぶことから突破しなければなりません。つまり、法を学ぶ時の心理状態をまず「初心を忘れず修煉する」所にまで持ってきて、調整しなければならない、と個人的に理解しています。法を学ぶ時、初めて轉法輪』の本を手にした頃と同じように、まず、一字一句に対して注意深く理解するように努め、スピードを求めず、形式にとらわれず、自分は大法の前で身分や階層が卑(いや)しくて、無知であることを認識しなければならないということです。このような師と法を敬う心を持っていれば、そこで「法」は初めて「法理」を私たちに顕してくださることでしょう。その次に「着実」に修めることです。

 しかし、「法」に対する理解が深まるにつれ、時には『轉法輪』の本も暗唱できるほど覚えていれば、私たちは「法をある程度まで理解ができた」という潜在意識が働き、そのために法を学ぶ時、それほど身を入れなくなり、多くの場合、形に流されて気が散り、理解することよりも「量」や「速度」を求めてしまいがちです。実は、それは「」を大切にしていないことになり、自分を高い位置に置いてしまった証拠ではないでしょうか? そうなれば、法理は私たちに多くは見せてくださいません。

 私たちはいくら長く修めていても、ある次元に到達したとしても、法理をいくらよく理解したと思っていても、さらなる高い次元の法理について、私たちは何一つ知らず全くの無知なのです。ですから、『轉法輪』にもっと高い次元の法理を開示していただくには、私たちは心も学ぶ姿勢も謙虚で恭敬(きょうけい・つつしみうやまうこと)になって『轉法輪』の本を拝読し、同時に着実に修め、その次元の基準に到達してこそ、初めてさらなる次元の法理を読み取ることができ、初めて法に則って本当に高めることができるのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/2/5/381898.html)
 
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