100パーセント師と法を信じて 生死の関を乗り越えた
■ 印刷版
 

文/中国大法弟子

 【明慧日本2017年8月29日】私が生死の関を乗り越えてから1年になりました。このことに対して別に書くつもりはありませんでした。しかし先日、師父の悟らせで、これは私がやるべき努め(力を尽くして行うこと)であるとわかり、書くことを決心しました。ここで、自分が最近乗り越えた生死の関について、同修達と交流し、大法の素晴らしさと超常さを実証してみたいと思います。

 昨年8月、私は病気の形で生死の関に遭いました。この難が来た時、旧勢力が私の命を狙(ねら)って死なせようとしていると分かりました。腹部から発病しましたが、初めは体の具合が非常に悪くて座れなくなり、1日中絶ず吐たり、胸がむかむかし、身体が汗びっしょりになることが続きました。数日経って治ったと思ったら、お腹が膨らんできて妊娠して8、9ヵ月経った人のようになりました。その時に忍耐できない程の苦痛を伴い、腰は一塊の鉄板のように無感覚でした。お腹は火で焼いているように感じたかと思うと、今度は針で刺されたかのようになり、少しも動けなくなりました。ちょっと動いただけでも激痛を覚え、呼吸さえできない状態でした。私は座ることも寝ることもできなくなり、本当に死んだ方がましで、いずれにしても命を奪われるような感じがしました。 

 その間多くの同修たちがやって来て、昼夜を問わず私と一緒に学法し、交流し、煉功し、発正念をしてくれました。学法する時、私は座れませんでしたが、決して寝ないように我慢して、どんなに辛くて痛くても、学法中寝ませんでした。後でますますひどくなり夜寝る時、ベッドにうつ伏せることさえできなくて、うつ伏せようとすると激痛でたまらなくなり、仕方なくベッドの傍に寄って少し眠りました。3ヵ月ぐらい昼夜を問わず、苦しみを舐め尽くしました。

 3ヵ月経つと私は骨と皮ばかりに痩せましたが、師父の加持の下で精力は前と変わらず旺盛で、正念も強く、師父と大法を堅く信じていました。あの苦しい月日の中で死ぬのを恐れる考えは少しもなく、心の中は平然として落ち着いていました。病気ではないかと恐れる心も全くなく、病院に行きたい心はなおさらありませんでした。師父は「真に修める人には病がなく」[1]と教えて下さいました。私は師父を堅く信じており、心の中で旧勢力に、「私は死んでも師父に従い、あなた達とは何の関わりもありません」と言いました。そして「私が本当に命を失っても、師父を信じる確固とした心は永遠に動きません。それは私が大法のためにこの世に来た者だからです」と言う一念をしっかりと守っていました。師父は大法の「試練に直面し本性を見る 功成って圓満成就し、佛、道、神となる」[2]を私に見させてくださいました。今回の生死の関は100パーセント師父を信じ、大法を信じていなかったら乗り越えられないもので、99パーセントでも駄目だったと思います。

 難に遭った時、直接思想に対する旧勢力の妨害も大変なものでした。時には、頭の中で私が死んだように思わせますが、わたしはそれを絶対に認めず排斥しました。でもこのような考えが現れるのは、自分の苦に耐える能力が足りないか、意志が強くないからではないかと思う時もありました。その時、師父の法が頭に現れました。「大覚は苦を畏れず 意志は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」[3]。そこで分かりました。わたしは修煉者ですので意志の力がないはずがありません。それからは常にこの法を暗唱するようにしました。

 同修たちは私を心配して夜も一緒に寝てくれ、決められた時間になると一緒に煉功したり発正念したりしました。地元の同修たちは真にまとまり、私のことを自分のこととみなし助けてくれました。同修たちの行き届き配慮された交流の下で、私は少しも外へ向かって探さず、同修が私の間違ったところを指摘されれば、完全に内に向かって探しました。しかも探した人心は、全部公に表にさらけ出しました。これこそ、師父が要求されていることだと悟ったからです。その時私は、「まさか暴露を恐れ、面子にこだわる執着心が、自分の命より重要だとまだ思えるでしょうか? この執着心が、神になることより重要でしょうか?」と自問自答しました。この間、師父も私にこれらをすべてさらけ出すように悟らせてくださいました。私は自分が修煉してからの全部の間違いと、人心を大いに暴露しようと決めました。暴露を一番恐れているのは私ではなく旧勢力で、それらを暴露したら否定することになり、それらの存在も認めないことになるので、それらはすぐ滅びます。

 初めて人心を暴露する時、私は同修と自分が色の上で犯した間違いを全部話しました。しかも、自分の心の中で、誰かに知られるのを恐れれば恐れるほど、すべて話しました。恐れる心の中にはいろいろな人心、例えば名を求める心、面子に執着する心、分別の心、他人が知るのを恐れる心や、他人が自分を見下すことを恐れる心などが隠れているからです。私は、自分が全部の人心を放下して、本当に師父の説法に従わなければ、関を乗り越えることが出来ないと分かっていました。それは旧勢力が私の人心に対して迫害を行っているからです。夜、夢で何匹もの蛇が死んでいるのを見ました。これは私が暴露したことが正しいとの師父の悟らせだとすぐ分かりました。

 後でまた様々な人心を見つけました。噂を広げることが好きな顕示心、自我を証明する心、毎日大法の仕事をすることばかりを重んじ、法の勉強を軽視する心、しかも、これこそが修煉だと思っている心などがありました。このような人心の下では学法する意味が全くなく、煉功と発正念も追いついておらず、完全に常人が大法のことをしているようになっていました。私の暴露によって、多くの人心がなくなりました。それは一切の良くない行為は旧勢力のせいで私とは全く関係なく、真の自我は「真・善・忍」で構成されているからです。

 私は自分の全部の人心を見つけたと思いましたが、病気の症状は変わりませんでした。ある日、同修はどうすれば私を助けて、関を乗り越えることが出来るかを考えていました。そして『轉法輪』を持って師父の悟らせを求めたら、不意に不二法門のページを開きました。同修からこれを聞いて、私はすぐ自分にどこに漏れがあるかが分かりました。地元に天目が開いた学習者がいましたが、彼女と別の1人の学習者が天に上って、大佛と真相を伝える方法を作り出しました。まずは大佛を拝んでから大佛に真相を伝えるということで、私も参与しました。それらを拝んだら、それらがあなたを制御しますが、旧勢力はこの債務を堅く掴んで、私を死なせようとしていたことに気づきました。 

 ある日の午後、同修と一緒に『轉法輪』の「修煉は専一でなければならない」を読む時、読めなくなりました。呼吸さえできないほどの激痛にもう一回襲われ、私はベッドの上でのたうち回るしかありませんでした。同修達はすぐ私のために発正念をしました。私はこの難は自分が旧勢力を暴露し、滅しようとしたからで、それらが必死に抵抗していると思いました。夜になってより多くの同修たちが来て一緒に、「修煉は専一でなければならない」の部分を何回も繰り返して読みました。そして、発正念しましたが、夜12時になっても私はやはり激痛が治まりませんでした。翌日ある同修が、厳正声明を発表して、それらを徹底的に否定すべきだと教えてもらいました。私はすぐ厳正声明を書いて、同修が明慧ネットに発送するとお腹はそれほど痛くなくなりました。天目が開いた小同修から師父が、「学法、煉功、発正念、衆生済度」と字を書いてくださったことを見たと聞いて、私の決意はもっと堅くなりました。

 思想の中で否定するだけでなく、行為で否定することこそ真の否定だと私は悟りました。ですから、師父の要求されたように三つの事を全部やるべきです。

 私はお腹が大きくなった時も、同修に伴って外に出て真相の資料を発布することを続けました。一日目は大きなお腹を全部足で支えるから足が動かなくなりましたが、それでも堅持し、毎晩外へ出ました。毎日続けるうちに、徐々に遠くまで行くことができ、足も日増しに軽くなり、最後の数日は自転車に乗ることさえ出来ました。これは師父が私を助け、励ましていらっしゃることだと悟りました。その後、昼でも同修と一緒に定期市で真相を伝えることもできました。

 関を乗り越える間、私は師父の法像の前に跪いて何回も泣き、何回も心の底から師父にごめんなさいと謝リました。そして、心の中で思ったことと決意を全部師父に話し、心の底から自分の間違いを懺悔しました。このように固い決意を持って、1日1日堅持し歩みました。ついにある日ソファーに坐っていたら、おへそのところが上下に動いているのを見つけたので、すぐに師父が私を助けて、身体を浄化してもらっているとわかりました。 お腹もしとしとと漏れていました。本当に「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[4]でした。私にはやっと希望が見えました。師父に出来ないことはありません。

 この期間中、私は緩めることなく無条件で内に向かって探し、身体は徐々に良くなりました。まるで師父のおっしゃったとおりです。「瓶の中に汚い物を一杯入れて、蓋をしっかり閉めてから、水に投げ入れると、底まで沈んでしまいます。中の汚い物を出せば出した分だけ瓶が浮き上がってきます。全部出せば、完全に浮き上がってきます」[5]

 ここで師父の私に対する慈悲に、感謝を申し上げます。跪いて師父を拝みます。師父が私に二つ目の生命をくださったことに感謝いたします。また、私に対する同修たちの私心のない手助けに感謝し、心の中から、「ありがとうございました」とお礼を申します。これまで私を助けてくださった、全ての同修達に感謝いたします。

 不適切なところは、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1]  李洪志師父の著作: 『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」
 [2]  李洪志師父の著作: 『精進要旨二』「真性を見る」
 [3]  李洪志師父の著作: 『洪吟二』「正念正行」
 [4]  李洪志師父の著作: 『洪吟二』「師徒の恩」
 [5]  李洪志師父の著作: 『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/30/351799.html)
 
関連文章