師父のご加護に感謝
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年9月17日】佛法に限界はありません! 修煉の道を歩んでいる人こそ、この素晴らしさを感じ取ることができるのです。

 1997年のある晩、非常に鮮明な夢を見ました。自分はある巨大な佛像の足元に立ち、その巨大さは顔を上げても佛像の足の爪でさえ見えないのです。その佛像は目を少し開けて私を見つめていました。すると、遠くから小さな黄金色の佛像が飛んできて、ゆっくりと目の前の大きな佛像の中に溶け込んでいったのです。目が覚めて、夢の中で見た光景をじっくり思い返しながら、頭の中に深く刻み込みました。

  一、修煉の道に入る

 同じ年の秋頃、親戚(大法弟子)から『轉法輪』と、市立図書館の2階で師父の説法ビデオを見る会の入場チケットをもらいました。そこへ見に行ったところ、ビデオの最初の部分に出てくる小さな黄金色の佛像は、まさに夢の中で見たあの小さな佛像だったのです!

 1999年「7.20」の2カ月前、師父の導きにより学法チームに参加し、「7.20」の1週間前には煉功の録音テープが手に入ったのです。大法を修煉したいという私の切実な心を見られた師父は、修煉の環境を整えてくださいました。まさに「修は己にありて、功は師にあり」[1]でした。

 師父は全てを用意して下さったのです。

 二、師を信じ 法を信じる

 迫害が始まった頃、私はまた夢を見ました。夢の中で私はある部屋に閉じ込められて、誰かに尋問されていました。これでも法輪功を修煉するのかと聞かれ、もし、まだ修煉するならそこにいる大きな犬に噛ませるぞと脅されたのです。しかし、私は少しも怯えず、「私を噛む? お前にそんな度胸は無い」と思い、髪の毛の中から眉毛を引き抜く毛抜きピンバサミを取り出し、大股で犬の方に向かって歩き、吠えている犬の口を上から勢いよく刺しました。すると小さな毛抜きが大きなフォークに変わり、先程まで獰猛(どうもう)に吠えていた犬が瞬時に床に倒れたのです。目が覚めてから、夢の中の出来事を思い返し、自分が思っていたよりもずっと度胸が据わっていたと分かりました。そして、この夢を通じて、大法を修煉する決心がさらに固まりました。

 ある日の仕事帰りに、住宅区から法輪功の書籍を1冊残らず提出し、それに自分の名前も書くようにという通知が伝言板に張られていました。マンションの下に着くと近くの事務所から、「法輪功を修煉したことのある人は、本を提出しなさい」という声が響き渡りました。私と一緒にいた同修は、「あなたは本を提出するの?」と尋ねられて、「本を買う時は自分のお金で買ったのよ。どうして彼らに渡さなければならないの? 出さないわ」と冷静に言いました。

 翌日の朝、通勤バスに乗り込み、1番後ろの座席に座りました。走っていくうちにバスは満員になりました。その時、ふと運転手の前のガラスから道路が見えた気がしました。道路は非常に広くて、視界もはっきりしており、まるで自分が運転席に座っているかのようです(私の席から前の道路など到底見えるはずがありません)。バスはどんどん前に走っていき、途中病院と火葬場を通りました。病院も火葬場も人であれば必ず通る場所ですが、私は違うと悟りました。私はもうその次元にいないと感じたのです。

 三、誓約を果たす

 1999年7月20日、中国共産党による法輪功への弾圧が始まり、私は法を実証するため上京しました。北京から帰ってきた後、私は自らの体験から人々に大法の素晴らしさを伝え、経験を積んでいくにつれて真相の伝え方も段々と分かってきました。それからは、手書きの「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」の横断幕を作ったり、シールを張ったり、チラシを配ったりして、人々に大法が迫害されている真相を伝えていきました。時間が経ち、資料もあるので、自分なりの法を実証する道を切り開くことができました。これまで厳しい道のりでしたが、大法を得た自分は幸せだと思っています。

 それから、『九評共産党』が出版されて、「三退」を勧め始めました。同修でもある家族と共にまず親戚から着手し、それからは実家の知り合いや友人たちにまで広めていきました。私たちの努力で、親戚や友人たち全員が共産党から脱退し、大法の素晴らしさを理解し、皆救われました。

 定年退職後、私は家で開いた資料拠点に専念し、初めてレーザープリンターを買いました。当時、邪悪による迫害が酷かったため、全体の資料拠点が閉鎖されてしまったのです。誰も機械を扱ったことがなかったので、家族全員で取扱説明書を何度も読み返しながら、なんとかプリンターを作動させることができました。最初は自分たちの分さえ印刷できればいいと思っていましたが、いつの間にか他の同修たちの需要を供給できるようになり、それからは、師父の教えに従い、ご加護の下で、何とか今日まで歩んでこられました。当時、プリンターにはインクが不可欠であり、補充しなければいけないことを全く知りませんでしたが、不思議なことに、このプリンターを買った当初から、本体についているインクをなんと1年近くも使っていたのです。資料拠点の資材の調達はお米や野菜と同じように、すでに毎日の生活の必需品となり、家族全員の参加と協力の下、今日まで正常に機能しています。

 初冬のある晩の8時過ぎたころ、私は電動自転車を漕ぎながら同修に資料を届けに行きました。ふと夜空を見上げた時、満天の星が遠い宇宙から私に向かって飛んできて、まるで星空にいるような気分になりました。そして、頭の中に浮かんだ歌詞に曲を付け、そのまま家までずっと歌って帰りました。

 帰宅後、あの表しがたい美しい光景が頭の中から消えず、私の気持ちもずっと高まったままで、帰宅時に歌った歌詞を書き留めました。翌日、同修が家を訪ねて来て、「これはあなたが書いたの? 作曲家の同修を知っているから、今度紹介します。この歌詞に曲をつけて発表すべきよ」と言われたのです。実の所、私の学歴はあまり高くなく、歌詞など書けるはずがありません。これも師父が私の記憶を開き、知恵を授けてくださったのです。

 後に作曲家の同修が曲をつけて、完成された作品を渡してくれました。驚いたことに、同修がつけた曲はあの晩、自分が口ずさんだ曲とほぼ同じメロディだったのです。「慈悲の心」という曲目で、歌詞は以下の通りです。

 私は素晴らしき世界からやってきて

 常人社会に降りて千万年になる

 慈悲な師父が訪れるのを

 迷いの中ずっと待ち続けている

 私は遠い世界からやってきて

 かつての誓約を心に刻む

 風雨に打たれても初心を変えず

 宇宙の大法を待ち続けている

 私は広い宇宙からやってきて

 今世の為に層々と次元を降りてきた

 万古の天門は既に開かれ、

 師父の慈悲な心を歌い続けよう

 師父よ、師父よ、私を救ってくれた師父に感謝

 師父よ、師父よ、私を救ってくれた師父に感謝

 師父はこのように説かれました。「皆さんが当初、法を得たとき、この法に出会って、特に私が言った三種類の人の中の1番目と2番目の人は法に出会ったとき、『本当にとても嬉しい! 良かった! やっと見つけた!』と思っていたのです。人間が千万年にわたって輪廻しながら待っていたのはこれではありませんか? その時、生命の深いところで受けた感銘によって、あなたはどんな人心も放棄することができ、必ず自分をしっかり修めると決心しました。あの興奮した気持ちで精進していました」[2]。私もこれ以上怠ることなく、ただひたすら師父についていき、誓約を果たしたいと思います。

 それから時間が経ち、ついに技術専門の同修と出会いました。同修からたくさんのことを教えてもらい、私の技術も少しずつ上達して、多少のことは自分でも解決できるようになり、他の同修を助けることもできます。初春のある日のことでした。ある同修に機械を届けに行き、帰りにバス停でバスを待っていました。その日は格別に寒く、あまりもの寒さにより歯がガタガタと震えていました。バスに乗り込むと扉近くの座席に座りました。当時のバスにはまだ暖房がなく、四方から隙間風が入り込んできます。しかしながら、体の右半分が急に熱くなり、ふと見ればそこには青い火が自分の手の甲を嘗めていて、まるで暖炉のそばにいるかのように全身がほかほかになりました。その時、目に涙が浮かび、師父への感謝で心がいっぱいになりました。「ありがとうございます! ありがとうございます!」と何度も心の中で師父に伝えました。師父がおられて本当に良かった、修煉していて本当に良かったと実感しました。慈悲なる師父は常に傍で私を見守っておられるのです。

 2008年、北京オリンピック間近の数日間は、当地域では大規模な道路安全調査や郵便局、各市町村、マンションの入り口にまで役員が待機し、人数の統計を行っていました。毎日資料を配りに各住宅区を回り中に入ろうとすると、ほぼ毎回身分証を提示させられましたが、特別に何かされた訳でも言われた訳でもなく、「通ってよし」とだけ言われてそのまま素通りしました。ある日、ある住宅区内で同修に出会いました。遠くから私を見たその同修は口を大きく開けたまま唖然とし、しばらくして、「よくうちの区に来られたね! うちの区の検査はすごく厳しいのに!」と言われました。

 また、ある日、あるマンションでポスティングしている時に、犬がいました。その犬は小さく鳴きながら私の前まで走って来たので、「私は衆生を救いに来たの。『法輪大法は素晴らしい』ということを覚えてね。ここでポスティングするから、誰か来たら教えて」と伝えると、その犬は静かにその場に体を伏せました。ポスティングを終え、正門ではなく、裏門から出たいと思った時、その犬は直ちに立ち上がって小さく吠えた後、まるで道を示すかのように私の前を歩き出したのです。犬の後をついてしばらく歩いていると、遠くに小さな裏門が見えました。自分の考えを理解してくれた犬に感動し、しゃがんで礼を言った後、裏門をくぐって外に出ました。その犬は私がいなくなるまでずっと静かに見ていました。これも師父の按排だとすぐに悟りました。

 当時、郵便局の前には必ず保安官がいて、駐車場にはパトカーも待機していました。郵便局の近くまで行くと、ポスティングの邪魔にならないよう早く保安官とパトカーに去ってほしいと強く念じると、パトカーや保安官はほぼ毎回去ってくれます。このように毎回、師父に守られているので、師父への感謝の気持ちはとても言葉に言い表すことはできません!

 四、正念を固める

 2012年2月17日、同修の家を訪ねようとして、道中で連行されてしまい、家宅捜索され、大事な物品を差し押さえられました。警察署では、最初から警官たちに真相を伝え、自分が法を得た経歴や大法の素晴らしさも伝えました。ちょうどその時、同じく連行された同修が2人警察署に連れて来られました。警官に問い詰められている同修の手が震えていたので、私は直ちに発正念をしました。自分の空間場のエネルギーと正念が非常に強く、全身が熱くなり、足の裏から熱気が上がっているのが分かり、すぐに師父の加持だと悟りました。

 事情聴取を受けている時、筆記担当官のパソコンのディスプレーに「尋問記録」という4文字が目に入り、瞬時にある念が浮かび上がりました。私は大法弟子なので、この人たちに尋問されるわけにはいかないのです。すぐに椅子から立ち上がり、ドアを開けて外に出ました。後ろで「おい! どこへ行く?!」という警官の声がしましたが、突然意識を失ってしまいました。次に目を開けたところ、自分はもうすでに警察署の影さえ見えない遠いところに立っていたのです。師父が私を警察署から引っ張り出してくださったのです!

 家を失い、露頭で彷徨っていた時期は、恐怖心が生まれ、また、怠惰したり、寂しくなったりもしました。しかし、師父と大法への信念は少したりとも揺らいだことがなく、疑いも全くありません。「修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」[3]と師父が説かれました。このような気持ちになったのも自分がしっかり修煉していないからです。

 文化大革命により幼いころに父親を亡くし、補うことのできない遺憾を作ってしまいました。『九評共産党』が出版されてから、共産党に対する憎しみがなかなか収まらない時期がありました。中国共産党が一体何なのかに対して徹底的に認識を持つことができましたが、幼いころから共産党に対する反逆的心理により、慈悲深さが足りなかったのです。

 そこから生まれた憎しみと仕事にばかり専念したので、師父の教えからどんどん離れていきました。学法を通じて、平穏な修煉こそ旧勢力の按排を否定し、法を実証する道であるということに気づきました。それから、超時間法を勉強し、『洪吟』も暗記し、家にいる時は大法弟子の歌を唄い、全ての思考を法理で正していきました。少しの怠惰も許さず、真に家に向けて自分自身を探り、憎しみと家族に対する情を除去していきました。師父の法こそ、衆生が救われる希望であると改めて認識しました。

 家族全員が真相を理解し、皆福報を得ており、これまで起きた数々の奇跡的な出来事は、とても数えきれません。「7.20」以前、すでに3人の学習者がおり、現在では、7人の大法弟子と4人の子供弟子がいます。私たちの修煉により家族全員が師父の恩恵を受け、子どもたちの学業や、大人たちの職業はすべて順調です。私たちの歩む道は狭いのですが、それでも、私たちには師父のご加護があり、全ては師父が按排してくださるのです!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文: 『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作: 『ロサンゼルス市法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/2/351968.html)
 
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