文/米国の大法弟子
【明慧日本2017年9月18日】近日、法輪大法学会は、数人の米国人が米国の上層部に真相を伝えるという理由で株式会社への投資に学習者を引き込んだことを明慧ネットで通告し、問題点を指摘し、善意で説得して止めさせました。加担した大部分の修煉者は間違っていたことに気づき、すぐに改めましたが、数人の修煉者は不満を感じ、自分のどこが間違っているのかがわからず、通告の中で述べられていることと自分の考え、および具体的な状況は異なっていると考え、さらに、法輪大法学会が行った調査は不十分で納得できない、と感じました。
このことは修煉の原則に対する認識の問題を反映しており、さらに交流し討議する価値があると考えます。そこで、ここではこのことに関するいくつかの簡潔な討論を取り上げます。
一、修煉者は内に向けて探さなければならない
まずはじめに、師父は、私たち大法弟子がトラブルに遭ったら内に向けて探さなければならない、と繰り返し教えてくださっています。通告は修煉の原則と人を救う大事に及んでおり、指摘された人と物事に対して決して偶然なことはありません。宇宙の中で大法弟子には高い心性の要求があるので、修煉者が会社を始めることと、常人が会社を始めることでは目的と要求に多くの違いがあります。常人の経営の理に符合した上で、さらに修煉の理にも符合しなければならず、常人の角度と理からだけで認識することはできません。トラブルに遭った時、心を静めて学法し、自分を探してはじめて、修煉者のとしての証明と風格を保てるのです。一方で、修煉中に過ちが現れることは避けられず、人が修煉しているのですから、修煉の過程で過ちを犯す可能性はあります。重大なことは「自分の過ちを探し、法理からの認識と心性から向上することができるか」ということです。自分を修煉者として、法そのものを師として内に向けて探し(外側に押しやって、妨害にはまり続ける中で自分を弁解、弁護するのではなく)、それではじめてすぐに向上し、危難を抜け出すことができるのです。
二、自己中心にならない
私たち大法弟子の心は真相を伝え人を救いたいというところにありますが、道は必ず正しく歩まなければなりません。自己中心的に行い、重要な方面で損失をもたらせば、その由々しき結果は私たちでは責任を負いきれません。
たとえば、ある特定の階層の人々に対して系統的に真相を伝えるために、どのタイミングで伝え、どのようにして本当に人を救えるのかは、法を正す中で順序良く按排されているかもしれず、個人の考えでできるものではありません。前述の企業が提供するコンサルティングの方法と対象は、常人から見ても適当ではありません。自分を中国問題の専門家だと名乗り、深く理解していなかった領域と高官に接触し、政治経済に関する情勢の分析を行いました。ここ数年、一部の学習者は政治情勢と社会の発展方向の分析に非常に熱を入れ、これによって常人の支持を引き付けようとしました。自分が何を言うべきで何を言うべきでないか、本当にはっきり説明する能力があるかどうかに気づかなかったのです。「個人の強い執着と観念を抱いて何かを行う時、往々にして人を救う効果を得ることは難しいのみならず、相手に対して大法に対する誤解を生みだしてしまう可能性がある」ことを私たち大法弟子はみな知っています。それなら、人を救いたいと思っている大法弟子にとって、このことは志とは違うことになりませんか?
メディア関係の仕事とは、社会で発生した事や人々が関心を持つことを中立的に、正確に、客観的に報道することです。修煉者として、私たちの心は政治を行うことにはなく、ましてや人々を誤って導くことにあるわけではありません。しかし、ここ数年、この方面に誤って入り込んで問題を起こし、さらには亡くなってしまった例も多くあり、私たちはこれを以って戒めとしてはじめて、理性的に、本当に自分のため、人々のために責任を負える態度が取れるのです。
三、真相伝えは報酬として同修のお金を受け取らない
上述の企業は経済的な面で、不明朗にそのほかの学習者のお金を報酬として受け取っていたという原則的な問題に及んでおり、これは許されないことであり、非常に危険なことでもあります。以前にも似たようなことがあり、法を実証するために多くの大法弟子がお金を払い、プロジェクトがまだ利潤があがっていない状況下で学習者のお金を給料として受け取り、これを口実として旧勢力に寸でのところで命を奪われるところでした。今回の企業も初めの着想から誤ったプロジェクトであり、正常な経営収入はなく、学習者のお金を給料としており、大法の資源を消耗した問題はさらに深刻です。
金銭面においてきちんと把握しないと重大な結果に直面することは、法の中で何度も説かれています。師父は私たちのために厳格な決まりをお作りになりましたが、まさに私たちを大切に思っていらっしゃるからにほかなりません。
四、法を実証する際、常人と協力することの危険
上述の企業は常人と協力してプロジェクトを行おうとしましたが、その企業が言っているような方法で本当に真相を伝えようと思っても、このような常人との協力は危険です。なぜなら、常人は容易に妨害されやすく、このような例がとても多いからです。常人は利益を考えるために妨害され、さらには、私たちと仲たがいして仇になる可能性さえあります。私たちは人を救わなければならないのに、このような状態でどのように人を救うのですか?
師父が『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』の中で私たちに諭されたことを心を静めて学ぶべきであり、この師父の教えをわかっているかどうか、自分で考えてみてください。師父は「何かの秘密があるからではなく、何と言っても中共が迫害している時期なので、常人の会社はお金に買収されやすく、人間の情に動かされ動揺してしまい、邪悪の虚言で判断できなくなってしまいます。今までこのような経験がたくさんありました。常人は大法弟子が運営するプロジェクトに参加すると、すぐ撹乱の作用を働き、うまくいきません。この教訓がたくさんあったので、皆さんはこれらのことに気をつけるべきです」と説かれました。
正しい修煉の道を歩む
法を正す時期の大法弟子が行うすべては未来の生命に参照として残されるので、私たちは少しも道を外れてはいけません。中国共産党のこんなにも長年の迫害でさえ大法に対して本当の破壊作用を引き起こすことはできませんが、もし私たち自身が不正を行えば、旧勢力に利用され、破壊され、修煉者と人々に損失をもたらすのです。
修煉において小さな事はなく、以上のことに限らず、どんなことでも生命にかかわることです。みなさんは度重なる魔難を経験して今日まで歩んできているので、修煉者は全て大切にされる価値があり、正しくないことはすぐに制止しなければ損失を減らすことはできません。これは修煉者を守るためなのです。真に修煉してきた大法弟子として、今回のように明確に指摘されたことには厳粛に対応しなければならない、ということを知り、何らかの口実を設けて弁護し、覆い隠してはいけません。内に向けて探し、誤りを正し、自分の修煉に責任を負い、法のために責任を持たなければなりません。法から、理性的に純正に自分を修めてはじめて、私たちが最後の修煉の道をしっかり歩むための助けとなるのです。