法を読む時 よく間違えて読む同修との交流
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年9月20日】母の学法グループには年配者の同修Gさんがいます。学法の時、よく間違って読んだり、文字を飛ばして読んだりします。ほかの同修は仕方なくその都度、その都度指摘してあげますが、時間が長くなると、同修Gさんも少し耐えられなくなりました。そしてある日、同修Zさんが同修Gさんの間違いを指摘したところ、トラブルが生じ2人は1周間以上会話しなくなり、同修Zさんはもう少しで他の学法グループに行ってしまうところでした。母の交流と説得の下、この学法グループは解散せずにすみました。

 師父が私たちに残してくださった修煉形式には、集団学法も含まれています。もし同修の間に修めきれてない人心があって学法グループが解散したら、それは旧勢力の按配した道を歩んでしまうのではないでしょうか。同修Zさんは最終的にこれは旧勢力が大法弟子の間に間隔を作っている、大法弟子が集団学法する環境を破壊しようとしていると分かり、自ら同修Gさんに声をかけました。同修Gさんが相手にしてくれなくても、気にしませんでした。最終的にトラブルが解消され、この学法グループはこの関を乗り越えました。

 ここで私は主に法を読む時、よく間違って読んたり、文字を飛ばして読んだりする問題について、交流したいと思います。

 学法する時、間違って読む人は表面的にみると知識レベルが低いか、年齢が高い年配の同修です。しかし、私達は修煉しているのですから、人間の表面から問題をみてはいけません。これは法を読む時主意識が強くなく、心が完全に学法することに置かれていない問題で、時間、学法しても法を得られず、法理が見えず、心性も向上しません。特に年配の同修は心性の向上と身体に対する妨害が大きくなります。同修Gさんは今でも薬を完全にやめることができません。ただ学法して病気を治療し、健康を保持する、大法から良いところを得る状態に留まっています。法の一つ一つの文字の背後はみな無数の佛、道、神ですので、もしいつも間違って読んだなら、軽く言えば、師父を尊敬せず、法を尊敬しないことになり、厳しく言えば、法の内涵を変えることになります。法は連続して貫通しているものなので、長期にわたり間違って読めば、真の学法とはいえません。

 実際知識レベルが低いとか、年齢が高いとかうんぬんを強調するのも人間の観念です。大法は智慧を開き、できないことはありません。ただ心を学法に使えば、何でも変えられます。私が知っている1人の朝鮮民族の年配の同修は今年70歳以上ですが、最初法を得た時、中国語を話せず、法を読むことは尚更でした。当時、朝鮮語の『轉法輪』がまだなく、彼女は小学生の孫に学び、その後、孫が嫌がると幼稚園で使うピンインを学ぶ図を買ってきました。孫は先に彼女にピンインを教え、その後、彼女に辞書の調べ方を教えました。それから、その同修は自分で字を学びました。半年後、彼女はやっと自分1人で『轉法輪』を読めるようになりました。留置場で私が彼女に『洪吟』を教える時、「蒼窮は無限に遠く」[1]と教えると、彼女は私に「どういう意味ですか?」と聞きました。彼女は字の表面的な意味も知りませんでした。彼女は「あなた達が8回、10回で暗記できるものでも、私は100回、200回と繰り返して暗記しないといけません」と言いました。

 こうして彼女は『洪吟』の全ての詩と『精進要旨』の一部の経文を暗記しました。その後、彼女と同じ監房に他の大法弟子がいなくなりました。同修が彼女に残した手書きの経文を学ぶ時、彼女は知らない文字があると常人に聞きました。常人も再々聞かれると嫌がって、「字も知らないのに法を学ぶなんて、それなら学ばなくてもいいのでは」と言いました。彼女は一言も言い返しませんでした。でも次回またわからない字を聞いてきました。

 数年後、彼女に会った時、公安機関の国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の大隊長当てに書いた真相の手紙を私に渡し、正しく直してほしいと言いました。私が修正した後、彼女は一字づつ丁寧に書き写しました。彼女の書いた字をみて私は非常に驚き、「おばさんの書いた字は、なぜこれほど美しいのでしょうか。あまりにも正確な楷書です」と褒めました。彼女は笑いながら、「これは書くというより、描いています。私の字は本からそのとおりを、一筆ずつ描いたものです」と答えました。その年配の同修は9回も強制連行されましたが、その後、留置所は彼女を受け入れませんでした。理由は年齢があまりにも高過ぎるということでした。

 私は心よりこの同修に敬服しました。彼女は学法する時、度重なる困難を克服する強い意志と、師父と法を信じる確固たる信念を持っていました。私は自分と周りの多くの同修や、自分では知識レベルが高く、法理がはっきりわかっていると思っている同修達と比べてみて、とても彼女には及ばないと感じました。

 常に法を間違って読む同修にこの問題を重視するよう望みます。間違いを指摘されても怒らずに、なるべく間違わないようにしてほしいのです。知識レベルが低くて、年齢が高いことなどは人間の観念であり、人間の観念を捨てれば神の奇跡が起きます。間違って読むことが、あなたのあるべき状態だと思わないでください。「法を学びて法を得る 比べて学び比べて修す」[2]ことは、師父の私達に対する要求であり、師父の話を聞いてこそ、やっと師父について家に帰ることが出来ます。

 注:
 [1]  李洪志師父の詩: 『洪吟』「洪」
 [2]  李洪志師父の詩 『洪吟』「着実に修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/27/351669.html)
 
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