貴重な記憶と深い感謝
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文╱中国の大法弟子 李平

 【明慧日本2017年9月24日】幾つかの村の同修が一緒に集まり、皆は心を開いて交流し、それぞれ法輪功を修煉してから、最も心に残る出来事を話し合いました。皆さんは互いに励まし合い、三つのことをしっかり行うことを誓い、師父に対して深い感謝の意を表しました。次に、いつくかのお話を皆さんにご紹介したいと思います。

 一、初めて『轉法輪』を読んだ時、「喜」の文字が見えた

 今年54歳の麗珍さん(別名)ははじめて『轉法輪』を開いた時、すべてのページに大きな「喜」という文字が目に浮かび、もう一度確認をして見たら、文字がすべて紅色に見えました。そのため、彼女は修煉する決意をしました。

 煉功してから、産後の腰痛や足の痛みが日に日に良くなり、次第に、彼女はまっすぐ立てるようになり、そして、仕事も出来るようになりました。彼女はとても嬉しくなって、毎日欠かさず煉功しました。

 ある日、昼ごはんを食べてから、彼女はまた煉功を始めました。2人の子供が彼女の後ろで走り回って騒いだため、彼女は「やめなさい!」と、壊れた椅子を持ち上げ、子供達を脅そうとしました。しかし、壊れた椅子の背もたれで手を切ってしまい、傷口からの出血が止まらなくなりました。しかし、翌日、何の手当もせずに傷口はすっかり治ったそうです。

 煉功してから間もないころ、彼女は胸が痛くなり、しかも息が出来ないほど痛くなりました。彼女は1週間ほど寝込んで、その間、梨1個しか口にしませんでした。病院に行って検査をしても、「特に病気はない」と言われました。その後、彼女は「自分は修煉者で、病気なんかあるはずがない」と悟り、その後、彼女は本当に病気になった事もなければ、体調が悪くなった事もありませんでした。

 二、薬代の穴を埋めた

 玉梅さん(別名)は大法の修煉をする前、いろんな病気を患っていました。出産後、ひどい気管支炎になったため、呼吸する時、ゼーゼー、ヒューヒューと離れた所からでも聞こえるほど大きな音がしていました。関節炎もひどく、当時トイレに行く時も、何かを掴んでいかなければならず、仕事は全く出来ない体でした。毎日の薬代や注射代の出費はかなりの負担になり、夫は「年がら年中病院のために働いているようなものじゃないか。いつになったらお前の薬代の穴を埋められるんだ」と不機嫌に言いました。

 彼女が修煉してから間もなく、江沢民集団が大法に対して誹謗中傷をし、弾圧を始めました。夫はテレビの嘘の宣伝に騙され、彼女の修煉を必死になって反対し阻止しようとしました。ある日の夜、2人はまた大喧嘩をしました。玉梅さんは腹をくくって、断固として大法の修煉をする意志を伝えました。彼女は泣きながら鼻水をかみ、夜中までいっぱい鼻水をかみました。

 「寝た後に夢を見ました。血を吐いた夢を見て、地面に血溜まりが幾つかが残っているのを見ました。翌朝起きて見ると、私がかんだ鼻水の半分は血だったのです。不思議なことに、その後、私の体が軽くなり、どんな仕事も出来るようになり、薬も飲まなくなり、注射もしなくなったのです。それから、私の薬代の穴を埋められ、夫も私の煉功に反対しなくなりました」と彼女は当時の事を振り返って言いました。

 三、夫は借金して、私に北京に行かせた

 71歳の吉珍さん(別名)は自分の事を次のように話してくれました。

 「長男は28歳の時に交通事故で亡くなりました。その後、私はかなり落ち込み、足も我慢出来ないほど痛くなりました。もともと甲状腺の腫瘍を持っていた私は、息子を失った悲しみと病痛に苦しめられ、生きて行く気力を無くしました。そのため、家の雰囲気は暗く、夫もいつもため息ばかりついていました」

 「法輪功を修煉してから、私は心身ともに健康となり、笑顔も出て来て、家はいつもきれいに片付いて、楽しく明るくなったのです。夫は嬉しそうに、『おまえが煉功をすれば、俺も受益するのだ』と言ってくれました」

 「1999年7・20」中国共産党が法輪功を迫害した後、私は北京に行って、法輪功のために一言公平な話を言いたいと思いましたが、家にはお金がなかったため、夫は人から500元を借りて来て、旅費にしてくれました。その後、私は4回も警官に連行され、迫害を受けましたが、毎回、夫は警察に行って私の釈放を求めました」

 四、大法から子宝を授かった

 今年45歳の真琪さん(別名)は1996年12月に結婚しました。しかし、翌年、彼女は甲状腺機能亢進症になり、不妊症になりました。病気治療のため、彼女は様々な高価な薬を試しましたが、いずれも効き目はありませんでした。1999年、母方の祖母が入院して、彼女は祖母を看病した時、「法輪功は病気治療と健康維持に特効がある」と聞き、家に帰って、早速煉功場を探し、その年の5月に修煉を始めました。

 煉功して間もなく、彼女は体が軽やかになり、心に喜びを感じ、病院で検査をしたら、甲状腺機能亢進症が消えてなくなったことが分かりました。そして2001年、真琪さんは元気な男の子を出産し、家族全員は大喜びました。皆は子宝を授けてくださった大法に心から感謝しました。

 五、近所の人「彼らが本を没収するなら、僕は許さない」と言った

 今年73歳の秀娥さん(別名)は50歳を過ぎた時、二重の魔難に遭遇しました。20歳になったばかりの末息子は事故で感電して亡くなり、その後、夫も病死しました。この突然の打撃を受け、彼女は悲しみのあまり死にたいと思いました。毎日夜になると、彼女は辛くて眠ることができず、何度も起きて嘔吐を繰り返しました。お金がないため、彼女は病院で検査することも出来ず、治療も受けられませんでした。村のある法輪功学習者は彼女に法輪功の功法を教えてくれました。学校には一日も行ったことのない彼女は、同修に読み書きを教えてもらいながら法を習いました。約1年半をかけて、彼女はついに『轉法輪』を通読することが出来ました。

 法輪功を修煉することによって、人にはそれぞれ宿命があるという道理が分かった彼女は、次第に夫と息子を失った苦しみから抜け出し、ご飯も食べられるようになり、寝られるようになりました。

 九死に一生を得た彼女の変化を見て、近所の人も大法のことを認めるようになりました。ある日、村の幹部が彼女の家に妨害に来た時、近所の人は入口でその幹部を止め、「彼女は親戚の家に行って留守をしている」とごまかしてくれました。実は彼女はその時畑で仕事をしていました。近所の人は「彼らが法輪功の本を没収するようなことをしたら、僕は絶対許しません」と言ったそうです。

 六、師父は時々刻々見守ってくださっている

 剣虹さん(別名)は自転車に乗って、法輪功のポスターを貼りに出かけました。1枚のポスターを貼ってから、さらに先に行こうとした時、自転車は突然動かなくなり、ハンドルも動かなくなり、タイヤの空気も抜けてしまいました。「この中途半端な所で、どうすればいいか」と悩んだ時、彼はふと前に1台のパトカーが走っているのを見ました。「なるほど、師父はこの方法で私を守ってくださっているのだ」とはっと悟りました。

 しばらくしてから、パトカーは行ってしまいました。再び自転車を押して見ると、すべて正常に戻っていました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/12/349930.html)
 
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