文/湖南省の大法弟子の家族
【明慧日本2017年10月19日】法輪功のことを、あなた達はどのように見ていますか? 私は法輪功の修煉者ではないのですが、法輪功修煉者の家庭の中で生活しています。
私にはガールフレンドがいました。彼女に父が法輪功の修煉者であると告げた時、彼女の表情は強張(こわば)り恐怖を感じたように、「なにも言わないで、聴きたくありません」と言いました。その時私は彼女に大法の真相を分かってもらいたいために、焦る気持ちで話し続けました。彼女は極度に抗議して、「これ以上まだ話すのなら、私は帰ります!」と怒りました。
彼女の心情を私はよくわかります。なぜなら共産党文化の環境の中で成長し、天地を覆い隠すほどの偽りの宣伝と虚言によって、人々は心の底から恐怖に陥れられたのです。この時の私の心情を、あなた達は理解できないでしょう、私はほんとうに絶望しました。
今まで多くの人が私に聞きました。「あなたの父親は法輪功を修煉していますが、あなたは支持しますか?」。私の答えは「えっ・・・、そんなに知りたいのですか? ならば、私たちに関するこれまでの経緯をお話ししましょう」
私はサラリーマンの家庭に生まれました。祖父はタバコを吸っていたため、53歳の時に肺ガンで亡くなり、私は祖父に会ったことはありません。私の家庭は比較的に裕福で、父は会社の仕事を終えたあと、物を売買していました。その時のことはよく覚えていますが、友人は私のことをとても羨ましがっていました。なぜならその当時の私は、毎日多くの小遣いをもらっていたからです。
表向きは調和のとれた家族のように見えますが、実は多くの矛盾が見え隠れしていました。例えば、父は賭博が好きで、賭け事と聞くと何もかも忘れて、一日座っていました。負けて家に帰ると母と喧嘩し、家の中が騒々しくなりました。私が小さい時、父が煙草を吸っていたのを覚えています。父が煙草を吸う時はいつも私に声をかけ、「息子よ、来て、煙草に火をつけなさい」と言われ、その時煙草は身体によくないということも知らず、走って行き、父の煙草に火を点けると、この時の父は満足げな表情をして、どうだ、息子が父親の煙草に火を点けることが出来るようになったぞと言いたげでした。
このような生活が続きましたが、98年のある晩、母が突然に精神病を発病したのです! 母は時にでたらめなことを言い、時に気が狂ったように叫びました。この時の私は7歳で、父はこの年に法輪功の修煉を始めました。
以後の父は母を連れてあちこち医者を尋ね、入院して治療しましたが、治りませんでした。母の病気を治療するため、貯蓄したすべてを短い間に使い果たしてしまいました。以後の生活は悪夢のようで、母はコントロールできない状況下で、多くの狂った挙動をし、家のガス栓を開けたり、自殺しようとしたり、外を徘徊したり、理由もなく他人を殴打したり、家の電気製品と家具をぶっ壊したり、性格も異常に凶暴になり、我が家には穏やかな生活がなくなりました。
その後、母は会社の事務所に駆け込んで、三階から飛び降り、コンクリートの地面に叩きつけられました。会社の同僚はすぐ救急車を呼んで、金銭的にも助けてくださいました。そのおかけで病院で検査ができたのです。寛大で善良な無私の人々に心から感謝します。検査の結果、上腕骨、鎖骨、股関節骨が折れ、手術の必要があると病院から言われましたが、サラリーマンの家庭ではそのような高額な手術代を払う能力がありませんでした。
この時私は幼かったため、これらのことを知りませんでした。しかし皆さんは想像できると思いますが、家族がベッドで寝たきりになり、治療するお金がない情けない気持ちを理解できますか? 父は数日間一睡もせず、その情けない気持ちと責任の圧力で息もできないほど苦しみました。その無力の状況下で、仕方なく母を退院させて家に連れ帰りました。
母は日夜ベッドで寝たきりになり、一切の介護が必要でした。父は仕事をしながら、昼の休憩を利用して母の食事を作って食べさせ、夕方仕事から戻っては、糞尿の処理をし、母の身体を拭き、薬を塗り、食事を食べさせました。のちに民間療法の医者に骨を繋いでもらいました。
その後母は回復しましたが、精神病は依然として治りませんでした。父は、母の予想できない挙動を避けるため、一人が住める部屋を借りました。父は依然として毎日、母を風呂に入れたり、食事を持って行ったり、部屋を掃除したりして、心を配り面倒を見ていました。冬が過ぎ春が来て、瞬く間に18年が経ちました。この18年間父は毎日同じことを繰り返し、休んだことはありません。「疲れるでしょう? 放棄したいと思ったことはなかったの?」と私は父に聞きました。父は「これは私の責任であり、煉功者に対する最も基本的な要求だ」と話してくれました。
現在では父の、「もし大法の支えがなければ、ここまで頑張れなかったかもしれない。もしかして母さんが外で徘徊したとき、探しに行っても見つからなかったことにしたかもしれない」という返事に慣れています。修煉していない者から見れば、法輪功がなぜ父をあのように徹底的に変えたのか分かりません。しかし父は信仰の力で変わりました。家庭の責任を放棄して賭博に明け暮れ、娯楽にのめり込んだ人が、家庭に対する責任を自覚し、身近な人に対して優しくなり、何ごとにおいても他人を先に考え、仕事においても上司や同僚の好評を得る人間になったのです。
実のところ、私は時々父と法輪功が病気を取り除き健康になる奇跡についてよく論争していました。時には論争する際、法輪功修煉者はなんと愚かで、話すことは「科学的」ではないとさえ思いました。しかし今考えて見れば、私は角度を変えて問題を見るべきでした。奇跡を否定するのではなく、見たことのないことが存在していないとは限りません。
さらに考えてみると、1億人が法輪功を修煉しています! 彼らはすべて愚か者でしょうか? その中に私たちより賢い人は1人もいないのでしょうか? 実は皆さんが賢い人たちなのです。私が愚か者と思っていた人たちは、損を被ることに甘んじ、人に対して誠実、善良、忍耐、権力を争わず、いかなることにおいても自分の非を探し、他人の責任にせず、この欲まみれの世界の中で、自分たちの浄土を堅守しています。皆さん胸に手を当てて自問してください。この世間で何人がこの誘惑に抵抗できるでしょうか? 私にはできません。皆さんはどうでしょうか? できますか? できるかもしれませんね!
もし今誰かが私に、「あなたは、あなたの父親が法輪功を煉功していることについて、どのように思っていますか」と聞かれたら、私はきっと大きな声で、「素晴らしいです!」と答えるでしょう。もし父がその当時法輪功に出会えていなければ、私はどのような境遇に置かれたか分かりません。もしかすると路頭に迷う乞食になり、母の置かれた状況も想像したくもありません。
法輪功は私の家庭を救って下さり、私の人生に対する態度を改めさせました。法輪功は父を合格した夫、優しい父に変え、放縦な生活をしていた青年に如何に人として生きるかを分からせました。私は何の理由があって法輪功を否定できるでしょうか?
親愛なる読者たちは少し時間を取って、固執する観念を放下して、真に法輪功について考えてみてください。もしかすると、その中にあなたが必要とするものがあるかもしれません。そうすることで、あなたたちは何も失いません。なのになぜ試して見ないのでしょうか?!