トラブルに遭った時は内に向けて修める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年10月28日】中国共産党によって文化や道徳、そして、「真・善・忍」が残酷に破壊されている今の中国で、私は幸運にも法輪大法に出会い大法弟子になれたことを、この上なくうれしく思っています。師父の説法により人生の意義を理解することができ、修煉とは宇宙の特性である「真・善・忍」に同化することであり、中国共産党に毒害されている人々を救うことが大法弟子の使命であることが分かりました。

 これまでの修煉の中で、常に師父に見守られており、師父もまた私たち弟子のために多大な苦しみに耐えておられます。師父の済度がなければ、権力に負けず、死を恐れず、無私無我に宇宙の真理を守っている今日の大法弟子はいないでしょう。

 大法は私の身も心も浄化し、病のない健康な体をくださいました。最も重要なことは、私を名利から抜け出させ、道徳観の高い善良な人間にしてくださったのです。これら全ては大法を修煉したからなのです。師父に感謝します! 衆生のために多大な苦に耐えておられる師父と、今まで正念で助けてくれた同修たちに感謝します!

 私はいつも明慧ネットに載っている修煉体験文章を読んでいます。今までの修煉の中で、同修たちの純粋な交流は私を励まし、皆との差にも気づきました。大法に対する同修たちの盤石のような全く緩みのない信念はさらなる精進を促し、法理に対してもさらに深く理解することができました。

 慈悲なる師父への感謝の気持ちを込めて、法に照らして自らの不足を見つけ出し、同修たちと共に精進し、師父を助け、衆生を救っていきたいと、これまでの修煉において経験したことをここに書き留めたいと思います。

 私の修煉は2段階に分かれます。一つは1997年の春、大法に出会い、まだ感性的な態度で法を勉強していた頃の事です。私が大法を学び始めたきっかけは病を治すためでした。あの頃の私はとても病弱で、真夏でも手足は冷たかったのです。階段を上がるにも夫に引っ張ってもらわなければ上がれませんでしたし、胃病や不眠症にも苦しめられていました。けれども、何日間か煉功をすると、体の状態が改善し、手足にも力が入るようになったのです。あまり法を勉強していなかったため、大法が良いということは分かっているものの、たまに煉功するだけで心性も修めず、修煉の態度も生半可なものでした。1999年、大法が迫害され始めました。道徳の基盤が崩壊した中国社会では男女間の正常な関係が消え、貞操観念がなくなり、賭博もひどくなっていきました。社会全体がこのような情況なので、誰もこれがいけないことと思わず、私も流れに身を任せて、この二つの方面で決して犯してはならない罪を犯しました。このことが原因で、2004年に体に大きな難関が訪れました。体に力が全く入らず、座っていても息ができない感じがして、歩く時は誰かに支えてもらわなければ、とても立っていられず、常に生死の間を彷徨っているかのような状態でした。

 もう一つは2004年に、身体に大きな異変が起きました。確かに私はあまり修煉していませんが、大法の根は心に深く埋め込まれていたので、大法をしっかり修煉すれば、私は救われると信じ、大法に助けを求めました。そして、師父は私をこの忘れ難い難関から引っ張り出してくださったのです。その時、今までの行いを真剣に反省し、大法への態度も改めるべきと気づいたのです。それからは、渇きを補うかのように大法を勉強し始めました。常に洪大な佛恩を受けて、大法の法理に涙した私は師父の写真の前に跪いて、これからしっかり修煉する決心を伝えました。これほど素晴らしい大法を、なぜ今まで真剣に勉強しなかったのでしょうか。それ以来、私は大法の要求に従い、理性的な態度で宇宙の特性である「真・善・忍」に同化すべく、努力を続けました。

 心性を修め、損得を考えない

 師父はこのように説かれました。「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」[1]、「修煉者としてはこの宇宙の特性に照らして、自分を律しなければならず、常人の基準で自分を律してはいけません。返本帰真を願い、上の次元へ修煉しようとするには、この基準に従って行動しなければなりません」[1]

 会社では、私はある部門の責任者を務めていましたが、会社の都合で新しい責任者が来ました。上司は私の能力を認め、他のもっと給料の良い会社を紹介してくれましたが、私はこの会社に残ることにしました。どこにいても良い人間にならなければならないと大法に書かれているので、私は新しい責任者に会社の事を教え、そして、自分の仕事もきちんとこなしました。

 しかし、中国共産党が国民に植え付けた闘争心しかない党文化により、新しい責任者は会社に慣れると、様々な口実をつけて社員を非難し始め、皆緊張しながら毎日仕事をして、私も責任者という役職から事務員にまで下げられてしまったのですが、私は特に彼女を恨んだりはしませんでした。大法の教えにより、名利や情を放下しなければなりません。利益ですら放下したのに、名誉は当然放下できます。しかし、その後、オフィスの掃除まで押し付けられたのです。私が真面目だから、他の人と違ってきれいに掃除できるという理由を聞いた時、悔しくて涙が出ました。今は大法を修煉しているので、泣いてはいけないと自分に言い聞かせても、やはり悔しいと感じずにはいられませんでした。もし、私が修煉していなければ、きっと新しい責任者と大騒ぎになって、上司の所まで言いつけに行ったでしょう。

 師父は「しかし、往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」[1]と説かれました。これはまさに心性を向上させる機会ではないでしょうか。私は喜ばなければならないのです! 私は必ず乗り越えよう! と思いました。それからは、出勤時間を少し早めたり、退勤時間を少し遅らせたりして、オフィスだけでなく、仕事場のファイルも探しやすいように整理しました。それ以来、上司や責任者の友人がこの部門に来た時、彼女は必ず自分の部門の清潔さを自慢するようになったのです。

 仕事場で私は常に大法の要求通りに自分を律しました。文句を言わずに仕事をこなし、何かをする時はまず相手の気持ちを考えるようにしてきたので、いつの間にかこの習性が周りの同僚にも影響を与えました。ある日、他の部門の責任者が良い事をしたのを見て、他人の事を考える優しい人だと褒めたところ、「これもあなたに習ったのさ」と言われました。大法の力で周りの人々が変わっていったのです。

 今の上司は私の正直さを信用して、バイヤーの仕事を任せました。私は大法の要求通り賄賂を受け取らず、数えきれないほどの賄賂を断りました。また、材料の品質を下げず、必ず質の良いものを買いました。現在の中国では、道徳基準が急速に滑落しているため、皆利益ばかりを重んじ、偽物や質の悪い物、毒の混じった物が氾濫し、国民は疑心暗鬼の生活を毎日送っているのです。私は材料を買う時、三つほどの会社の物と比べます。主に質と値段を比べ、商品が本当に合格品であること、信頼関係を築き上げること、私たち自身が毒害されているので、他人を傷つけてはならない事、自分たちの子孫にこのような社会を残さないことを相手の責任者たちに伝えました。最初は皆私の事を理解しませんでしたが、次第に私がよく口にしている「真・善・忍」という基準に従うようになり、それ以来、私を尊敬するようになったのです。

 全ては師父の教えであり、自分も大法を学んでから分かったのだと相手に伝えると、全て理解してくれました。その他にもたくさんの人が法輪功が迫害された真相を知り、三退しました。

 内に向けて修め、トラブルを解決する

 修煉において、常人の観念や闘争心などを取り除かなければなりません。何年か前のある日、同修と共に法輪功の資料をポスティングに行きました。同修は、「高い次元の法理を悟れば、煉功しなくてもいいと思う」と言ったので、私は、「そんなわけはないでしょう。円満成就していない限り煉功しなければいけないわ」と言いました。彼女はすぐに不機嫌になって、私がまだ高い次元の法理を悟っていない、低い次元にいると言ったので、不満に思った私は「あなたは間違って悟っている。煉功していない自分に言い訳をしている」と言い返しそうになりました。

 同修とトラブルになったので、当然、ポスティングに支障が出ました。家に帰ると私はすぐに煉功に関する師父の説法を探して彼女に見せましたが、それでも納得してくれませんでした。別の同修が彼女と同じ意見だったので私たちの間で言い争いになり、彼女たちを納得させることができなかった悔しさを抱いたまま、自分はどこを間違えたのかと考えました。師父の写真の前に跪いて内に向けて自分を探しましたが、自分は同修のためと思って言ったことなので、どこが間違っていたのか見つかりませんでした。「師父、どこが間違っていたのか今はまだわかりませんが、きっと私がいけなかったから、同修が納得してくれなかったに違いありません」と師父に伝えました。

 それから、執着心を放下し、学法を通じて、自分の口調が荒く、口論のように一方的に自らの考えを述べたことが原因で相手の不満を買ってしまったことに気づきました。師父は「仕事のときの口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです! ほかの人は、心の中では不服で、ただ表面的に服従しているだけであれば、見られていないときに、相も変わらず自分の思うがままに行動するのです」[2]と説かれました。同修はまさに自分の鏡ではないでしょうか。自分も煉功に対してあまり真剣な態度をとっていないから、そのようなことを言われたのではないでしょうか。同修に低い次元にいると言われた時は、まさに自分に顕示心理があると注意してくれているのではないでしょうか。自分を探さないどころか、同修に喝を入れたい私など、自らを修めていると言えるでしょうか。強い態度や荒い口調、そして、優しくない心、勝負ばかりを争いたがっている私は「真・善・忍」に背いているのではないでしょうか。後で聞いた話ですが、後になって2人の同修は自分たちの間違いに気づき、私が正しかったと認めたそうです。

 修煉において、自我を放下した時はとても不思議な感じがします。常人に自分が勝ったなど修煉と言えるでしょうか。「修煉する人、自らの過ちを探し」[3]なのです。同修の問題に気づいた時は、まさに自分自身を修める時ではないでしょうか。

 真相を伝え、衆生を救うことは大法弟子の使命

 「毎日欠かさず修煉することは大法弟子にとって必須のことであり、真相を伝え人を救うことは大法弟子の使命です。円満成就に向かう道のりでは、両者はいずれも欠かせないことです。どのくらい遂行できたのかは、つまり修煉状態が精進しているかどうかのことです。社会形勢は変化しますが、修煉に対する要求は永遠に変わることがありません。なぜなら、それは宇宙の基準であり、大法の基準だからです」[4]と師父は説かれました。

 真相を伝えることにおいて、全体で協力しなければならない項目があり、私はその項目にも積極的に参加しています。時間がない時は機会を見つけて周りの人に真相を伝え、大法こそ私たちの希望であり、無神論を主張する中国共産党は中国の伝統文化を壊し、同じ中国人たちを虐殺し、滅亡される運命にあることを相手に伝えています。真相を伝えていく過程において、おどおどした態度から正々堂々とできるようになるまで、絶えず自分を修めました。衆生を救う一心で、誠実さと善良な心を抱いていれば、縁のある衆生のほとんどが救われます。しかし、仕事を終わらせたいという心理で伝えると、効果は全く現れません。ある日、資料を配っている時、早く終わらせようと焦り出したため、警察に通報されてしまいました。途中、師父が加持してくださったため、驚かず、怖がらず、発正念をしながら真相を伝え、そして、内に向けて自分を探していたので、しばらくして解放されました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是誰が非」
 [4] 李洪志師父の経文:『注意喚起』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/22/349512.html)
 
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