17年間中国領事館前で迫害制止活動に参加した体得
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文/サンフランシスコの大法弟子

 【明慧日本2017年10月28日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は今年81歳になるサンフランシスコの大法弟子です。1998年、アメリカに来ましたが、1999年、中国に帰ったとき、法輪大法に出会って学び始めました。

 2000年10月21日、師父がサンフランシスコにいらっしゃって、法会で『米国西部法会での説法』を説かれました。私はその法会に参加し、初めて師父にお目にかかることが出来ました。その会場で、とても感激した私は、涙が止まりませんでした。その法会後、私たちサンフランシスコの大法弟子はサンフランシスコの中国領事館の前で静座を開始し、中国共産党が法輪功への迫害を停止するようにと求めました。その当時、多くの学習者がその静座をして活動することに参加しましたが、時間が経つにつれ、ニューヨークに行く人もいれば、大紀元新聞、新唐人テレビ、希望の声のラジオの方へ行く人達が出て来ました。それで、静座をして活動をし続ける人が約7、8人しか残りませんでした。私は残っている中の1人です。最初の静座して迫害停止を訴える活動から、現在まですでに17年経ちました。17年の間、私たちは市民に法輪功の真相を伝え、迫害停止を求め、法を実証する中でたくさんのトラブルや難関を乗り越え、自分を修めて今日までやって来ました。今日ここで歩んできた道で、比較的印象深い幾つかの出来事を皆さんと交流したいと思います。それを二つのテーマに分けてお話します。一つ目は固く信じること、意志が屈しないこと、堅持することについてです。二つ目は学法して心を修め、師父の良い弟子になることについてです。

 一、固く信じること、意志が屈しないこと、堅持すること

 私は地質学専攻でしたが、地球の形成、生物の起源、古生物の突然変異、地球プレートの構造、石油・石炭および金属・非金属、鉱産物の形成などに対してたくさんの疑問を持っていました。しかし、法輪大法を学んでから、法の勉強を通じて、これらの答えが得られ、形成した間違った観念を変えることができました。

 法を得た当初、私は『轉法輪』と『精進要旨』しか持っていませんでした。中国からサンフランシスコに戻って、ほかの法輪大法の書籍を買おうと思って、書店に何度も行きましたが、見つかりませんでした。ある日の夜、「以前の同僚が私を訪ねて来て、同僚の名前が『富書』さんである」という夢を見ました。目が醒めて、「『富書』というのは、本が豊富でたくさんあるという意味ではないのか? もしかして、本屋さんには大法の本がたくさんあるのかもしれない」と思いました。それで、翌日、早速本屋さんに行ってみると、本当に多くの大法書籍が置かれていました。「師父が夢で私に教えてくださったのだ」と感激し、涙が溢れました。

また、ある日の夜、寝ているか寝ていないかのような感じのとき、突然、誰かの両手で私の腰を支えられ、空を自由に飛んでいるのを感じました。直感的にその両手が師父の手だと感じました。また、ある日の夜、私は横になった途端、すぐに全身が熱くなり、血液が沸騰しているように感じてとても心地良い気持ちになりました。その感覚が10数秒続いた後、体がベッドから浮き上がり、布団も一緒に浮き上がって、約60~70センチくらいの高さでしたが、空中で30秒くらい止まった後、ゆっくりベッドの上に戻りました。そして、体と頭がベッドと枕につく時、はっきりと浮き上がったと感じました。そのとき、「本当に人間が空中に浮き上がれるのだ」と嬉しく思いました。その体験をした私は心の底から、神が存在すること、師父が私のそばにいらっしゃること、しかも、時々刻々、そばにいらっしゃることに感心しました。ですから、その後の修煉で、私は固く師父を信じ、大法を信じました。

 中国共産党が法輪功迫害を引き起こした最初の数年間、私はほかの同修たちと一緒に、中国領事館の前で静座し続け、法輪功への迫害を抗議しました。時々、共産党の宣伝を信じた中国人に罵られたり、その場所から追い出されるなどの騒ぎが起こりました。しかし、私たち学習者は彼らにやり返さず、冷静に対応しました。その後、私たちはその場所に法輪大法の横断幕をかけ、中国で迫害を受けている法輪功学習者たちの写真を貼ったパネルを立ち上げました。日々、ビザを取得するため、多くの人が領事館に来ており、私たちがいる場所を通って、法輪功の真相を見ていました。そのことを、領事館の人達はとても恐れていました。私の妻は旅行会社のビザを申請する代行で、よく領事館に行っていました。ある日、領事館の人がどこかで妻のことを知って、妻に「ねえ、毎日、領事館の前で横断幕をかける人はあなたのご主人なのか」と聞きました。妻は「そうです」と答えると、領事館の人が「ご主人に、明日から来ないように言ってください。でないと、あなたが持ってきたビザの申請を受け付けないことにします。うちの上司がそう言っています」と言われました。その日、妻が帰宅した後、娘にそのことを話しました。それから、我が家にトラブルが起きました。その日、私が帰宅してすぐ、娘に「明日から、領事館の前に行くのをやめてください」と言われ、「それはできない。行かなければならない」と私は言い返しました。娘が「お父さん、行かないでください。もし、行くなら、お母さんが仕事を失うし、私とお母さんが中国へ帰ることさえもできなくなるのよ。よく考えてください」と怒り出しました。私は「中国共産党が法輪功に対して迫害を行っていることを知っているだろう。私たち学習者は中国大陸で発生している迫害の真相を、領事館に来る人々に伝えたいのだ。共産党政府に学習者への迫害停止を求めているのだ。これらの活動は間違ってはいない。領事館の前だから、彼らが怖がっているので、私たちをあそこから追い出したいわけだ。人を指図して騒ぎ立てても、私たちはあそこを離れなかったので、今度、彼らは家族のお前たちを利用したのだ。この手法はとても陰険と思わないか?」と説明しましたが、娘は納得しませんでした。

 翌日、私はいつものように領事館の前に行きました。妻は恐れて、領事館に行くことをやめました。この状態が数日間続いて、事が大きくなりました。「家族の利益と安全問題にかかわるかもしれない。自分も連座されるかもしれない」と考えた娘婿は耐えられなくなり、娘に離婚を口にしました。それで、家族たちが大喧嘩しました。私が帰宅すると、娘が泣いたり、怒ったりして、「夫が離婚したいって言い出し、明日の午前中に手続きをしに行くって言っているわ。アメリカに来て、努力してやっと落ち着けたのに。お父さんが法輪功を学んでいるせいで、我が家を壊したわ。お父さんのせいで、私の事業も発展できなくなったわ。それでもまだ、お父さんは明日、領事館の前に行くの?」と反対されました。当時、私は冷静で怒らず、娘と口論をしませんでした。「私がやっていることは間違っていない。この家を壊したのは中国共産党だ」と言いました。娘が私の話を聞いて、「じゃ、お父さんがこの家から出て行って。今日の夜、出て行って。帰ってこないで」と言い出しました。この状況になってから、私は腹をくくって、「出て行くとも。でも、2日間待ってくれ。住むところを探さないといけない。今すぐ出ていったら、街に出て外で野宿するしかないからな」と言いました。すると、娘は少し考えてから、「いいわよ」と言いました。

 話が終わって、私は家から出て、「どうしようかな。どこに住めばいいのかな」と考え、「とりあえず、学法グループの管理人さん親子に相談してみよう」と思って、管理人さんの家に向かいました。 幸いなことに、親子が家にいました。それから、私は自分の家で発生したトラブルのことを話しました。それを聞いて、親子とも「私たちはみんな大法弟子だから、よかったら、まず、我が家に泊まってください。問題ありませんよ」と言われました。「彼女たちの家は狭くて、私は男だし迷惑かけるが、今すぐに行く所もないし、そうするしかないな。今日はとりあえず、大法の書籍と服を持って行き、明日、寝袋とキャリアーケースを買って服を入れよう。そのまま街で放浪してもいいように。領事館の近くで眠る場所を探せば、領事館に行くのも便利だし」といろいろ考えながら帰宅しました。

 家につくと、娘も妻も私のことを無視しました。私は顔を洗って寝ました。「グラウンドのトラックで、私は車椅子に座って、車椅子の車輪を推しながら前進している時、突然、目の前にアーチ状の橋が現れ、私は立ち上がり、車椅子を持ち上げて橋を渡っている」という夢を見て目が醒めました。当時の私はいつも、夜12時過ぎに起き、煉功と学法していましたが、先の夢を非常に鮮明に覚えており、「師父が私を啓発してくださったのか? どういう意味なのか? 歩けない身体障害者が車椅子に乗るが、私が車椅子を持ち上げてアーチ橋を通り越えたので、私の障害が虚で、本当の障害ではないことを教えてくださったのかな。どの事が真実ではないのかな」と考えていた時、娘が私の部屋に入って来ました。私が話かけないうちに、娘は私の前に跪き泣きながら、「お父さん、私が間違っていました。出て行かないでください」と言い出し、「婿が何か言ったのか」と聞くと、娘は「昨日の夜、お父さんが出かけてから、彼が帰って来てお父さんのことを聞かれて、私はすべてのことを話したの。彼にお父さんが今、家にいるのかと聞かれ、『お父さんはたぶん家を探しに行っているわ。先ほど帰ってきて寝たと思う』と話したら、彼は突然、『お父さんを追い出さないでくれ、離婚のことは言わなかったことにすると、お父さんに言ってほしい』と言われた」と、泣きながら話しました。私は娘の頭を撫でて手を掴んで立たせ、「大丈夫だ。お前の気持ちはよく理解できたよ。もう出て行かないよ」

 娘が自分の部屋に戻ってから、私は突然、「夢で、師父が私に娘の離婚話は本当の事ではない、私を追い出す事も本当ではないと教えてくださった」と理解し、「これは私の修煉の道のりでの試練で、必ず乗り越えなければならない難関だ。私がしっかりして、心が揺れなかったので試練が終わり、試練の要素も消えてしまい、娘と婿の態度も直ちに変わったのだ」と悟りました。

 領事館の前で法輪功学習者への迫害停止の静座活動に参加する私たちは年配者ばかりで、一番若い者でも60代で、80歳過ぎの者もいます。サンフランシスコ以外の都市に住む人もいて、みんな毎日朝早く出かけ、片道で1時間あまり必要な人がいれば、地下鉄やバスに乗り換えをして来る人もいます。領事館は朝9時から開きますが、私たちはいつも7時頃には領事館の前に着きます。それから、展示パネルや横断幕を立て、法輪功が迫害されているラジオを流し、真相資料を配り、「三退」を勧めています。

 領事館に用事のある人達はみんな法輪功が迫害されている資料を読んで、法輪功を理解し、法輪功に感激する人も少なくありません。彼らが私たちに食べ物や飲み物をくれたり、親指を立てて支持したり、迫害死した学習者の写真の前に花を供えたりします。当然、悪口を言う人もいますが、現在、随分少なくなっています。

 十数年来、私たちは手弁当を持参し、雨の日にも風の日にも、服や靴が濡れても、展示パネルなどを倒さないように全力で支え、いろいろな困難を乗り越えて来ました。なぜ、こんなにも長年の間堅持できたのかというと、私たちは年を取っていますが、みんな大法を信じ、師父を信じているから、妨害と魔難の中で続けることが出来たからです。

 私たちは自ら横断幕を作り、自ら展示パネルを設計して作りました。私たちはいつも悟った法理など、交流を行い、協力し合ってきました。他のプロジェックトの同修も絵図を作ってくれたり、資料を作ってくれたりして、支援をしてくれました。領事館の近くに住む同修は私たちのパネルなどの道具を置けるように、古いワンボックス車を買ってくれて、家の駐車場を私たちに使わせてくれました。十数年間使ったワンボックス車が雨漏れするため、同修はまた、古い自家用車に取り替えてくれました。

 私たちサンフランシスコとベリエリアの大法弟子は全体一丸になっています。大法弟子の協力や協調があったからこそ、私たちは領事館前での静座活動をこれまで欠かさずやって来られました。

 大法と師父を固く信じること、意志が固く屈しないこと、信仰を堅持することで、私たちは17年も堅持できたのだだと思います。1人、2人の力では、ここまで出来ないはずです。

 二、学法をし 心を修め 師父の良い弟子になる

 大法弟子として、私は学法の重要性がよくわかっておりますが、いつも時間がないと感じていました。法を得た早期のとき、「私は体を洗おうとした時、気がつくと水を流すためのバケツが誰かに持ち去られ(広州では大きなバケツでお湯を入れて体を流す)、困っている時、後ろに小さな洗面器があったので、仕方がなく、それを使って何度もお湯を持って来ては体を洗った。面倒だったが洗い終えた」という夢を見ました。目が醒めてから、「師父が私に空いた細かい時間を利用して、法を勉強しなさいという啓発だ」と悟りました。その時から、私はバスを待つ間、バスに乗っている間、孫の放課後に孫を待つ間の少しの時間を利用して、法を学びました。その他、夜の発正念後にすぐ横になり、4、5時間寝てから夜中の12時頃に起きて、朝が明けるまで五式の功法を煉ったり、学法したりしました。その静かな環境が私にはぴったりあい、集中して学法ができました。

 師父は「ですからあなた達は見えても見えなくても、必ず法を学ぶことに専念してください。本を読み、法を学び、本を読み、法を学び、私はいつも法を説くとき、口をすっぱくして本を読みなさい、本を読みなさい、本を読みなさいと皆さんに教えています。本を読みさえすれば、想像を越えるもっと良いものを得られます」〔1〕。

 師父はまた、「学習者としては、頭に詰め込まれたものがすべて大法であれば、この人はまさに、真の修煉者です。ですから、法を学ぶことについて、はっきりとした認識を持たなければならないのです。本を多く読み、本を多く学ぶことは真に向上するための鍵なのです。さらに、はっきり言えば、大法さえ読んでいればあなたは変わっており、大法さえ読んでいればあなたは向上しているのです。大法の無辺の内涵に、補助的な手段である煉功を加えれば、皆さんを圓満成就させることができます。グループで読んでも、一人で読んでも同様です」〔2〕と説法されました。

 私は師父の教えを常に頭に入れ、少しでも間違った行動をしないように注意深くしています。しかし、どうやって、心を修めるかの事については、法を得た当初からとても困惑していました。法会である弟子が「私は自分の心性の状態が分かっています。同時に魔性があると感じました。私はどのように魔性を取り除くのでしょうか?」と質問をしたとき、師父は「実はこれはとても良い状態です。つまり、あなたは自分の良くない一面を感じることができるようになったのです。それでは、あなたはそれを排斥し、抵抗し、それを要らないように思い、考えの中でそれを排斥し、それの考えに従って行なわないようにし、二度と良くないことをしないようにすべきです。このようにしたら、あなたはつまり修煉しており、向上しています。これが修煉というのです」〔3〕と答えてくださいました。

 このところを読む時、私は突然、修煉という意味がわかるようになりました。人が持っているすべての執着心、あらゆる欲望、さまざまな人心やそれらの観念が頭の中に入り込んで、それらに従って行動しているのではありませんか?  だから、それらを拒否し、抵抗し、排斥するということは、内に向けて探すことになるでしょう。 それは自分の心を修めているのではないでしょうか。これが正に修煉ではありませんか!  それ以来、私はいつも、頭の中に浮かんでくる悪い考えを掴んでは、それを取り除くことにしました。それらの考えは本来の私ではなく、後天的に形成された人心、観念だからです。私はこのやり方が「心を修めることだ」と理解して、「この状態が真の修煉の状態だ」と思って、十数年来、ずっとこのように堅持してきました。師父の詩「常に心性を修め 圓満して妙なること窮まりなし」〔4〕の「常に心性を修める」という内包が悟れたような気がしました。

 師父は法会で「皆さんが普段ぶつかった偶然に出現したような些細なことを偶然なこととして考えてはいけません。なぜならば、多くの不思議な事が起こったりして、或いは他の空間に行って修煉する事はあり得ないからです。それならあなたの心を高めることができません。やはりこのような日常の状態で、常人の中のトラブルで、常人の生活方式で、ぶつかったことは以前とさほどの違いもありません。しかし、良く考えてみてください。やはり違います。全てはあなたの修煉が向上できるようにするために現れてきたのです」〔5〕とおっしゃいました。

 この法を学んで私は「私たち大法弟子に普段の生活の中であった些細な事を含むすべてのことは、師父が按配してくださり、私たちを向上させるために按配してくださった」と理解しました。この方面について、私が体験したことの例をあげたいと思います。私は毎日、バスに乗ります。ある日、バスに乗っているとき、1人の乗客が乗車券を買わないまま、バスに乗って後ろの席に行きました。運転手に気づかれ、券を買うようにと言われました。そのとき、私はすぐその人に嫌悪感を持ちました。しばらくして、師父があなたと関係ないことはあなたに見せず、聞こえないようにするというような説法を思い出しました。「この人はキップを購入していない事が、ちっぽけな利益のためだ」と考え、すぐに自分の内に向けって探し、「私も、もしかしたら、そのようなことをするだろうか? しないね。でも、まったく同じようなことをしないかもしれないが、他のことはどうだろうか? 師父が私にこのことを見せてくださったのは、私も必ずこういうような問題があるはずだ」と悟って、すぐにその心を取り除くよう、完全に取り除くようにしました。また、ある日、バスに乗っている1人が自分の片足を他の座席まで伸ばしているのを見かけました。それを見て、「師父が私に自分のことばかり考えて、他人を配慮しない心がある」と悟り、「この念、この心を取り除こう」としました。これらの悪い性格、執着は、私たちは普段、なかなか気付かないものです。しかし、大法弟子がこれらの執着を取り除く願望があれば、心の底からそれらを放棄したければ、その瞬間、修煉者の基準に達することができ、師父が手伝ってくださいます。それはまさに「「修は己にありて、功は師にあり」[6]なのです。

 週末のある日曜日、大きなイベントを開くようで、できるだけ参加するようにという通知をもらいました。「私は日曜日自分のやることがあり、行きたくない」と思いました。その結果、その日、出かけた時、駅を乗り過ごしてしまいました。中国のことわざで、「この村を過ぎたら二度とこの宿屋はない」(いったん機会を逃がしたら再び機会に出会わない、機会はなかなか得られないから逃してはならない)ことを思い出し、「師父が私にこの活動に参加するように教えてくださっているのだ。この活動が私の修煉の過程で一つのやることだ。参加しなければならない活動なのだ」と悟りました。

 このような事、例えば、バスを間違ったり、方向を間違ったり、慌てて服を裏返しのまま着ていたり、『轉法輪』を持って行くのを忘れたりしたことがありました。弟子として、誰でも修煉の過程で師父に物事に対して、どう対処すべきかを教えていただきたいのですが、自分で悟らなければなりません。特に具体的なことで迷う時、やるべきかやってはいけないかを何事も自分で悟らなければなりません。物事に対して、やっていることが正しい行いか、正しくない行いか、教えていただけないのです。本当のところ、師父が私たちのそばに時々刻々おられるし、常に私たちにヒントを与えてくださっています。だから、平素の生活の中で見たこと、聞いたこと、会ったことが全て修煉に関係していて、それらのことを重視せず悟らなければ機会を失い、各種の執着心を取り除く機会を失い、向上できるよい機会を失うことになるのではないでしょうか!!

 この前、目にしたことで気づいたことがあります。街を掃除する車がおり、街道に沿って掃除しながら進んで行きましたが、その車の車両からゴミが落下し、過ぎ去ったところにゴミが落ちていました。この奇妙なことを私は以前本当に見たことはなかったのです。掃除する車がゴミを掃いて拾うはずですが、結局、掃除したはずの道路にゴミを落とし、撒き散らして立ち去りました。

 その時、私の頭に「何も変わっておらず、師父はやはり当初の師父で、宇宙の法は永遠に変わりません。ただ、この迫害の中で、このいわゆる試練の中で、執着を取り除いた人もいれば、取り除いていない人もいます。さらに執着が増えた人もいます。これはこのいわゆる試練の中で現れてきた状態です。皆さんが変化しており、大法弟子が変化しているのです。正の方向に向かって変化しなければ、負の方向に向かっていきます。これは間違いのないことです」[7]と師父の説法が浮かびました。「師父が私に修練の過程で執着が増えしていると教えてくださっているのではないか」と思うと、すぐ「どうして私はかえって、執着が増えたのか? どんな執着を増やしたのか」と内に向かって探しました。

 最近、私は帰宅して、携帯電話ばかり見ていました。ニュースだけを見るつもりが、1時間あまり費やして見ており、学法の時間を多く失いました。しかも、携帯電話に対して興味を持ちました。歩きながら、スマートフォンを見る人に通称「歩きスマホ」と呼ばれていますが、私はそこまでなっていないが、スマートフォンに興味が湧きはじめました。それも執着です。この執着を取り除くようにと師父が教えてくださったのです。現代社会では魔性が大きく、物欲が強く、時々刻々新たな執着を生むように仕向けています。修煉を重視しなければ、汚染しされやすくなります。それを悟って、私は新たな執着を持たないように注意深くするように気を付けました。

 私はより深い法理を言葉で表せず、文字でこれらの法理を言い表すのも苦手です。文章に書き出すことは普段の生活の小さな事で、本当に小さい出来事ですが、私の修煉の中であった事実のことです。私の修煉の過程で真実の描写で、本当の体得です。古い弟子にとっては、皆がこういうふうに修煉して来て、言うまでもありませんが、ただこの数年、新しい学習者が修煉の道に入って来て、私の話は彼らに今後の修煉で何かの役に立てればと思います。このことが私が交流したい主な目的です。

 現在、中国の情勢、アメリカの情勢、ヨーロッパの情勢がみな変化が起きており、中国共産党も終わりに近づいてきました。

 師父は「近い将来すべてに変化が現れます。しかし、大法弟子として圓満成就する前、如何なる揺れもあってはいけません。今まで通りに行うべきことを行ってください」。「ですから、皆さんは如何なる環境下においても揺れないでください。人類が大法の名誉を回復してもしなくても、新しい情況が現れても、現れなくても、大法弟子は衆生を救い済度すべきであれば、やはり相変わらずに行うべきです。圓満成就するまで、行うべきことを行ってください!」[8]とおっしゃいました。

 師父が私たちに教えてくださったことは、よく銘記(しっかりと心に刻み込んで忘れないこと)しなければならず、特に現在のこの時期にとても重要だと思います。

 私は師父と大法を固く信じています。私たちは数え切れない困難を乗り越えて来られ、法を正す時期の大法弟子として、きっと修煉の最後の道をしっかりと歩き抜くことが出来ます。というのは、私たちが大法により創られた生命で、宇宙大法の一つの粒子であり、師父の本当の弟子だからです!!

 師父に感謝いたします! みなさんに感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『ヨーロッパ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作: 『精進要旨』(法の中に溶け込む)
 [3] 李洪志師父の著作: 『米国東部法会での説法』
 [4] 李洪志師父の詩: 『洪吟』(真に修める)
 [5] 李洪志師父の著作: 『米国法会での説法』(ニューヨーク座談会での説法)
 [6] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』
 [7] 李洪志師父の著作: 『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [8] 李洪志師父の著作: 『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/19/353878.html)
 
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