父も法輪大法を修煉し始めた
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年11月15日】母から聞きました。私は1歳の時、首にしこりが出来て、病院で検査を受けたら、腫瘍だと言われたそうです。医者は、「この子は小さすぎて、手術が出来ない、薬を飲んで病状を和らげるしかない」と言ったそうです。こうして、発作を繰り返しながら10年間が経ちました。毎回発作が起きる度にとても痛くて、その後、体の成長にも影響を及ぼしました。母は私を連れて地元のすべての病院を訪ね、治療を求めましたが、どの医者も何の病気かが分からず、昔、私を治療した医者も定年退職していなくなっていました。仕方がないので私は家に戻り、薬を服用して体調を維持するしかありませんでした。

 1998年8月11日、私は母について、法輪大法を修煉し始めました。その後、しこりが消えてなくなり、それ以来、再び薬を服用したことはありません。今まで夜道を歩くのが怖くて、そして、1人で家にいるのも怖かった私は、修煉後は、1人で家にいても、夜道を歩いても怖くありませんでした。

 私は真・善・忍に基づいていい人になるように努めました。学校では、私はいい学生で、学友に虐められても、真・善・忍で自分を律し、殴られても殴り返さないし、罵られてもやり返さず、他の学友達と同じように物事に対処しませんでした。家では私はいい娘で、進んで両親の手伝いをし、食べ物にも洋服にもうるさく言わず、生活がとても楽しくて幸せでした。

 母が修煉した後に起きた大きな変化を見て、父も1999年に大法修煉を始めました。修煉する前、父は強情で、口数の少ない人でした。怒りっぽい性格によって、父は胃病になり、普段小麦粉で作った食事しか食べられず、少し早く食べると、胃が痛くなり、時には胃が痛くてベッドに伏せて起きられませんでした。父は毎日昼と晩の二食は必ず酒を飲み、親戚や友人が集まると、いつも酩酊状態になるまで飲みました。そして、飲みすぎると母に暴力を振るいました。

 父が修煉してから、20年余り患っていた胃病が消えてなくなり、米飯も食べられるようになり、強情で、無口な性格も変わり、明るくなり、毎日、ニコニコするようになりました。そして、20年余り飲み続けてきた酒もやめました。

 父は誠実で善良で、我慢強く、いつも進んで人を助け、決して自分の利益にこだわらない、そのため、親戚や友人、隣近所の人は皆、「法輪大法は素晴らしい」と賞賛しました。

 私達は東北の地勢が高く、寒い地域で生活をしています。冬になるといつも大雪が降るため、平屋に住んでいる父は、人々が起きる前に、平屋前の雪をほとんどきれいに掃きました。時には、1日何回も除雪作業をし、また、時間を作って、家の前に積もった雪を遠く離れたごみ捨て場に運びました。父はいつも黙々と働き、苦労を厭わず、恨み言を気にかけず、来る年も来る年もそのようにして労を惜しまず、何年も続けてやって来ました。

 隣に30代の隣人がいます。彼は自宅前の雪をほとんど掃かず、積もった雪をゴミ捨て場にも運びません。時には、窓から外で父親1人が除雪作業をしているのを見ても、他の近所の人は 黙って見過ごすことができずに、父に、「隣の人は若いのに、ずっと家にこもっていて、除雪作業を全くしないじゃないですか。もう彼の家の前を掃かないでいいですよ」と言いました。その時、父は笑顔で、「雪をきれいに掃けば、皆が便利になりますから、少し多く働いても構わないですよ」と言いました。

 2000年のある朝、父は仕事の時、2千~3千元する携帯電話とクレジットカード、銀行カード、領収書と現金1800元を拾いました。その時父は、「落とし主はきっととても困っているだろう」と思って、急いで携帯電話をかけて落とし主を探しました。2時間後、とても焦っている紛失者を見つけました。

 紛失者はとても喜んで、その場で謝礼を父にあげようとしました。しかし父は、「私は法輪大法の修煉者です。師父は私達に良い人になるようにと教えてくださっています。謝礼は受け取りません」と断りました。紛失者はとても感激して、「今日、本当にいい人に会いました。中央テレビがあれほど法輪功を『批判』していなければ、私はきっとこの情報をテレビ局に提供して、このニュースを報道させるようにしますよ。今はそうしても彼らは報道してくれないでしょうね。でも、私は何もかも分かりました」と言いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/7/356425.html)
 
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