師と法を敬わないことは小さな事ではない
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文/河南省の大法弟子

 【明慧日本2017年11月26日】法輪功が迫害される以前から、私の家は煉功点でした。私たちは、ある日起きた些細な出来事から、師父を敬うことや法を敬うことをしていないという事に気づきました。

 例えば、私たちの煉功点ではいつも学法の途中で、厨房に水を飲みに行く同修がいました。そこで、すぐに水が飲めるように、私は7個のコップを用意して印を付けました。ある日のことです。学法が終わった後、私は7個のコップを回収しようとしましたが5個しかありません。部屋の隅々まで探しましたが見つかりませんでした。残り2個のコップが消えてしまったのです。

 この2個のコップが消えたことを皆に話しました。そのことで同修たちと内に向けて探しながら交流しました。そして、結論として、師父を敬い、法を敬うことがされていないのではないか、ということに至りました。師父は毎回説法をされるときは、大体1時間から2時間を超えますが一口の水も飲まれません。しかし、私たちは学法をしている間、どうでしょうか? 水を飲んだり、話したり、歩き回ったりしています。明慧ネットに掲載されていた文章の中に、このことでよく修めている同修と他の空間の神々は、恭(うやうや)しく、跪(ひざまず)き、両手で本を捧(ささ)げて大法を学んでいます。一部の同修は、迫害の中でずっと学法をやり続けたことで、自分はよく出来ていると思い込んでいます。気付かないうちに修煉を怠ったことになり、法を敬っていないことに気がつきませんでした。修煉者にとって、師を敬わず、法を敬わないことは小さな事ではありません。注意すべきです。

 この交流から4カ月経ちました。この間、私たちは本当に礼儀正しく、学法をすることが出来るようになりました。ある日の朝のことです。不思議なことが起こりました。なんと、リビングの目立つ所に消えたはずの2個のコップが現れたのです。私は学法のとき同修に見せました。同修たちは口々に、「師父は時々刻々、私たちを保護し、見守ってくださっています」と感慨深げに言いました。

 師父は「集団で法を勉強し、集団で煉功することは私が皆さんに残したものです。迫害が極めて厳しい場合を除けば、中国大陸以外の他の地区はみな、このようにすべきです。これに従わない理由はありません。これは未来の人が法を得て修煉する問題に関わっています。ですから、集団で煉功し法を勉強することはなくてはいけないことです」[1]と説かれています。

 私たちは修煉に対して真剣でなければいけません。師を敬い、法を敬うこと、三つのことをしっかり行いましょう。ここで「集団学法の環境」を示してくださった偉大な師父に感謝致します! 師父の救い済度されるご恩に感謝致します!

 注:
 [1]李洪志師父の経文:「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/10/27/355959.html)
 
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