教授は偽りの中国共産党史を教えないと断言
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年11月26日】ある日、私は公園で真相を伝えた時、ある中国共産党史を教える教授に出会いました。「このような人に真相を伝えても通じないだろう」と思って諦めようとしました。しかし、ぐるっと回って来たら、またこの教授と出会ったため、「きっと師父が縁のある人を連れて来て下さった」と悟りました。そこで私は正念を発して、師父に「この人を救えるように智慧をお貸し下さい」とお願いしました。

 私は彼に「『共産党についての九つの評論』を読んだ事がありますか?」と聞くと、「読んだことがありません。あなたは肯定的に評価していますか」と逆に聞かれました。私は 「すべて、事実が述べられています」と答えました。さらに「あなたは中国共産党史を教えていますが、では、国共合作(中国国民党と中国共産党との政治提携)では、どっちが抗日戦争の柱石だと思いますか」と聞きました。彼は答えづらいだろうと思い、「私が答えましょうか。それは国民党です。八路軍ではありません」と言いました。

 「蒋介石の抗日戦争に対する態度は全中国の東西南北を区別せず、老若男女を区別せず、挙国一致で日本軍と闘うのですが、毛沢東の態度はどうだったでしょうか? それは1分の力で日本軍に抵抗し、2分の力でごまかし、7分の力で自らの勢力を拡大するものでした。彭徳懐が抗日戦争で犯した過ちは何でしょうか? 彼は百団大戦を指揮し、日本軍と戦って勝利を勝ち取りましたが、しかし、毛沢東は、こうすれば日本軍の主力を中国共産党の方に向かわせる恐れがあるからと言って、彭徳懐を失脚させたのではありませんか?  1972年、日本の首相・田中角栄が中国を訪問した時、毛沢東に謝り、戦争賠償金を支払おうとしましたが、毛は『謝りも戦争賠償金も入りません。逆に、あなた達に感謝しなければなりません。あなた達の助けがなければ、今日の我々はありません』と言ったのです。戦後の統計では、抗日戦争で国民党の戦死した将校の数は二百数人にも上りましたが、八路軍は何人いましたか? ある著名な歴史学者は『これは血で書いた歴史で、墨で書いた虚言ではない』と言いました」

 「1958年、大躍進の時、誇張する風潮が横行し、村の田んぼでは米が一反で500俵取れたとの出鱈目な報告を出しました。結局、これで数千万人の人達が餓死しました。なのに、中国共産党は『三年間の自然災害によって、厳しい経済困難をもたらした』と嘘を言って国民を騙しました。実際は、あの3年間の天候はとても順調でした」

 引き続いて、私は法輪功を罪に陥れた事と真実を話し、そして、法輪功に濡れ衣を着せた者達が、次々に悪報を受けていることも話しました。

 さらに1989年の「6・4」学生運動から共産党の鼻祖のマルクスまで話を移し、マルクスが若い頃、サタン邪教に加入し、彼が書いた『共産党宣言』の冒頭には、「1つの幽霊がヨーロッパを徘徊している」と書かれていたことも話しました。そして、毛沢東が言った「チンピラ運動」、「ごろつき造反」から、中国共産党の無神論まで、さらに「三退して平安を守る」についても話をしました。教授は聞きながらずっと頷いていました。私は彼に仮名を作り三退を勧めると、彼は喜んで承諾しました。

 話の中で、彼が退職してから、中国共産党の党校に再雇用され、中国共産党史を教えている事を知りました。最後に私は「このような政党のために声援を送り、声を上げる価値がありますか? あの嘘偽りの党史を教える必要がありますか?」と聞くと、彼はしばらく考えてから、「約束しよう。もう、あのような共産党史を教えません」と断言してくれました。

 師父のご加持と大法の感化の下で、この生命は救われました。彼が真相を知ることによって救われたことに、とても嬉しく思いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/10/27/355966.html)
 
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