文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年11月29日】最近、真面目に法を暗唱すると、師父は私が以前認識できなかった法理を悟らせてくださいました。ここで旧勢力の按排を打破し、師父が私達のために按排された修煉の道を正しく、しっかり歩むことで悟ったことを一部書き出し、同修と交流したいと思います。正しくないところについては、慈悲なご指摘をお願い致します。
一、 自覚がない顕示心を取り除く
周りの人はよく私のことを若くて顔に皺が少なく、顔色に赤みが差している、足が丈夫で、70歳を過ぎているようには見えないと言ってくれます。その言葉を耳にすると、私は大法を実証したと思う反面、非常に強い歓喜心と顕示心が顕れてきました。時にはわざと家族や、友人の前で自分の手足が彼らより敏捷であることを示します。また常に鏡をみたりして、若い方向へ変わることを追求します(当時は気付いていませんでした)。
ある日、私は強く転びました。私はうちに向けて探しましたが、探し当てることができませんでした。その後にも連続して何回か転びました。私は師父が何かを悟らせてくださっているとわかっていました。私はたくさんの執着心を見つけました。しかし、いくら考えてもやはり根本的な原因が見つかりませんでした。そのうち、少しずつ私の足は動かなくなり、左側の膝は歩く時まっすぐにすることができず、少し引きずりました。私は発正念をして邪悪による迫害を取り除きましたが、良くなったり、また悪くなったりしました。私はなるべく家族に気づかれないようにしました。顔の皺も多くなり、老けてみえました。目もはっきり見えなくなり、猫背になりました。私は頑張ってまっすぐにしようとして、両肩を後ろへ引っ張りましたが、ますます曲がる一方でした。
一度、私は明らかにある力が私の両肩を前へ引っ張っていて、強く私の背中を曲がらせようとしていると感じました。私はわかりました。あ、これは旧勢力が妨害をしている、私を老けさせ、大法に泥を塗るようにさせている! これは絶対許せない! 私は直ちに発正念をして私を迫害するすべての黒い手と卑しい鬼、共産邪霊を取り除き、それらに向け、あなた達には大法弟子を迫害する資格がない、あなた達には取り除かれ、解体される以外の選択肢がない、と告げました。同時に身体の一連の衰えに対して、内に向けて探したところ、深刻な顕示心、自惚れる歓喜心を見つけました。大法を学び、師父の保護があるから、自分は幸せだ、常人より強く偉いと思うことなどは、自分の心より魔が生じたのではないでしょうか? これは学法と修煉の目的が不純ではないでしょうか? 「自分がだれよりも偉く、大したものだと思い込みます」[1]という部分を学んだ時、特に頭の中へ突き刺さりました。これは私があまりにも悟らないため、師父が私を悟らせてくださったのだと思いました。
これらに気付いてから、私は毎日うちに向けてこれらの執着心とそのほかの執着心の現れを探しました。一旦見つかると直ちに取り除き、解体しました。現在背中はまっすぐになっており、肩は前へかがむことなく、左側の脚もまっすぐに伸ばせるようになりました。肩を前へ引っ張るその力もなくなりました。他の方面も良い方向へ向かっています。
二、死ぬことを恐れる心
二十数年前、娘は私のために占いをしてもらい、私が73歳まで生きられると言いました。当時あまり気にしませんでしたが、歳月が経つにつれて、少しずつこの年齡に近づくと、この影に絶えず影響されました。師父はすでに新たに私達のために修煉の道を按排され、私達を地獄から除名し、見守られているので旧勢力には決定権がないとわかっています。この方面の師父の説法もずっと暗唱していましたが、その影響をきれいに取り除くことができませんでした。もちろん、一旦この念が浮かんでくるとそれを認めず、取り除きました。
しかし、どうしてこれほど長年の間ずっと根を掘ることができなかったのでしょうか。私は心を静めてよく考えてみました。一旦浮かんでくると否定したとは言え、内心の深いところには非常に強い恐怖心が隠れていました。これは死ぬことを恐れる心ではないか? これほど深く長く隠れていたのに、私は意識していませんでした。これは旧勢力を信じて、師父を信じないことではないか。普段何度となく100%師父と大法を信じると言いながら、生死を目の前にして動揺したのではないでしょうか。口で言うことは表面的なものであり、心の底の深いところに埋もれている、非常に頑固なものこそ、実質的なものです。更に深刻なことは、ずっとこの年齡になる前に法を正すことが終わる事を待ち望んでいたのです。すると私はこの難から逃れることができます。この良くない心を見つけた時、私自身さえ驚きました。
これは旧勢力が求めていることではないでしょうか。大法弟子は師父の要求通りに行なうべきです。師父は私たちに無私無我で、人を先に自分を後にするよう要求されています。大法弟子は宇宙の護衛者であり、衆生のために自分のすべてを放棄できるはずなのに、どうして自分のために師父の法を正す時間が自分の考え方に符合するよう求めるのでしょうか。
師父は私たちに「もし修煉者が表面では放下しているだけで、内心ではまだ何かを守り固守していて、自分の最も本質的な利益が傷つかれないようにしていれば、皆さんに教えますが、これは偽りの修煉です!」[2]と説かれました。
今日私はこの頑固な死ぬことを恐れる私心を根こそぎ掘り出し、徹底的に取り除き、生死を放下し、師父の要求される通りに行ないます。以前私は娘が私のために占いをしてもらったことに文句を言い続け、娘のせいでずっと心の中で執着し、これほど長く苦悩したと娘を罵りましたが、いまになって、遭遇した如何なることも偶然ではなく、すべては自分の修煉と緊密に関連しており、すべては私の執着心を狙って、私を向上させるためのものだと悟りました。文句を言わないだけでなく、本当に感謝すべきでした。
旧勢力はすべての人に一本の道を按排しました。師父も大法弟子のために一本の修煉の道を按排されました。旧勢力の按排した魔難がやってくる時、師父は私達の考え、言動がどのように動くのかをみておられます。もし私達が法理に則っていれば、師父は直ちに私達を助けて劫難を乗り越えさせてくださいます。もし私達が法理に則っておらず、このすべては私達自身が借りた債務、自分の難であると悟らなければ、あるいは修煉に漏れがあって旧勢力に隙に乗じられたら、それは私達がうちに向けて探し、心性を向上させるよい機会です。長期に魔難の中でもがき、苦しむ中、もし悟らなければ、或いは大法と師父に対する信念が動揺し、疑い、ひいては文句を言えば、それは旧勢力が迫害を強める口実となります。ですから、いくら難しくても盤石のような固い意志で師父と大法を信じなければなりません。師父と大法だけが私達を救うことができます。
魔難はいかに変化しても虚像であり、すべては旧勢力が私達を台無しにさせるためのものですので、私たちは騙されてはならず、その虚像に迷わされてはいけません。もし私達が自分を緩め、人間の考えで問題を考え、仕事を行なえば、それは旧勢力の按排した険悪な道を歩むことになります。一旦認識できたとき、直ちに修正し、人間の考えを取り除き、正念で人間の考えを入れ替えれば、それは師父の按排された修煉の道を歩むことになります。私たちは時々刻々厳しく自分に要求し、すべての事を大法に照らし、正念を保ち、師父の按排された修煉の道を正しく、しっかり歩み、師父について家に帰らなければなりません。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』