病業の関門を乗り越える
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年12月4日】私の周りの一部の同修は病業状態に陥り、その為、多くの体力と気力を失いました。次では、幾人かの同修が病業の関門を乗り越えた実例を上げ、その中からヒントになればと思いました。

 怨恨の心をなくすと、腹水もなくなった

 女性同修のAさんは、家系的に肝臓が悪い人が多く、親族にはこの病気でなくなった人もいました。Aさんも腹水が溜まり、お腹が大きく、行動もとても不便でした。実はAさんはこの病状が出た時、このようなことが起きました。Aさんの舅はとても不可解な行動をして、彼は他の人の家で麻雀をして遊んでいても、トイレの時は必ずAさんの家に来るというのです。そして、トイレに入るのではなく、彼女の家のきれいな部屋で、用を足すというのです。舅は頭がおかしいわけでもなく、精神的にもまったく問題はありません。

 このような状況を見ると、Aさんは聞き苦しい言葉は口からは出ませんでしたが、心の中では「舅は災いの元だ」とひどく罵りました。Aさんの兄も修煉者で、兄にこの事を話したら、兄は「これは師父があなたに按排された最高のことではないのか? 排泄物とはなんなのだろうか? それは天に届く梯子ではないのか? あなたはこの関門をしっかり乗り越えなさい。これは師父が按排してくださった良いことだ」と言われました。

 家に帰ってから、Aさんはもう恨み事を言わなくなりました。舅が部屋を汚せば、彼女は黙って静かに片付け、3、4回もそうしました。すると数日後、彼女の大きなお腹がへこみ、溜まっていた腹水もなくなりました。そして、舅も再び彼女の家にトイレを借りに来なくなりました。

 内にむけて探した後、杖が要らなくなる

 同修Bさんは70代で足が悪く、いつも杖をついて歩いていました。彼女は息子と一緒に暮らし、家は隣り合っていました。農業を営む息子は自分が畑を作らずに、畑を姉に貸し出し姉に作らせていました。姉は畑を耕し作物を作り、たくさん収穫することが出来ました。息子はこれほどたくさんの収穫された作物を見て、畑を回収し自ら作りました。しかし、自分で作ると不作でした。仕方がなく、息子は畑をまた他の人に貸し出しました。Bさんは息子に「息子よ、あなたは畑のレンタル料が欲しかったのなら、お姉さんに貸し出せばいいじゃないか。なぜ他人に貸し出すのか? お前たち2人はこの私が産んだ子だから、姉弟の仲を悪くしてはいけない」と言い聞かせました。息子はそれを聞くとカンカンになって怒り、「俺の事には口を出すな」と怒鳴りました。

 その夜、息子と息子の嫁は家で餃子を作りました。普段餃子を作る時、いつも皆でBさんの家で作り、Bさんも一緒に手伝うようにしていました。しかし、その日、息子と息子の嫁はBさんの家に来ないで、手伝ってほしいとも言わず、餃子が出来上がっても、Bさんに一緒に食べようと声をかけてくれませんでした。餃子が出来上がったことを知っているため、Bさんは自ら息子の家に食べに行きました。しかし、息子一家3人は席も勧めてくれませんでした。Bさんは杖をついてそのまましばらく立っていましたが、心の中はとても辛く涙が流れ落ちました。Bさんは食べずに自分の家に戻りました。その後、お腹が空いたBさんは、再び息子の家に行きました。しかし、食卓はすでに片付けられ、餃子もどこにも見当たらず、彼女は仕方なく自分の家に戻りました。

 こうして、一晩中お腹が空いたまま、オンドルで何度も寝返りをして眠れませんでした。Bさんは自分のどこが間違っていたのかを内に向けて探しました。「常人の事に口を出すべきではない。息子が姉に畑を貸し出すかどうかについても、口を出すべきではなかった」と考えました。その晩、Bさんはひたすら自分の問題を探し、息子や息子の嫁が、自分に餃子を食べさせなかったことを全く怨みませんでした。

 すると、以前寝返りを打つ時には、いつも両手で悪い方の足を動かして、やっと寝返りが出来たのに、この夜は、両手で足を動かさなくても、寝返りができました。そして、翌日には、Bさんは杖をつかずに歩けるようになりました。

 翌朝、息子の嫁は熱々の焼き餃子を持って来てくれました。「お母さん、昨夜、お母さんが泣いていたのを見て、あの調子でご飯を食べても、体に悪いのではないかと思って、餃子を持って来ませんでした。今朝、早起きして餃子を焼きました。食べて下さい」と言いました。

 恨みを取り除けば、足の浮腫が引いた

 農村の女性同修Dさんは1年間畑仕事をして、1万7千元の収入を得ました。夫はその中の1万元を「この金は孫が学校に入学した時に使いなさい」と言って息子に渡しました。残りの7千元を自分が管理して、Dさんに1元もくれませんでした。そのため、Dさんは何かを買う時、夫からいちいち貰わなければなりませんでした。しかし、畑仕事をしているのはDさんで、夫は半身不随でほとんど外出もできません。

 兄弟と姉妹達(同修である)はDさんの生活が大変だと見て、3~4千元をDさんに与えました。しかし、このお金も夫に奪われました。Dさんは夫を怨み、そして、その気持ちをずっと引きずったままでした。しばらくしてから、Dさんの足が浮腫(むく)み、ズボンも履けなくなり、歩くのも大変辛そうになりました。

 地元の同修は1ヵ月に1回のグループ交流を行っています。Dさんは自分の事を話すと、ある同修に「怨む心が足の浮腫みを招いたのよ」と言われ、彼女は家に帰ってから、怨みの心を打ち消し、夫に優しくするようにすると、しばらくしてから足の浮腫みが引きました。

 足にある腫れ物が消えてなくなる

 2014年7月24日朝6時頃、警官が私の家を家宅捜索し、家財を押収しました。その時、私は留守でいませんでした。実は、前日の夜10時頃、ある同修が真相シールを貼ったために、地元の派出所に連行されました。私は派出所に行って警官に真相を話したため、その難を逃れました。

 この後、私は路頭に迷う生活を余儀なくされました。当時、本当に「百の苦一斉に降る」[1] の状況でした。母は私の家が警官に捜索されたことに驚かされ、体調を崩し、2回ほど入院しました。姉も弟も私のことを理解しないで冷やかな言葉を吐きました。私は地方で部屋を借りて8ヵ月間過ごし、その間、夫は一度も私を見に来ませんでした。私は夫をとても恨みました。生活のために商売もしました。しかし、金を稼ぐどころか、家賃までつぎ込んでしまいました。最も辛いのは、私の右足に大きな腫れ物が出来て、固い瘡蓋(かさぶた)の中に膿がたまり、歩く時びっこを引いて歩いていました。この大変な時、ある同修から「あなたは刑務所に入れられた同修の救出活動に参加しましたが、今、彼の妻にも病業が現れ、血便をしているそうです。あなたはまだ救出活動に参加しますか?」と聞かれました。私は同修に 「今、自分自身も大変なので、とても他人の事を構っていられない」と断わりました。

 しかし、その後、もう一度考え直してみると、「私が警官に連行されなかったのは、自分が見知らぬ同修の救出活動に参加して、新しい宇宙の無私の基準に合致していたからではないか」と思いました。法に則って考えれば、私は無条件に救出活動に参加しなければならないと考え直しました。こう思うと、私はすぐに同修に連絡を入れました。

 翌日の朝、耐えられないほど辛かった腫れ物が、いつの間にか消えてなくなっていることに気づきました。

 これらの実例から、「病業は怖くない、肝心なことは師父のお話をしっかり守り、本当に心を修めなければならない」と言うことを悟りました。

  注:
  [1] 李洪志師父の詩: 『洪吟』「その心志を苦める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/22/356992.html)
 
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