文/中国大法弟子
【明慧日本2017年12月5日】少なくない同修に異なる程度の「病業」及び他の魔難が現れ、長い間抜け出せず、内に向けて探し、正念を発して邪悪の妨害を取り除いても、よくなったり、悪くなったりしています。ある同修は「内に向けて探して探しても、行き詰まりを感じ、正しく探すことができず、根を掘ることができていません」と話しました。私も同じような経験があり、少し悟りがありますので、同修と交流したいと思います。
一、内に向けて探すことは早ければ早いほどよい
師父は病院治療についての説法の中で「ですから病院は、病気があれば早く治療しなさいと言います。重くなれば治療できなくなり、投薬量が多くなると患者が中毒になることもあります」[1]とおっしゃいました。
私の悟りでは、私たちは毎日内に向けていつも探し、自分の言行を振り返って法に合わない部分があるか否かを探し、見つければすぐ取り除き、邪悪に乗じられないようにします。一日の中で考えているもの、思っているもの、やっていることには限りがあるため、探しやすく、正しく探すことができます。折よく内に向けて探さないなら、これらの汚いものが、日々積み重なって時間が経つと、山のように大きくなり、内に向けて探しても正しく探して見つけることができず、取り除くことも難しくなります。
二、内に向けて探すとき、発正念を重視する
私たちは師父が与えてくださった内に向けて探す宝を用いて、内に向けて探すとき、悪いものはあらゆる方法を講じて撹乱し、妨害します。私たちが内に向けて探し、何かを見つけると、悪いものが取り除かれてなくなるため、悪いものは私たちに見つけられないようにさまざまな妨害を設け、疲れさせたり、眠くならせたりします。私たちが探し続けられなくなったら、邪悪は目的を達成するのです。そのため、私たちは悪いものの険悪な意図を見破り、堅い意志、堅い気力がなければなりません。他の空間では正邪の激しい戦いなので、私たちは緩めずに内に向けて探し続け、一つの執着心を見つけると取り除き、さらにこの執着心がどこから来たのかを根まで探して取り除きます。
一部の同修が執着心を見つけても取り除かないのは悪い人を捕まえた後すぐ釈放したと同じで、悪いものは相変わらず悪いことをしますから、悪を取り除き続け、緩めてはいけません。他の空間で私たちが内に向けて探すのを妨害する要素を徹底的に取り除けば、私たちの内に向けて探す力が大きくなり、執着心を正しく見つけることができます。
三、法を多く勉強し、しっかり学ぶことが肝心である
師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2]とおっしゃいました。法をしっかり勉強することは各種の執着心を取り除くことができる保障です。執着心は私たちに見つけられないように、消滅されないように私達を学法しても心に入らず、集中できないようにさせ、私たちの頭の中に様々な念を入れ、このこと、あのことを思い出させ、すぐやらないといけないことを思い出させ、学法をやめさせたり、学法のとき、眠くさせたりします。このようなことが長くなると、学法しても頭に入らず、法から離れて、執着心を探しだせず、上へ修めることができなくなるのです。
生活の中のすべての執着や、三つのことをやっている中で気づかない妨害はみな旧勢力の妨害です。私たちはこれをはっきり見分けなければなりません。
最後に、師父のこの一段の説法を一緒に学びましょう。「最後になればなるほど、緩めてはならず、最後になればなるほど、法をさらによく勉強し、正念を充分に持たなければなりません」[3]
よくないところがあれば、慈悲なる指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「妨害を排除せよ」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「カナダ法会へ」