「偶然」 に現れた小さな出来事から悟る
■ 印刷版
 

文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年12月7日】私達が日常生活の中でよく使う品物は、もしかしたら、私達ととても大きな縁があるのかもしれません。私達の修煉状態がよくない時、それらは私達のために焦り、心配し、そして、様々な方法を使って私達に注意を促し、私達の修煉を手伝ってくれるのです。私はこのような事に多く出遇いました。次ではそれについての幾つかの話をしたいと思います。

 その(一)

 家のトイレの水道管はすでに相当錆びてしまい、ポタポタと水が漏れていました。連れ合い(同修)に「新しいものに取り替えよう。もう30年も使ったのだから」と言われ、私は「水漏れ? それは修煉に漏れがあるのではないの? きっと私達に漏れがあることを気づかせてくれているのよ。しっかり探さなければいけないわ!」。連れ合いは私の話を聞いて、すぐに「そうだな、しっかり探すべきだ!」

 家族全員が大法を修煉しています。考え方が変わった瞬間、ポタポタと漏れていた水道の水は、1分間隔で水滴が落ちるようになりました。それを見て「今のこの状況は私達の心によって作られたものだ」と確信しました。私達は一思一念から、特に三つの事について、自らの不足と人心を探し、それを直ちに正しました。次第に、私たちは水漏れの事も忘れました。ある日トイレに入った時、水漏れをしていた水道管が全く漏れなくなった事に気がつきました。

 その(二)

 ある時、携帯電話に充電しましたが、一晩中充電をしても、半分しか充電が出来ませんでした。どこに問題があったのだろうかと考えました。私はすぐに手元の事を止め、内に向けて探し「携帯電話に充電が出来なければ、エネルギーが足らない、つまり法を学ぶことに問題があるのではないか」と思いました。確かにそうでした。この2日間、やることが多すぎて、私は仕事に没頭し、法を学ぶ事を疎かにして、しかも、法を習っても心に留めていませんでした。そのため、仕事をしても効率が悪く、品質もよくありませんでした。私はすぐ手元にある仕事を止め、法の暗唱を始めました。

 法を暗唱すると、心が次第に落ち着いてきました。心が静かになれば、『轉法輪』の言葉の一つつがすべて心に留まり、十数分で、『轉法輪』の一段落をすぐ覚えました。すると、携帯電話の充電も99%が完了したことに気づきました。「自分の行動は正しかった、探していた問題も的中していた」と分かりました。私は引き続き法を暗唱しました。自分の空間場がきれいになり、正念も強くなったように感じました。再び仕事をした時、効率も品質も共に高まりました。本当に半分の労力で倍の成果を上げました!

 その(三)

 仕事をする心はずっと私を妨害してきました。以前、何度もトラブルを引き起こしたのも、ほとんど仕事をする心が強過ることが起因でした。そのため、やらなければならない事がますます多くなり、法を習うことが何度も延ばされ、いつも仕事を先にし、法を学ぶことを後にするという状態になりました。法を習う事がついて行かなければ、正念も十分ではなくなり、時間が長くなると、旧勢力に隙きに乗じられやすくなるのです。

 ある日、私は忙しくしており真相資料を作りながら、同時に他の事もやっていました。突然、パソコンの電源が勝手に切れました。触って見れば、パソコンはそれほど熱くないのに、どうして電源が切れたのでしょうか? 再びパソコンを立ち上げ、作ろうと資料を設定しました。しかし、しばらくすると、電源がまた切れました。私はしばらく発正念をして、再度パソコンの電源を入れました。今度は、プリンターがおかしくなりました。もともと急いで資料を仕上げ、法を学ぼうと思っていたのに、今は何もかも出来なくなり、仕方がなく法を習うことにしました。

 実は、とっくに仕事を止めて法を学ぶべきでした。しかし、仕事をする心につられ、仕事をやり終わってから法を学ぼう、とばかり考えていました。しかし、この仕事が終われば、あの仕事が始まり、なかなか落ち着きません。ようやく時間を作って法を学ぼうと思ったら、頭は仕事の事でいっぱいで静かになれませんでした。今度はやることがなくなり、心を落ち着かせて法を学ぼうと思っていたら、脳裏で「機械をどう修理すればよいか」と雑念が浮かびました。私は突然「これは私の学法を妨害しているのではないか」と気づき、そこで「私の学法を妨害するいかなる要素も全部解体する」と強い正念を発しました。やっと心が落ち着き、法を学ぶ効果もとても良くなりました。

 法を学んでから体が楽になり、正念も強くなったように感じました。この時、頭に突然「パソコンとプリンターは回復した」との一念が閃きました。私が作ろうとする資料を設定すると、パソコンとプリンターはとても正常に作業し始めました。

 もし、私達がいろんな事に出遇った時、たとえ不公平な態度をされたり、人に誤解されたり、非難されたり、あるいは危険に遭遇した時でも、すべて正念を持って対処することが出来れば、いかなる正しくない要素にも動かされず、内に向けて探すことができ、自らを修めることができれば、それなら、私達は人間から抜け出し、神に向かって邁進することが出来るのではないでしょうか。そうすれば、師父に少しでも安心して頂けるのではないでしょうか。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/29/355605.html)
 
関連文章