瞬く間に消え去る修煉の時間を大切に
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年12月23日】「この億万年の歴史の中に今日という最後の一刻を待っています。この一刻は実は一瞬のことであり、神からみれば手を振る間のことです」[1]と師父はおっしゃっています。また、「この瞬間は千金、万金に値します。この道をしっかり歩むことは最も素晴らしいことです」[2]とも教えられ、「法の勉強においてついて来られなくなった大法弟子だけが、この間に精進することができず、意気消沈してしまい、ひいては時間の大切さを忘れ、時間を無駄にせず大法弟子として行うべきことを行っていません」[3]とも訓戒されています。

 今の人々は1日のうち、どのくらい自由な時間を持っているでしょうか? サラリーマンの場合、平日は8時間の勤務を終えたあと、6時間寝て、4時間を家事(料理、洗濯、片付け、家族の世話)に使い、通勤に1時間を費やして、時々の付き合いなどの1時間を差し引けば、4時間しか残りません。この4時間の中で人は水を飲んだり、お手洗いにも行かなければならないので、残りは3時間ちょっとです。もし1時間でも寝坊すれば、2時間ちょっとしか残りません。退職した高齢者の場合、子供の世話を8時間みて、6時間就寝し、4時間の家事を行い、時折1時間の散歩にでも出れば、5時間しか残りません。この5時間の中で、本当に修煉に使える時間は4時間ほどでしょう。

 要するに、1日に24時間があるものの、事実上、私たちが自由に使える時間はごく僅かで、学法や真相伝えに使えるものは、なおさら少ないのです。だらだらと日々を過ごせば、無意識のうちに時間を浪費してしまいます。長い間、時間を惜しんで修煉しなければ、人心が取り除かれず、正念も強くならず、修煉がますます怠惰になって、全体とのギャップもますます大きく開いてしまい、全体から落ちてしまうこともありえます。修煉は流れに逆らって進む舟のように、進まなければ流されてしまうのです。

 周囲のサラリーマンとして勤める同修の中で、退社してから花や草木の手入れに、多くの時間と精力を費やしたり、ドラマの鑑賞や携帯電話に夢中になっている同修もいます。最近の電子機器はとても魅力的で、ちょっと覗いてみるだけで1〜2時間がすぐに過ぎてしまいます。気がついたときは、時間がなくなって、心も乱されてしまいます。人間の時間と精力は限られています。テレビを20分ほど長くみれば、修煉に使う時間が20分減ります。1日のうちの20分は長く感じませんが、1年で計算すれば100時間を超えます。『轉法輪』を10回読むこともできたでしょう。学法すれば法理が分かり、執着を取り除くことができ、正念も強化されます。しかし、花を植えたり、テレビを観たりすれば、常人の心や情が増すだけで、修煉の本質である心を修め、欲を断ち切ることはできません。

 考えてみれば、私たちが日々浪費しているのは20分だけでしょうか? 時間と労力がかかる修煉と無関係なことを警戒し、自省しましょう。そうしなければ、私たちは容易に妨害を受けて、ひいては修煉が台無しになってしまいます。宇宙の歴史の中で私たちが無駄にした時間はどのように記載されるでしょうか? 「でなければ、歴史であなたが浪費したこれらの時間をどのように記載すればよいのでしょうか?」[4]

 学法と煉功を疎かにし、常人生活をメインにしながら三つのことを副業のように行う同修もいます。彼らは「時間があれば多く煉功し、時間がなければ少なく煉っても構わないのが法理ではありませんか?」と自分を正当化しています。しかし皆さん考えてみて下さい。1日に1講少なく読めば、年間では『轉法輪』の通読が40回ほど減ります。仮に根基と悟性がまったく同じような2人がいるとして、1人は1カ月で本を通読し、もう1人は1週間で通読できるとしましょう。10年経った時点で、彼らの境地と次元の開きは想像できるのです。その差異はどこにあるのでしょうか? それは心がけと努力にあると思います。中国の農民はよく言いますが、「人は一生懸命に田んぼを耕せば、必ずそれ相応の収穫が得られます」。この話はシンプルで素朴ですが意味が深いのです。修煉の中で時間と精力を費やさなければ、法理における向上がなければ、執着を徐々に放下していなければ、度重なる観念の転換がないままで一気に成仏することを夢見るのは馬鹿げた妄想ではありませんか?

 実は、私たちは時間を惜しんで修煉に励まなければならないほど妨害が多くなり、修煉状態もますます悪くなります。ある女性の同修は引退後、修煉に専念せず、時間と労力がかかる仕事に没頭して金稼ぎに時間を費やし、ますます常人になり、ますますひどい態度で周囲に当たり、最後は癌で世を去りました。もう1人の70歳の男性同修は、根基と悟性がよく、修煉してから肝炎が治ったのですが、その後ゲームに夢中になってめったに学法せず、煉功も怠けて、天寿が過ぎた後も精進せず、同じく癌で世を去ったのです。

 テレビ、携帯電話、そして電子ゲームは何でしょうか? 師父はこのようにおっしゃっています。「これは宇宙人の技術で、魔はそれを利用して、あなたを誘惑しています。あなたが全て放棄して、それに夢中になるように仕向けられています。生命を無駄にしているのに、まだ未練があってやめようとしません! 人を為す角度から見ても、あなたはすでにおかしくなっているのに、修煉しているならなおさらです」[5]

 現実から分かるように、どんなに高い次元まで修めていても、一旦気を緩めて修煉の時間を大切にしなくなり、常人生活に溺れるようになれば非常に危険で、落ちてしまうこともあります。このような事例は数多くあります。法理に照らして考えてみれば、私たちは時間を大切にせず、漫然と日々を過ごして、常人になっているのではありませんか? 常人そのものになったのではありませんか? それなら、常人の病業や劫難が当然ながらやってきます。あなたが常人でいることを選んだので、師父も理由なく常人の業を消す訳にはいきません。

 師父は繰り返し修煉の機縁を大切にするように強調されてきました。逃した機縁は二度とありません。より多くの時間をきちんと修煉に配分することは、機縁を大切にすることではありませんか? これは重視すべき問題であり、私たち自身が解決できる問題であり、旧勢力や邪悪は容易に隙に乗じるのです。

 一部の同修は時間の利用が非常によくできていて、私たちは見習うべきです。痩せて非常に弱々しく見える年配の同修ですが、修煉においてとても粘り強いのです。彼女の言葉を借りると、「ご飯を食べなくても構いませんが、三つのことは絶対にきちんと行わなければなりません」。彼女は一心に修煉し、毎日多くの学法をこなし、1日も煉功を怠りませんでした。その後、彼女は腹部の腫瘍が消え、長年胸に詰まっていたうっぷんが消え、臆病も強い正念に取って変わりました。毎日、時間を惜しんで修煉に努めることはもっともよい精進であり、もっとも速く向上が得られるのです。

 ある同修は移動中に『洪吟』を暗記し、ある同修は勤務時間の休憩の合間に学法し、ある同修は家事をしながら同修の交流を聞き、ある同修は3~4時間しか眠らず、食事と睡眠から時間を割くようにしています。古代では、芸を学ぶなら「拳を休まず、口を休まず」と言い、学問を追究するなら「考えて考え抜いて、鬼神から告げられる」と言っていました。人間は盤石のような堅い意志を持って精進して怠らなければ、必ず神佛から加護と恩恵を受けます。なぜなら、長期にわたって堅持する修煉の心は金色に輝き、十方世界を震わすことができるからです。

 実際、私たちは今世のために輪廻し、今世も修煉のため、法を得るために世に来ているので、それなら時間を惜しんで修煉に励むべきで、日常生活の中で三つのことを本業とし、もっとも良い時間帯とベストの精力を三つのことに割り当てるべきです。時間を節約し、時間を大切にすることは、すなわち機縁を大切にすることです。サラリーマンとして勤めている同修たちが平日に自由にできる時間はわずか数時間しかありません。この数時間を有効に活用できなければ、修煉はただのスローガンにほかならず、衆生を救うことは絵空言になります。時間をかけず、精力を投じず、全身全霊で臨まなければ、衆生を救う重大な責任はどのように担っていくのでしょうか。

 古人は「時は金なり」とよく言います。正法時期における時間はもっとも貴重で、金銭とは比べものにならないものです。毎日、神は平等かつ公正に人々に24時間を与えています。しかし、この時間をいかに按排、利用、配分するかは、それぞれの選択です。時間と精力を修煉に注げば、神に向かい、それを常人生活に投じれば、常人になることを選択したことになります。

 以上は私の未熟な考えですが、皆さんの参考になれば幸いです。皆さんがともに修煉の時間を大切にしていくことを切に願っています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「シカゴ市法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/9/357666.html)
 
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