文╱中国の大法弟子
【明慧日本2018年1月19日】私は今年65歳です。若い頃、知識青年として農村に送られました(文化大革命中に都市の初、高等学校の卒業生が農村支援の名目で辺鄙な農村に追放されたこと)。私は幼い頃から体が弱く、大人になってから、更に悪くなり、心臓病、胃腸炎、足腰の痛み、婦人病などを患い、体中に良いところがないほど衰弱していました。最も辛かったのは椎間板ヘルニアでした。それを治療するため、私は国内のいろいろな病院に行きましたが、治りませんでした。1999年の初め、私は幸運にも大法修煉の道を歩み始めました。それからは、ほとんどの病気が治り、体が軽やかになり、とても健康になりました
師父の慈悲なる済度に心から感謝します。そして、すべての縁のある人に法輪大法の素晴らしさを伝えていきたいと思います。
一、小舅の嫁は「法輪大法は素晴らしい」と念じて、病気が瞬時に消えた
ある冬の日、小雪が降っており、私は街から家に帰る途中、小舅の家を通りかかった時、嫁同士でお喋りをしたいと思い、家に行くと、小舅嫁がオンドルで寝込んでいるのが見えました。小舅に「どうしたの?」と聞くと、「血圧が高くて。朝から嘔吐したり下痢したり、目眩がして熱もあって、話すことすら大変なんだ」と言われました。私はすぐに大法のお守りを取り出し、小舅に「この大法のお守りを彼女に渡して下さい。そして、私と一緒に『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』と念じて下さい。彼女はきっと良くなりますよ」と言いました。
小舅はちょうど困っている様子だったので、私の話を聞くとすぐに「いいよ! いいよ! 頼むよ」と言いました。この時、小舅の嫁がアイスキャンデーを食べたいと言い出したので、小舅はすぐ買いに行きました。私は小舅の嫁に「法輪大法を信じてください。声が出なくても、心の中で『法輪大法は素晴らしい! 師父、私を救って下さい!』と念じてください」と言うと。彼女はしばらくそのように念じて、その後、声を出して念じました。
しばらくして、小舅が戻って来ると、小舅の嫁は起き上がる事が出来るようになり、目眩もなくなり、話す事が難しくなっていた小舅の嫁と私はアイスキャンデーを食べながら雑談していました。それを見て、小舅は「お姉さん、嫁はすっかり元気になって、まったく病人には見えないね」と言い、私は「『法輪大法は素晴らしい』と念じたからですよ」と言いました。翌日、親戚も見舞いに来てくれました。小舅の嫁が病気の経緯を話すと、親戚の人は、「あなたと同じような症状の人が、、病院に運ばれましたが、車の震動で脳内出血を起こし、救急手当をしてもらったが、亡くなられたそうよ。あなたは病院に行かなくて良かったね」と言いました。
小舅夫婦は法輪大法の不思議を、身を持って体験しました。それから、彼らは大法を心から信じるようになり、小舅の嫁はいつも「法輪大法は素晴らしい」と念じるようになりました。以前、血圧が高い時、よく倒れ、いつも点滴をしていましたが、「法輪大法は素晴らしい」と念じるようになってからは、ここ数年、とても健康で、今、2人の孫の面倒をみています。彼女は自分で念じているだけでなく、友達や親戚にも大法の福音を伝えています。
二、「法輪大法は素晴らしい」と念じて、脳血栓の老婆は普通に歩けた
ある日、友人と一緒に公園で散歩していました。私達と同じベンチに2人のお婆さんが座っていて、2人とも杖をついていました。私は隣のお婆さんの顔色があまり優れないのを見て、「どこか具合でも悪いのですか?」と聞くと、「2人とも脳血栓ですよ」、「家にいても鬱陶しいから、ちょっと散歩に出かけてみました」と言うと、2人はよろよろと立ち上がって杖をついて帰ろうとしました。
その様子を見て、気の毒に思い、お婆さん達を呼び止めて、私は法輪大法を修煉して病気が無くなった事の体験を話しました。もし本当に信じる事ができるなら「『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』と誠心誠意念じてみて下さい」と言うと、お婆さんはすぐに繰り返し、繰り返し念じていました。しかし、もう1人のお婆さんは信じてくれませんでした。
ある日、スーパーの入り口でお婆さんに呼び止められ、誰かと思ったら、あの時のお婆さんでした。お婆さんは顔色がよくつやつやとして、とても元気そうで杖もつかず見違える程変わっていました。
私は「あの時のお婆さんですよね! 良くなられましたね」と聞くと、お婆さんは「よくなりました! 良くなりました!」と言い、「それは良かったですね! 今も念じていますか?」と聞くと、お婆さんは「毎日念じていますよ」と言いながら、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」とその場で念じました。私たちはしばらく雑談して別れました。この時、お婆さんは、スーパーの入り口は人が多いにもかかわらず、声を出して「法輪大法は素晴らしい!」と念じていました。
もう1人のお婆さんには、たまに会う事がありますが、依然として杖をついて大変そうに歩いていました。真相を分かってもらえなかった事をとても残念に思っています。