弁護士に依頼する過程でひたすら自らを修める
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年2月9日】私達は2016年10月、辺鄙で遠い郷、鎮に資料を配りに行った時、中国共産党による法輪功の誹謗中傷宣伝を信じている人に通報され、私ともう1人の同修無事に脱出しましたが、他の数人の同修は警官により派出所まで不当に連行されました。

 さらなる損失を蒙らないため、その日の夜、私達は連行された同修の家から大法の書籍や関連物品を運び出しました。それから、迫害を制止する活動が困難になり、同修を救出する活動が始まりました。私達の地域には同修の人数がそう多くありませんが、しかし、同修はほとんど外に出て大法を実証し、秩序ある行動をしていました。その日の夜、私達は派出所の所長に電話をかけ、「大法弟子に優しくしてほしい、同修を解放してください、そうすれば、きっとあなたに良い応報があります」と説得しました。しかし、所長は自分がいま派出所にいないという理由で私達の要求を拒否しました。その後、さらに私達は関連ある警官達にショートメールやマルチメディア・メッセージを送り、彼らに「これ以上迫害に加担しないよう、大法弟子に優しくしてほしい、そうすれば良い応報がある」などのメッセージを送りました。

 数人の同修達はやはり留置場に移送され、不法に拘禁されました。他の同修達は直ちに地元の弁護士に真相を話し、すぐに同修達に接見するようお願いしました。そして、弁護士に激励と慰める言葉を同修達に伝えてもらい、いち早く拘禁された同修達の現在の情報を収集しました。

 案件はとても早いスピードで検察庁に送られました。私達は「弁護士に依頼して、同修を救出し、迫害を制止し、公安局、検察、裁判所の人達に真相を伝え、さらに彼らを救おう」と検討しました。弁護士に依頼することは私が担当することになりました。私は明慧ネットでB弁護士がある同修の案件を代理して、そして、同修が釈放されたとの報道を読んだため、色々調べた結果、ようやくB弁護士と連絡が取れて、口頭で依頼の内容を成立して、弁護士費用についてもまとめ、B弁護士に依頼することにしました。

 しかし、弁護士を地元に迎えた時、私達はとてもがっかりしました。弁護士は前に口頭で協議した内容を履行せず、しかも、とても忙しそうでイライラしていて、私達の提案を全く受け入れてくれませんでした。ある同修は「弁護士に交通費を支払って、彼に依頼するのをやめるべきだ」と言いました。ある同修は「弁護士の今の振る舞いを見たら、私達が自らを修めるべきではないか」と言いました。

 弁護士は留置場で同修と接見して、その後、弁護士と皆で食事をして、一緒に検察庁に行って検察官達に真相を伝えたらどうか」と提案しましたが、弁護士はそれを拒否しました。私は「あなたは当時私達がお願いたした内容通りに行っていません」と言うと、弁護士は「その時、ただ話をしただけで、あなた達がこれほど真剣に考えているとは思わなかった。私は今まで全部このようにやって来た。つまり、当事者と接見して、検察庁に法律提案書を送れば、この段階での仕事は終了する」と主張しました。そして、彼は弁護士費用を受け取ると、急いで帰りました。

 参加していた同修は一緒に交流して内に向けて探しました。ある同修は「弁護士に1元も支払うべきではありません。交通費を払うだけで充分です。彼は約束違反をしたから」と言いました。ある同修は「大法弟子は彼と同じように考えてはいけません。もっと寛容な態度を持つべきではないでしょうか」と言い、また、ある同修は「弁護士の行動は私達を写している鏡です」と言いました。私は自らを探しました。「自分には有名弁護士に対する執着心があって、弁護士に頼る気持ちがあったから、このような悪い結果を招いたのではないか」と思いました。「私達は主役です。この件の中心です。外を見てはいけない。私達は自らを探さなければならない」と私は悟りました。

 師父は「もし、人に遠隔透視の功能があれば、次のような光景が見えるかも知れません。坐禅する時、入定した瞬間に、突然ふわっとあなたの身体の中から、あなたと同じ容貌のもう一人のあなたが出ていくのが見えます。しかしあなたの自我はどこにいるか分かりますか? そこに坐わっているのです。彼は出てから、師に連れられて師の演化したある空間の中で修煉しますが、それは過去の社会形式であるかも知れませんし、現在の社会形式であるかも知れません。あるいは別の空間の社会形式であるかも知れません。彼は毎日1、2時間、煉功を教えてもらい、多くの苦しみに耐え抜きました」[1]と説かれました。

 法を学ぶことによって私達は悟りました。「師父は弟子に教える場合、弟子の様々な人心を取り除かせるため、様々な場面を演化してくださいます。重要なのはその場面ではなく、肝心なのはそれぞれの場面において、人心を取り除き、そこから向上することです」。交流を通して、私達は法の中で心性を高め、それぞれの人心を見つけ、それによって、全体的に向上し、雰囲気も穏やかになりました。

 前の経験と教訓をふまえて、心性も向上したため、その後、私達は他の数人の弁護士に依頼しました。その過程では、私達はやはり経験豊富な弁護士に優先的にお願いしました。しかし、皆は直前に都合が悪くなったと言って、そして、大法弟子のために弁護する新人弁護士を紹介してくれました。トラブルに遇えば、同修達は落ち着いて交流しました。ある同修は「佛家は何事も自然に任せて、行っても結果を求めないを重んじています」と言い、またある同修は「私達はやれることを必ずやり遂げなければなりません。私達が出来ないことは師父がきっとやって下さいます。師父の按排はきっと最高のものです」と言いました。

 私達は修煉の本質、つまり人心を取り除き、行こなうことをしっかりとやり遂げ、めまぐるしく変化する「場面」に動揺しなかったため、その結果、開廷した数日間、無名の弁護士達は法廷で確かな根拠を持って弁護をしてくれました。誰を代理にするかに構わず、自由に答弁し、とても穏やかな雰囲気の中で物事は運びました。

 裁判の後半、裁判長はある弁護士に「あなた達の答弁はとても素晴らしいものでした。私達はできるだけ、この数人の法輪功学習者の手助けをします」と言いました。最終的に裁判所は同修に不当に1年の判決を宣告しましたが、しかし、刑期は同修達が連行された日から計算し、しかも、同修はすでに1年近く拘禁されていたため、結局、判決後すぐに解放されました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/20/359819.html)
 
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