初めての病業の関の悟り
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2018年2月19日】私は幸運に恵まれ、大法とご縁をつないだきっかけは多くの同修と似通っています。ある日、親戚から話を聞いて大法を知り、そして、『轉法輪』を読み進めていくうちに、大法の本を手放せなくなり、決意を固めて修煉の道を歩み始めたのでした。修煉を始めて間もない頃、病気治療が目的だった私は、初めて遭ったのが病業の関でした。病の根源を深く悟ることが出来た時、病がおのずと消えてなくなる時なのでした。

 大法に出会えた直後のころの光景を思い起こすと、今でも微かに身震いがします。もし、当時自分に少しでも怠けて、諦める気持ちがあったなら、今日の自分はなかったと思います。もし、当初誤って機縁を失ってしまったら、現在、私はきっと何処かで彷徨い、寂しい生き方をしていたでしょう。あるいは、もしかしたらもうこの世に居ないかもしれません。

 ここで、皆様に自分が修煉して、初めて病業の関に遭った時のことを話したいと思います。私はこの体験を通して、関を乗り越える時に精進しなければならないと認識でき、さらに、大法の恩恵と旧宇宙の生、老、病、死の規則を身を以って体得することができました。

 あれは1999年の秋でした。外は常に暗く、霧や黄砂がよく発生していました。大法が無実の罪を着せられたことを目の当たりにして、常に一緒にいた同修たちとの連絡が途絶え、私の心は晴れませんでした。体の調子は常に悪く、特に胃の調子が悪く、毎日痛みました。ある日、学法をしている時、突然、酷い吐き気に襲われました。横になれば治るかと思い、あまり気にしませんでした。しかし、横になったら、症状がもっと悪化して、吐き気に胃痛が伴い全身に駆け巡り、身体が麻痺し始めました。我慢が出来なくなり、渾身の力をふり絞り、トイレに駆け込みました。嘔吐と下痢の排泄物は皆黒っぽいものでした。これを見て、大丈夫だろうかと心が動揺しました。そして、立ち上がり、部屋に戻ろうとしたその瞬間に、身体がまるで違う空間に迷い込んだかのように、意識を失いました。

 どれほど時間がたったのかわかりませんでした、突然、遠い所から娘が私を呼んでいる声が聞こえてきました。その声は悲しく、次第に大きく、近づいてきて、そして直ぐ自分の傍から聞こえてきました。目を開けてみたら、娘が泣きながら私を呼んでいました。私はトイレの床に横たわって、後頭部がズキン、ズキンと痛み、自分がトイレの床に横たわっていたことに気づき、とても驚きました、自分の身に起きたことについて一切覚えていませんでした。娘が私をゆっくり部屋に連れて行ってくれ、私が意識を失って頭を暖房器具にぶつけて、倒れていたと教えてくれました。いくら呼んでも、私の意識が戻らなかったので、気が動転して、泣き出したと言いました。

 この出来事はあまりにも突然だったので、ベッドに横たわったまま、私は頭の中が真っ白になりました。すぐに、いろいろな悲観的で良くない原因を考え出しました。そして、娘のことを見て、家の中を眺めながら、多くの執着心が湧き出てきました。かつて、確固不動だった私を試すためのものでした。その時になって、やっと自分は最も意に介しているものは何かを知り、更に、その時に顕れたすべての躊躇と下した決断は人心と正念との戦いでもありました、自分の状態に恐怖感を覚え、そして恐怖に打ち勝ち、また恐怖を感じるようになり、また乗り越えるというようなことがくり返し続きました。ついに、私は今回身体に起きた異常は病業の関として捉え、旧宇宙の生老病死の按排を認めず、これは病だと認めない事を決意しました。師父が病業の法理についてはっきり説かれていた内容を当時の私は少しばかり理解していました。しかし、大法が中国共産党政府に誹謗中傷された中、このような病業状態が現れた私を見て、周りにいる常人はどう思うでしょうか? 常に常人社会の中で大きなプレッシャーを抱えている私にとって、その時、邪悪が私に加えた迫害は大きな心性の練磨となりました。

 夫と息子は大法弟子ではないので、私の様子を見て、病院に行くように勧めましたが、私は行きませんでした。すると、治療は受けず、ただ病院に検査を受けに行くだけにしようと、私をごまかして、病院へ連れ出そうとしました。私は「病気という概念が存在しないのであれば、病院に行って、検査を受ける必要はない」と思い、師父を信じ、どこにも行かないことに決めました。その時、自分の病を引き起こしたすべての原因は自分の業力にあるとわかっていたものの、心性が基準に達していなかったため、突破口を見つけられられず、ひたすら歯を食いしばって耐えることしかできませんでした。

 この関を乗り越えるのに数カ月かかりました。毎日体の回復がみられるものの、大きな変化が見られません、頭がぼんやりして、時々激しい頭痛に襲われて、頭が破裂しそうな時もあれば、目が眩しくて天地がひっくり返ったように感じる時もありました。数回、気絶して倒れたこともあり、常に胃の調子が悪く、排泄物に血が混じっていました。常人の助言が耳元に残り、執着心に動かされ、耐え切れないほどの苦痛を味わいました。ようやく落ち着きを取り戻したと思いきや、今度は町内会や派出所の人員達に度々家に上がり込まれ、脅迫され、あるいは、誰それが私の症状は胃潰瘍だ、危険極まりないと言う人もいれば、頭部が打撃を受けたので脳震盪を起こしたのではと告げる人もいました。いつでもどこでも私の心が試されていました。

 当時常人の意見を避けるとともに、身体の苦痛にも耐えなければなりませんでした。あの練磨は若い人や、健康な人には体得できないものでした。それは人の意志を消耗させるだけでなく、修煉者としての受容力も試されていたのでした。当時、内に向けて探すことも分からず、邪悪の妨害を排除することも知りませんでした。ただ師父を信じ、法を信じて、苦痛に対処するだけでした。また、自分は修煉者だという自覚を持ち、常人のように解決策を探したり、他人に愚痴を聞いてもらうこともしませんでした。昼間には音楽を聴き、注意力を分散して痛みを和らげる方法がありますが、夜になれば、激しい頭痛が起き、痛みで眠れず、寝返りしようにも寝返りすることすら出来ませんでした。「忍」を実践することは実に難しいことだと思い知りました。

 まさにその時期に、今まで自分がずっと察することが出来なかった問題点に気づくことが出来ました。幼いころ両親を失った私は兄夫婦に育てられ、多かれ少なかれ、生活の面において不自由な思いがありました。そのため幼年時代は、苦に屈しない性格を養ったのでした。他人にとってそれが耐えがたいことであっても、私は何とも思いませんでした。就職して、同僚も私のことを素直で、忍耐強く、仕事ができて、有能だと褒めてくれました。そのため、他人の苦労も気に留めたことがありませんでした。修煉後、同修が病業の関を乗り超えられないのを見て、同修の意志が弱いのではないか、確固たる決意が足りないのではないかと、口には出さないものの心の中で軽蔑していました。自分も病業の関に遭い、同修と同じ状況に置かれて、初めて病は通常の生活の苦労とは全く違うものだと思い知らされました。特に生死の試練に直面する時の苦しみは、とりわけ心に刻み付けるほど忘れがたい辛さでした。そして、最も肝心なことは、この過程において、自分の深く隠された私心、それは幼少期の経歴、常人社会で形成された性格、および中国共産党の闘争哲学の党文化に深く関わっていることを認識できたのでした。今まで私は他人に善意をもって接することができず、他人の苦労を思いやる気持ちを持っていませんでした。物事を行なう出発点は往々にして、結果よりその過程が大切なのです。善の心や、気遣いを持つ事が基本だと思います。動機が歪めば、良い結果は出ません。これからは慈悲心を持って人に接し、自分の基点を常に正すように自分を戒めたいと思いました。

 この関は自分の執着心を整理する一つの機会でもありました。以前、自分はまだ、やらなければならないことが多く残っていると思っていました。例えば、息子の結婚、娘の就職、家の建て替えなど。しかし、生死の瀬戸際に立たされた時に、名利や、金銭はまるで池の中に映っている月のように、何も役に立たないことがやっとわかりました。私は自分のことを大きく見すぎていました。何事も自分が介入しなければ、やり遂げることが出来ないと思っていました。事実は全く逆でした。病業の関の中で耐えていた時に、子供たちはいつも通り、自分の生活をきちんと管理していましたし、その上、大いに成長していました。所詮は単なる私の一方的な思い込みにすぎませんでした。結局、何もかも執着なのです。

 徐々に、かつて放下できなかった心を捨て去ろうと思い始めました。これらの心は以前に捨て難かったのですが、今は捨てざるを得ない境地に追い詰められました。そして、執着を放下出来てからとても軽やかな気持ちを体験することが出来ました。心を静めて、学法に専念し『轉法輪』を何度も読み返しました。法を学べば学ぶほど、自分の無知を知り、法理の奥深さを知るようなりました。

 お正月のころ、私はやっと回復できました。後にこの病業の関を振り返ってみて、私にとって忘れられない体験になり、私の修煉の道の基礎作りになりました。当時、法理を明晰にわかっていませんでしたが、病業への認識、情の放下、妨害への排除の各面において、旧勢力の按排に従うこともありませんでした。当時は「師父を信じ、法を信じる」という一念を抱いてこの関を乗り越えることが出来ました。実は、師父がその関を利用して、悪いことを良いことに転下させ、心を静めて学法し、情を放下して、善をもって人に接することを、手とり、足とり私に教えてくださったとわかりました。

 その後、問題に直面するたびに、まず心を静めて、法を学ぶことを実践するようになりました。私は旧宇宙の、成、住、壊、滅や、生、老、病、死の理の厳格さを感じ、師父の衆生への広大なご慈悲を心の底から感じ取ることが出来ました

 この辛い段階を見守ってくださった師父に感謝申し上げます。大法弟子である私は実に幸運です! 私たちは師父を信じ、法を信じてこそ、初めて生老病死のめぐり合わせから逃れられるのです。師父、ありがとうございます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/16/359671.html)
 
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