新しい修煉者を褒め過ぎず 着実に修めるよう導く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年3月19日】私は30歳になった2009年、ようやく大法の修煉を始めました。

 修煉する前、私は道楽三昧で、人々を腐敗堕落させる今の世の中で、波に従い流れを追いかけていました。両親と兄は皆早く修煉を始めた大法弟子で、彼らは一緒に暮らしていました。一方、私は妻と一緒によく実家に帰って夕食を食べたりして、食後、家族に誘われ、私も一緒に法を学んだりしました。心の中では大法の素晴らしさを知っていましたが、しかし、何かに隔てられ、私はずっと修煉に入りませんでした。

 ある日、職場で仕事がなく、私は暇つぶしに師父の『オーストラリアでの説法』のDVDを見ました。師父を見ていると、私は何故か涙が流れ、泣きながら見ました。師父は優しくて親しみやすく、慈父のように皆に説法をされていました。あの日、自分は道を迷ってようやく家に帰る道を見つけた子供のようでした。

 家に帰って、妻に大法の修煉をしたいと伝えると、妻は私をベッドから蹴飛ばし、そして、大声で「絶対に法輪功を煉るな!」と叫びました。私は彼女を相手にせず、他の部屋で座禅しました。彼女は棍棒を持って来て、私の足を思い切り叩き、血が出るまで叩きました。しかし、私は全く痛みを感じず、座禅を続けました。彼女は怖くなって寝室に逃げ込み、中からロックし、私が追っかけて殴るのではないかと恐れたのでしょう。しかし、時間が経っても私が動かないため、彼女は部屋から出て来て「あなたは本気で修煉するのね?!」と聞きました。

 実は当時、私はまだ真に修めていませんでした。思い出したら法を学び、忙しくなると忘れてしまい、内に向けて探すことも分かりませんでした。その後、私は単身赴任で、妻と長く別居して、休みに帰って来ても、2人はけんかばかりしていました。その年の年末、私は両親にも相談せず、密かに離婚手続きをしました。

 2011年の秋、私は元の妻の家を訪ね、彼女に復縁するように説得しましたが、断固として拒否されました。私の全ての預貯金(百万元以上)が彼女の銀行口座に入っているため、復縁出来なければ、裁判所の離婚調停に基づいて、私が受け取るべき預貯金を返してほしいと言いました。しかし、彼女はそれには応じず、すでに私に返したと嘘をつきました。

 母親はそのことを知って、とても悲しそうに「お前は10数年も稼いで、今綿入れの上着すらなく、本当にかわいそうだ」と言いました。家も車も貯金も全て失って窮地に陥った私は、彼女に対する恨みが頂点に達しました。

 あの頃、私は休暇を取って、両親が借りてくれたアパートに引きこもって、毎日法を学びました。時には本を読みながら涙が流れました。集中的に法を学ぶことによって、私はやっと修煉とは何かが分かり、次第に、彼女に対する怨みを放下し、そして、お金や財産に対する執着心も放下しました。私は心が軽やかになり、生活も充実してきました。

 お正月が過ぎ、神韻のDVDがきました。私は何度も見ました。その中の歌「後悔しても無駄」は心に響き、「生々に神を待ってきたが 今の機会を逃せば、後悔しても無駄」[1]、それを聞く度に私は思わず涙が流れました。

 その後、古い修煉者のように、私も見知らぬ人に直接真相を伝えるDVDを配り始めました。最初の1、2枚から、その後の数十枚、最後には、一日に数百枚のDVDを配りました。

 地元のある協調人は有名で、多くの修煉者が彼をとても尊敬していました。私はこの協調人に車を運転するようによく依頼され、車の中で、彼は私のことをしきりに褒めてくれました。当時の私は、法に対する認識が深くなく、それを本当だと信じ、仕事をすることが修煉だと勘違いして、協調人に褒められると、自分は本当に修煉がよく出来ていると思っていたのです!

 今、振り返って考えれば、当時、私は毎日法を学んでいましたが、しかし、着実に修めておらず、強い闘争心、人を軽蔑し、成功を焦り、色欲の心、仕事に対する執着心などがありました。

 その後、元の妻が戻って来て、彼女も大法を学び始めました。私は法を深く理解しておらず、修煉の厳粛性も知らないで、復縁の手続きをしないまま同居生活を始め、そして子供も生まれました。

 その後、真相のDVDを配っていた時、私は私服警官に遭遇し、連行され、刑を下されました。刑務所で、私はずっと真相を伝え続け、いわゆる「保証書」を書きませんでした。

 刑務所から出て来て、私は多く法を学ぶことによって、次第に着実に修めることを知り、そして自分がなぜ迫害されたのか、その原因も分かりました。

 今、私は仕事することと着実に修めることが一体であるとやっと分かりました。法を学ぶ時、心を静め、求める心を抱いて学んではいけません。同時に、家庭を大事にし、仕事もしっかり行い、何もかもバランスよく行わなければならないことが分かりました。

 修煉の道での苦い経験を振り返り、私はここで古い修煉者に「くれぐれも新しい修煉者を褒め過ぎないように、そして、彼らに着実に修めるよう、仕事ばかりさせないようにしていただきたい」と提言したいと思います。

 個人の体得です。適切ではない所があれば、慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「後悔しても無駄」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/3/8/362638.html)
 
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