大紀元英語版での仕事を通して学ぶ
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文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2018年7月4日】師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!

 メディアの仕事に参加する

 私は大紀元英語版に6年前の2012年6月1日に加わりました。この日、男子寮に午後10時に着き、上司に会いました(当時、彼も同じ寮に住んでいました)。私はすぐ始めたいと伝え、翌朝3時に起きて、大紀元英語版を配り始めました。当時、配布部門ではフルタイムのスタッフは、この上司と私の2人だけで、1日約5000部を配布する責務を担いました。現在のような軽自動車、運転手、予算はなく、かなりの仕事でした。

 当初、上司と私は徒歩で新聞を配布しました。のちになってようやく自転車を購入しましたが、ブレーキがきかず、タイヤに足をくっつけて停止させていました。上司に5〜6束の新聞を背中にくくりつけられ、この自転車で配布するよう送り出されました。信じがたい体験でした。27キロの新聞の束を背負って、ブレーキのきかない自転車でニューヨーク・シティーを回ったのです。

 早朝に、我々が使用料を支払う指定のボックスに新聞を投入していくことが私の任務でした。晴雨にかかわらず、朝3時半からマンハッタンの16キロの道のりを網羅しました。

 忘れられない体験があります。真冬のことでした。凍りつくような雨の中、朝4時から指定ボックスに新聞を置いていきました。身体はぐっしょり濡れ、疲れました。ギザギザした金属製のボックスの端で手に傷がつきましたが、惨めな気持ちにはなりませんでした。衆生を済度しているという認識があり、高まる気持ちで配布を続けました。

 その後、営業部門に移籍し、4年過ごしました。営業の仕方、異なる縦割り市場での広告の売り込み、デザインチームと協調して、広告を制作し、編集チームと協調を通して記事作り、自分の小さなチームの管理など、あらゆる役割を体験しました。4年後、デジタル部門に移籍し、デジタル・ビジネスの運営のあらゆる側面に触れました。デジタル部門で1年過ごしたあと、再び配布部門に戻され、一通りの体験を終えました。

 私の旅路は、丹田を出た後、全身をめぐり、また元の場所に戻る玄関設位にたとえられます。しかし、そこは以前と同じではなく、その内面はこれまで通った様々な環境により形成され、豊かになっていました。同様に、私は一つの場所から始まり、会社全体をめぐりましたが、それはスタート地点に戻るためだったのです。しかし、そのスタート地点は、異なる環境・体験を経て、豊かに形成されていました。この旅路で体験した心性の向上や学んだ教訓について交流したいと思います。

  負の根源としての嫉妬心

 大紀元の大規模なグループ交流では、マイナスの要素についてよく話し合います。おかげで、自分の生活に現れるマイナスの要素について考えるようになりました。特に私は長年、自分の人生や修煉に対し、マイナスな見方や態度をとってきたからです。

 営業部で仕事をしていた頃、新しい上司のもとで仕事をすることになりましたが、この上司は、口出ししない管理方法で、ほとんど方向付けがもらえませんでした。彼は私を信頼し、自分は営業の仕事で忙しいから、自分でスケジュールを計画し、自分で大切だと思う顧客の分野を開拓してくれという方針でした。自由は与えられましたが、方向付けが全くない状態となり、私は何をしていいか分からない状況に陥ってしまいました。

 そして自分の上司にとても否定的な態度をとるようになりました。彼に対して憤慨し、自分への管理方法が悪いというマイナスの考えで一杯になりました。「制度」が悪いことを示すため、できる限り仕事をしないところまでいってしまいました。

 師父は次のようにおっしゃっています。「ですから、神たちはまず結果を見るのです。到達する結果を見て、本当に達成したいところまで達成することができれば、それに同意します。神はこのように考えています。更に、足りない所があれば、無条件で黙々とそれを補い、圓満させます。神はこのようにして問題に対処しています」[1]  私は、黙々と上司の計画を補足する代わりに、知らず知らずのうちに上司の妨害をしていたのです。

 ある金曜の午後、オフィスで何をしようかと考えていたら、突然アイデアが浮かびました。何年も広告を出さなかった前の顧客が、新しい場所で店舗を構えることになったのです。私はこの新しい場所に相応しい広告のアイデアをスケッチし、デザインを始めました。手頃な写真をみつけ、見出しを添え、適切なフォントを探し、本文も考えました。

 この作業をしながら、突然、「着想を得て、許可を受けずに実行できるとは、なんと素晴らしい仕事の環境だろう」と気が付きました。顧客の店に行き、私のアイデアを提示すると、2日後、契約が成立しました。自分の置かれている状況を否定的に見て、抑えられていると思っていましたが、実際は自分の考えが自分を押さえつけていたのです。上司は多忙で、私を信頼し、私の能力を信じて、創造性を発揮する余地を与えてくれていたことに気が付いていれば、無視されたと思わず、もっと多くのことを成し遂げることができたはずです。マイナスの考えは「法」ではないということを同修が交流してくれたことがあります。全く同感でした。

 自分の中にある否定的な考えの根本を見つけようと、深く掘り下げました。自分のマイナスの考えの起因である自分中心の発想は、下記の二点から来ていることに気が付きました。(一)、自分が能力のある人間であると認められたい。(二)、嫉妬心。上司に何かするように頼まれた時に、気が進まなかった理由は、うまくこなせば上司の業績となり、自分でなく上司の成績が認められると思っていたことにありました。私は自分が認められたかったのです。私は彼の立場に嫉妬していました。上司が明確な指示をくれなかった時に、自ら成功する方法を編み出さなかったのは、自分が成功したら彼が称賛されると思ったからです。このため、言われたことだけをしました。それ以上のことをしたら、上司が能力あるリーダーだという証になるからです。

 師父は次のようにおっしゃっています。「大法の純正、大法の威厳、この威徳、この力、救い済度する中で示された正しい部分は神が見ても驚かされ、誰もマイナスの作用を働く気になりません。しかし、それらはいずれも正しい形で表れてきて、その中から得ようとするものを手に入れ、場合によっては広範にわたって何かを形成させ、このようにするのです」[2] この文章を読むたびに、旧勢力の考え方はひどいと思っていました。

 自分の問題に気づいてはじめて、この文章は自分に当てはまることに気が付きました。表面的には上司に従って、表立って敵意は見せませんでした。しかし実際のところは自分の名声が欲しく、心から仕事に取り組んでいませんでした。重要な「前線」に置かれながら、自分のための功績を上げようとしていたのです。

 この邪悪なひどい考え方は、大法弟子の癌のようなもので、衆生済度を妨害し、他の同修から自分を孤立させました。「嫉妬心」と「認められたい」という欲望を放下し、大法弟子の全体に融合したい、法に溶けこみ、大紀元と融和し、自分の目標と抱負が大紀元のものと同一となり、さらに多くの人々を救いたいと心から思いました。過去数年にわたり私と仕事をしてきた上司に、心から謝りたいと思います。

 学法だけが不明瞭な考え方を正す

 メディアのプロジェクトに最初に加わった時は、学法にとても熱心でした。学法をしない日は一日もなく、機会があれば学法していました。頭は法でいっぱいでした。洪吟の言葉が常に頭に浮かび、些細な考えも、法を基準に査定することができました。

 とても良い修煉状況だったこの時期、ニューヨークの街を歩いて新聞配達をしていました。突然、自分の意識が大きく拡張し、地球の周りを歩きながら新聞を配達すると同時に空に昇り、地球から60キロほど離れた地点から自分を眺めていました。ニューヨーク・シティーを歩くと同時に、この高い地点から人間の世界を見下ろすことのできる驚くべき状況は、30分続きました。徳と邪悪の関係、善には善の報いがあり、社会を傷つける悪には悪の報いがあり、人々を救うことのできるこの金色に輝く新聞をニューヨークで歩き回って配ることは、いかに正しい行ないであるかを把握することができました。

 この状況を説明するのは難しいのですが、学法がしっかりしていて、自分の考え、些細な考えさえも、法の基準に基づいて測ることができたので、この体験があったのだと認識しました。

 しかし、勤勉に学法を続けることができず、この体験をした後、何年も学法は手抜き状態でした。数カ月前、私の衆生済度が効果が上がらないように旧勢力がいかに私をコントロールしているかを、ある光景を通して理解しました。自分の体が別の空間にあり、この空間では全てが速く進んでいるため、私の思考の形成はとてもゆっくりしたものでした。私の体はとても大きく、比較的ゆっくりと動いていました。映画の中で街を歩く巨人のように、普通の大きさの人間よりもゆっくり動くような感じでした。

 この空間では、自分のわずかな発想も、ほとんど直感と思えるものでさえ、多くの観念や執着の影響を受けながら長い過程を経て形成されていく様子が分かりました。この光景を見ながら、衆生済度を心から願う勤勉な修煉者として自分をみなしていなかった根源に気が付きました。自分の地域で衆生済度に100%専念する「勤勉な修煉者」のことを思いましたが、自分とはかけ離れた存在だという気持ちでした。

 他人にとっても自分にとっても、勤勉に見えましたが、実際の私は勤勉なふりをした偽者、まやかしでした。自分が心から衆生済度ができ、師父を本当に助けられる者とはみなしていませんでした。この根本的な問題のため、考えを形成する過程がとても遅く、観念が妨害し、考え方が邪道に陥ってしまうのです。友人や家族が私のことを良く思い、成功者とみなすべきだという観念がありました。自分を成功者とみなすことは、大法のことを高く評価することだと正当化して、この観念を隠していました。

 旧勢力はこの私の観念を利用していました。例えば、職場で一つの仕事を終え、次に何をするかを決める必要がある時、次に「やるべきリスト」をチェックしようと考える代わりに、疲れているから休むべきだとか、友人や家族に自分の成功を示せるようなプレゼンのリサーチをすべきだという観念などを、旧勢力は利用しました。このため集中できず、時間を無駄にし、意志を弱め、最終的に効果的な仕事ができなくなっていました。これに気が付くまで、何もせずに30分無駄に過ごすことがよくありました。積み重なると、何週間も、何カ月もの時間が盗み取られたことになります。

 この光景を通して、自分の観念や執着をそそのかす間違った考えを、旧勢力が利用していることが分かりました。修煉者として物事をとらえず、ロバの前に括りつけられた人参を見るかのように、幻像を追いかけさせられていたのです。気持ちが法で満たされていなかったため、このような誤った考えを抑制することなく横行させていたのです。学法を怠ったため、自分の些細な考えを法を基準に照らして測ることができなくなっていたのです。最初は僅かな変化でしたが、しばらく学法に陰りが入り、自分の考えが旧勢力に導かれるようになることが習慣となってしまいました。

 生産性がなく、辞めたいと願う

 同様に、別の観念が自分を誤った方向に導いていることに気が付きました。大紀元で働くという徳だけで(自分の生産性とはかかわりなく)、衆生済度の誓約を果たしていると思っていたのです。

 大紀元英語版で働くために大学の勉強をあきらめ、ニューヨーク・シティーに移住するために生活を根本から変えました。これだけでもかなりのことをしたと思う自分がありました。デスクに座り、目に見えない圧力に苦しみ、何もできない日々が続いても、「かなりの犠牲はすでに払った!」と思っていました。この些細な考えは、旧勢力が私の執着を利用して、時間を浪費させるか辞めさせようとするためのものでした。「この世の見方」を放下してメディアに加わることは、メディアを通して実際に衆生を済度するハードな仕事を始めるための、最初の一歩、前提条件で、最低のすべきことに過ぎないということに、内をみつめて初めて気が付きました。懸命に働くこともなく、生産性も高くないにもかかわらず、数年間辞めなかっただけでも、プロジェクトに貢献していると思い込んでいました。押しつぶされそうなプレッシャーから何もできず、このまま麻痺状態が続くのなら、道は二つしかないことに気づきました。現状の起因となる自分の執着と観念を見出し、正すことでした。そうでなければ、デスクに座っているだけでは衆生済度はできないので、仕事を辞め、別のことをすることでした。

 この問題を悟らせてくれる夢を見ました。師父が法を伝えておられ、私は聴衆でした。師父の講義が終わり、質問があるかと師父は聞かれました。私が指名されました。「営業を続けるべきでしょうか?」と私は尋ねました。師父は何かおっしゃいましたが憶えていません。すぐに「いかにすれば営業が向上できるでしょうか?」という質問をすべきだったと思い直しましたが、その時、夢から目覚めました。

 この夢を通して、今、していることをすべきかどうかという不確実な質問は、旧勢力に利用されるものだと気が付きました。やめる理由や方法を探す私の心を利用するのです。縄を使って洞窟に昇った僧侶が、縄を切らずにそこに座り、縄を眺めながら、下に降りるべきか、他での生活はどのようなものだろうか、メディアで学んだ技術を他で生かすべきかと悩んでいるようなものでした。

 師父は次のようにおっしゃっています。「あなたの変えられたあとの人生の道は、人に見られてはいけないものです。人がそれを見ていつどの段階に難があると教えてくれたとすれば、あなたはどうやって修煉していけるでしょうか? ですから、絶対に見てもらってはならないのです。他の法門の誰に見てもらってもいけないばかりでなく、同じ法門の弟子に見てもらってもいけません。そもそも誰も言い当てることはできません。なぜなら、あなたの生涯はすでに変えられており、修煉するための生涯となっているからです」[3]  この部分を読んで衝撃を受けました。修煉を始めて以来、師父は私のすべての人生を按排されたのです。普通の人生はもはや私のためには存在しないのです。代りに、師父が按排された道、修煉の道を歩んでいるのです。「どうすべきだったか」などは意味のない疑問です。情をもてあそんでいるにすぎません。辞めることを考えなくなり、問題解決と挑戦の克服に気持ちを向け、師父が私のために最高の道を按排してくださったと確信することで、物事が運ぶようになりました。

 仕事を分担せず、未だに自分の功績を得ようとする

 配布部門の管理という新たな役割が与えられ、自分の心性の向上のために多くの挑戦や機会に直面しています。例えば、この役職に就いてはじめて、責任を適切に分担したことがないことに気が付きました。その代りにできる限りのことを一人でやろうとし、私一人でするにはやるべきことが多すぎて、あまり仕事が進みませんでした。

 一人の同修と交流しました。自分が能力のある人間であると認められたいから、事が進んでいないのだと示唆してくれました。自分でやることで初めて仕事が完了すると思い込んでいました。顕示心理、虚栄心、エゴ、自己評価が高すぎることが原因です。そして嫉妬心も示唆してもらいました。認められたいという執着があり、自分で仕事をしなければ自分の「功績」にならないと思わせる些細な観念があったのです。

 自分の功績になるかどうかは重要ではなく、仕事が終了し、部署が前進し、すべての者がその過程を通して修煉できるかどうかが重要であることに気が付きました。この役職に就いたときの自分の確信とは全く逆に、自分の役割は他の人々が仕事を円滑に進め、他の人々が自分の力を発揮し、多くの個人の努力を協調し、一つの方向へと調和させていく役割へと傾いていきました。

 結論

 前にも言いましたが、自分の経た過程は、玄関設位のようでした。丹田を出てから全身をめぐって初めて元の位置に戻ります。でもこれまで訪れた様々な環境のなかで豊かになり、そこは以前とは同じではありません。

 しかし、この過程を十分に生かしてきませんでした。すべてのシナリオを自分の修煉の機会として捉えることをせず、表面的に現れた誤った幻像に迷い、はまってしまい、様々なチームの動き、些細な口論、浮わついた態度の中で自己を見失い、自分を最大限に修める機会として生かせませんでした。

 多くの変化を経ながら、全ては束の間の一時的な体験に過ぎず、本当に大切なことは、異なる環境での修煉と心性の向上にあることを忘れていました。

 修煉の機会を十分に活用しなかったため、プロとしての能力、修煉者としての勤勉さと修煉状態の両面で、本来自分が到達すべきだった場所と自分が今いる場所との格差を感じます。新しい部署に入るとすぐ、新聞の配布を週刊から日刊にする仕事が与えられました。新たにかなりの物流に関わることになります。さらに、購読者数を劇的に増加させる仕事も与えられました。大紀元が米国全域、世界へと拡張するにあたり、今後数年で、驚くべき仕事量になると実感しています。

 まだ放下できていない執着が数多くあります。自分の意志を集中させることがまだうまくできず、プロとしての多くの技術も十分ではありません(時折、かなり素人のような仕事をしてしまいます)。さらに悪いことに、法を実証するよりも自分を実証したいという悪い考えをいまだに捨てきれず、本当の意味で大規模に衆生を済度する上で、かなりよくない状態をもたらしています。

 しかし、師父は船の帆が前に進むように風を吹かせてくださっていると感じます。私とメディア全体の動きの一歩一歩をお導きくださっています。私たちができないことはありません。この機会を利用して、法から自分を切り離してしまう、人心による執着、常人のように考える習慣をすべて心から放下することを誓約します。(本当の自分ではない)マイナスの要素を捨て、法に完全に溶け込んでいきます。

 私の交流内容に不足な点がありましたら、慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇二年米国フィラデルフィアでの説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (2018年ワシントンDC法会交流文章)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/6/28/370325.html)