4年の修煉の道のり
■ 印刷版
 

文/米国の大法弟子

 明慧日本2018年9月2日】

 師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は今年28歳です。2014年から修煉を始めました。以下は、私の過去4年間の修煉の歴程です。

 法を得る

 私が法を得た時は、ちょうどサンフランシスコで仕事をしていた頃でした。その時、私は飲酒やほかの良くない習慣で、精神と体の状況が日増しに悪化していましたが、互いに騙し合う現代社会の中で生活しており、非常にむなしく感じて、生きていく道が見つかりませんでした。

 しかし、今思えば、気ままに自由にふるまっていましたが、師父はずっと私のそばで見守って下さり、機縁のある時にとうとう法に出会わせてくださったのです。

 ある日、私が何気なくサンフランシスコのチャイナタウンを歩いているとき、20歳過ぎくらいの中国人女性が微笑んで2枚のビラを渡してくれました。1枚は法輪大法と呼ばれる座禅を組む方法を紹介する内容で、もう1枚は中国で発生している生体臓器摘出に関する内容でした。私は喜んでそのビラを受け取りました。

 その数カ月前、私は古い歴史のある道家と佛家の教義に興味が湧いて、『道徳経』を2回読んだところでした。私はビラの中に金色の「真・善・忍」の字を見た時に、これは道家と佛家を含んでおり、正に自分がずっと探していたものだとわかりました。

 家に帰ってネットで功法を教えられる師父の映像に従って法輪功を習い始めました。また、読みやすいように、友人に『轉法輪』をダウンロードして印刷してもらうように頼みました。友人から印刷できた本を受け取って持ち帰り、私はすぐ読み始めました。

 その時、私は本の中に師父が説かれていることを理解したとは言えなかったのですが、私はその一文字一文字を信じ、すべて師父が言われたことが真実だとわかり、やり遂げられると確信しました。その無意識の興奮は本当に夢のようでした。

 サンフランシスコの英文の法輪大法学法チームと連絡をとった後、ある同修は毎日公園で私と一緒に煉功と交流をしました。私達は一緒に学法して、お互いに法に基づいて向上しました。私はすべての良くない習慣を捨て、師父は私の身体を浄化して下さいました。

 約1カ月の間、私は身体の大変な辛さを経験しました。まるで全身の体力をすべて消耗し尽くしたように寒気がして虚脱し、昼間でもいつも眠く感じていました。しかし、『轉法輪』を読み、師父の説法を聴くことを通じて自分の身体が整えられていることを知り、不安は一切ありませんでした。

 最初の身体浄化が終わり、私は生まれ変わったかのように新しい人間になりました。私は感謝の気持ちがいっぱいで、興奮して法を正す時期の大法弟子の列に加わりました。

 嫉妬心を根絶する

 私の嫉妬心に対する認識はあまりにも浅はかで、嫉妬心が存在していることを感じたことがありませんでした。「自分は欲しいものをすべて持っており、他人に嫉妬するわけがない」と思っていました。

 アイルランドにいる時、この観念は衝撃を受けました。当時、重要な人物たちに真相を伝えるためドキュメンタリー映画の上映会の手配に参加しました。イベントの日程が急に決まったため、準備作業のスケジュールは緊密でした。その時、私には同時にフルタイムの仕事があり、両方を上手くこなせるつもりでしたが、状況がますます困難になり、自分の行なうべき事が少なくなるどころか、かえって急激に増えました。

 プレッシャーがだんだん大きくなるうち、疲れて朝の煉功に起きられなくなった時、なぜこの最悪の状況になったのか、ようやく内に向けて探しました。私はプロジェクトの仕事を他人に割り当てたくなく、自分一人でやり遂げようとしていることに気づきました。表面上の理由は、自らしないと、これらの事がうまくできないという考えは、すでにとても尊大で理性を失っていると感じました。同修の中に人材が多くいるのに、どうして私は他の同修より上手くやり遂げられると確信できるのでしょうか?

 もっと深く探すと、、同修たちがよく行なえたことで好評を得て欲しくないという内心の一面を見つけたのです。私は同修からの励ましや褒めたたえに執着するようになり、そのためにずっとこのような優位を維持しようとしていました。もしほかの同修が上手くやり遂げて、皆に褒められたら、自分は嫉妬するでしょう。自分の純粋でない思想によって私達の行なうべき事にひどい妨害をもたらした結果を、私は予見したような気がします。師父はこのように説かれています。「本物の気功師のことまで認めなくなり、耳に入ってくるのは、自分がどれほどすごいかを褒めてくれる言葉ばかりです。ちょっとでも批判の言葉を聞くとご機嫌斜めになり、名利心も高ぶり、自分が誰よりも偉く、大したものだと思い込みます。この功を与えられたのは、自分を気功師にして、大金を儲けさせてくれるためだったのだと勘違いしますが、本当は彼に修煉させるためだったのです」[1]

 そこで自分の考えを正して仕事をほかの同修に分担してもらいました。その結果はとても良いものでした。そうすることで、私は協調のほうに集中できたうえ、それぞれの仕事は自分で行なうより立派にやり遂げられたのです。

 時間に追われて、私達は立ち止まらずに仕事をしなければなりませんので、この機会を利用して更に深くこの執着の根源を掘り出しませんでした。ただプロジェクトの進展を妨げないように、表面上の行為を改めただけでした。

 その後、ある同修と真相を伝えることについて計画した時のことを思い出しました。私達の討論の全過程の中で、この同修はずっと他人への不平不満をこぼしていました。どの同修に対してもマイナスの評価をしていました。このような行為は適切でないとわかっていますが、しかし、私は以前このような現象を見たことがなかったのです。

 この同修の行為は嫉妬心からもたらされたものだと分かりましたが、まさか自分と関係があるとまでは悟りませんでした。その時、私にはさすがに他人に対してマイナス的な考えはなく、もちろん大声で言い出すことなどなおさらです。しかし、内に向けて深く探していくと、他人に対して負の考えがなくても、心の中では他人の欠点を羅列する癖があることに気づきました。他の人と初対面の時には、いつも窮屈感を覚えました。そして、相手の欠点を発見すると心の底に入れておき、将来相手の長所を嫉妬しないようにマイナス作りをしていました。私の嫉妬心は師父のおっしゃる通り「強烈に現われており、すでに日常茶飯事になっていて、自分でもそれと感じられないほど強烈なものとなっています」[1] にピッタリでした。

 この点を悟ったとき、嫉妬心はそんなに狭いものではなく、広範囲に至る所に存在している執着であると認識できました。それは私達のすべての認識に影響し、私達の行ない、話すこと、考えに関わるすべての事に影響します。その現れの形は他人を謗り、指摘されたくなく、自分を過大評価し、他人に対する荒い態度やイライラすることなどを含んでいます。

 嫉妬心は私達を互いに張り合いをさせ、いつも自身を他人より高い所におきます。私達は自らを膨張させ、他人の欠点を探し、他人を蔑視するのです。

 振り返ってみると、嫉妬心からかつて自分に対してよくない行ないをした人に対して、悪辣で無意識的な怨恨を生じさせたことに気づきました。自分はなぜある同修に真相を伝えるプロジェクトを一人で担当させたか、今になって認識ができました。最初から私達はいくらかのトラブルがあったからです。

 私はそのプロジェクトを離れた時に、「常人の仕事が忙しすぎて、彼の所へ手伝いに行けなくなった」という口実を同修に話しました。私の心の中でもこのように思い、この口実を守りました。真の原因は、衆生を救うことに影響があるとわかっても、私には歯には歯をもって仕返しをしたいところにありました。恐らく多くの同修はもしかすると、すでに私の執着に気づいているのではないかと推測しました。確かに、私が最も心配したのは、これらの執着心がこれほど深く覆い隠されていたことでした。それは私の潜在意識の中にまで浸み込んで、自分さえ気づくことができませんでした。

 嫉妬心に直面したとき、修煉者としては自身の能力に対して謙虚で、私達の業績に対してへりくだるべきです。同時に他人の欠点ではなく長所を重視すべきです。私達は他人を助けるため執着に気づかせるという口実をつけて、他人に対するマイナス的な観念を隠匿すべきではありません。そうすると、自分の根本の執着が見えなくなります。

 ニューヨークの英文大紀元に加入

 2018年1月、私は光栄にもニューヨーク大紀元の英語版の営業責任者を任されました。到着した瞬間から、ここは確かに真に修煉する良い場所だと感じました。1カ月後、また自分の熟知していない分野、しかも、とても要求が高い仕事に就きました。

 私の新しい仕事は、対外的に新しい潜在的なビジネスパートナーと商談し業務関係を築き、彼らにわが社を紹介してビジネスを展開することです。最初は、私はマネージャーに協力して会議を開いたり司会をしたりしましたが、間もなく彼は西海岸への異動を受け、もう1人のメンバーも転勤しなければならなくなり、私は一人で模索しながら新しい役を担わなければなりませんでした。

 最初の数週間私は本当にただ模索することしかできませんでした。私はこの職務がとても重要であることを知っており、もし良く行なえなければ、他のプロジェクトにも多くの不便をもたらしてしまいます。私は会議を手配しました。しかし、自分の真相を伝える効果がよくないと感じ、その上、私の振る舞いは経験もなくプロではありませんでした。

 夢の中でほかの時空からの各種の妨害に遭い、プレッシャーはますます大きくなりました。私は修煉の中で大きく突破しなければならないことを知っています。師父はこのように説かれています。「心性が向上すれば、他のものも同時に向上します」[1]

 内に向けて探した時、私はメディアの仕事に入った時に、いくつかの常人としての求めがあることに気づきました。自分は女性の友人あるいは妻が見つかるのではないか、また、何人かの友人ができたら一緒に居るのが楽しいかもしれません。また、他人からの評価を通じてもっと自身を知ることができるかもしれません。「彼らは私が精進していると思うだろうか、自分には腕があると思ったりしないか、あるいは能力があると認められるだろうか」などでした。

 私には自分を実証したい強い欲望があります。事が起きたら、大きい事小さい事に関わらず、いつも自分に影響するかどうかを考えて、他人が自分に対する評価を損ねるかどうかが気になりました。このような考えが多ければ多いほど、多くの思想業力を作り出してしまいます。このような状態が続けば、甚だしきに至っては微かな考えでも自分を実証するために用いてしまいます。

 その時、学法の時に次の説法を読みました。「実は皆さんに教えますが、法がこの世を正すことの最後の時、一瞬にして何もかもが解体してしまいます。お金? 紙切れもありません」[2]

 この段落の説法は私を目覚めさせ、私達の行なっている事の厳粛性と真実性を認識できました。今まで、私は「衆生を救う」ことを三つのことをよく行なうことの例えと理解し、修煉の中での各種の事についての総括のように思っていました。この説法を読んだ後、私は人々の本当の生命がすでに生死存亡に関わるところに置かれていると深く感じました。もし私達が悟らなければ、間もなく発生する事の厳粛性をはっきりと説明しなければ、恐らく人々の本当の生命は永遠に消えてなくなります。

 私は常人の追求と思想を改め、一掃することを決心しました。自分は更に伝統的保守的な方式で女性と付き合いを始め、自分の修煉の基準を高く設定しました。毎日2講を勉強し2時間の煉功をしました。今は、多く学法すればするほど、学法の時間も次第に多くなることに気づきました。

 様々な純正でない考え、たとえば色欲、情、良い生活をしたい、自己を実証することなどはすべて思想業力によるものだと分かりました。私が思想業力を排除する時間を増やし、地下鉄あるいは歩く時間を利用して排除すると、これらの邪魔はだんだん少なくなりました。

 求めず楽な気持ちで修める

 幸運にも毎朝大紀元の事務室で中国語の『轉法輪』を1講読むことができます。これは私の中国語の能力を迅速に高めることに役立ちました。機会があれば、中国語で中国人に法輪功が迫害されていることを伝えます。その機会が来た時、緊張して多くのチャンスを失いましたが、これらの失敗を通じて、学ぶことができました。

 以前、中国人に真相を伝える時、事前に用意した内容が頭の中で混乱しました。今、緊張しそうな時には、まず心を静めて何も考えず、ただ疎外感を打ち消します。これで自然な方法で対話を始めることができました。たとえば、「こんにちは、あなたは中国人ですか?」と声をかけ、会話を自然に展開することで相手を知ることができます。純粋で清らかな心で真相を伝える時、師父は助けて下さいます。

 師父はこのように説かれました。「智慧が足りない時は多くの場合、あなたが焦っている時です。何かのことを焦ってやろうとする時、またはそのことを重く見すぎている時、もう一種の執着が現れ、それによって智慧が足りないという情況が現れました。実は多くのことをする時、落ち着いて穏やかに説明し、理性的に対処していれば、智慧が泉のように湧いてくると感じられるのです。しかも、言っていることは全て的を得ており、真理なのです。執着し、焦っており、何かの強烈な心を持っていれば、智慧がなくなります。この時はまた人間になったからです。そうではありませんか?」[3]

 私は自分の理解を仕事の中で活用しました。メディアの仕事に着いた最初の時、私は各種の考え方を用いて自分を頑張るように励ましました。私は「更に力を集中し、更に精進し、私が救うべきすべての人を救います」と自分に言い聞かせました。しかし、私が自分の考えを同修と分かち合った後、「仕事をする時は何も考えないで、あるいはなるべく何も考えないようにして、ただ仕事を完成するだけで如何なる動機も常人の思想も抱かないほうがいいのです」と提案されました。ある同修はこれは師父の説法から悟ったと教えてくれました。「良いことを考えることができないにしても、悪いことは考えてはなりません。いちばん良いのは、何も考えないことです」[1]

 この原理に従って、いまは、自分は何も求めない楽な気持ちで物事に対処しています。会議の時に真相を伝える効果も大きく上がりました。何かを行なう時に心が空になると、私の話を聞いたビジネスマンもリラックスした気持ちになるのだと感じました。

 大紀元での仕事を通じて、修煉は長年かけてようやく達する次元まで迅速に向上しました。同修たちに大紀元で仕事をすることをお勧めします。たとえ短期でも構わないのです。ぜひ経験して頂きたいのです。

 自分の修煉を振り返ってみると、とても不思議な道のりだと思います。この4年間はまるで4回の生涯のようです! 私はどのような文字でも師父に対する感謝を言い表すことができません。私は極度な感激に満たされているとしか表現できません。私は引き続き各種の常人の執着を取り除き、遥か昔に師父と交わした誓約を果たしてすべての衆生を救います。

 以上は自分の次元での理解です。善意ですべての不足のところをご指摘下さい。

 師父に感謝します! 同修の皆さんに感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の説法:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」

 (2018年ワシントンDC法会交流文章)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/6/29/370377.html)
 
関連文章