この世の無常を悟る
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文/吉林省の大法弟子

 【明慧日本2018年7月22日】夫と知り合った時から、彼はお酒に目がありませんでしたが、当時は、夫の酒好きを何とも思いませんでした。

 結婚して、最初の頃は、まだよかったものの、時間が経つにつれ、夫は変わりました。お酒を飲んだ後、口が悪くなり、よく私を罵るようになったのです。当時、私も若かったので、少しばかり口喧嘩もしましたが、年をとれば次第に改善していくと、心のどこかで期待していたのです。しかし、時が流れ、年はとっていくばかりで、夫の飲酒の量は全く減らず、却って増えていったのです。そして、お酒を飲んだ後は、いつも通り大声で罵り始め、疲れて自ら止めるまで止まりません。

 時間が経つにつれて、夫への文句や不満、怨恨が心の中で積み重なっていき、このような日々がいつまで続いていくのかと疲労困憊になりました。

 1998年6月、私は法輪大法を修煉し始めました。修煉してから、全ての物事には因果関係が存在しているということを理解しました。私と夫のことも、もしかすると、何世も前の因果が関係しているのかもしれません。それ以来、大法の要求に従って自分自身を律し始め、夫との喧嘩が減っていくと、怨恨心もだんだんと薄まりました。けれど、新たな執着心が生じてしまいました。夫を失うことが怖くなったのです。彼がよくお酒を飲むので、いつ身体を壊してしまうか分かりません。こうして、情に捕らわれて、長い間、とても苦しい思いをしました。夫に対する情を放下しなければならないと分かっていても、決心する度に心を抉(えぐ)られるような苦痛に襲われます。時々、夫に付き添って一緒に居酒屋にも行きます。隣で注意しようとしても、全く聞いてくれず、結局夫はいつも通りたくさんお酒を飲んでしまうのです。

 法を勉強して、人間にはそれぞれの定められた運命があり、自分が左右できるものではないと理解しました。夫に対する情は少しずつ薄まっていくものの、やはりどうしても完全に放下することができないのです。

 ある日、夫はお昼に外でお酒を飲んできましたが、夜になると、友人を連れて家に戻ってきてまた飲み始めました。私は平常心を装い夫たちにおつまみを作りました。皆、少し飲み過ぎたので、テーブルだけでなく、床までおつまみやお酒などがこぼれ、非常に散らかっていました。全員が帰った後、片づけをしている時、怨む心が再び現れました。しかし、今度こそ、師父を失望させてはいけないと思った私は、このことを師父が按排してくださった次元を高める機会と見做し、平常心を保ちながら、片づけをしました。以前と違って気持ちが楽になったので、次元が高まったなと感じました。

 翌朝、夫は「すまない。昨日また飲み過ぎた」と自ら謝ってくれました。これまで一度も謝ったことのない夫でしたが、それでも、私は絶望を感じずにはいられませんでした。

 この感情を辿っていくと、どこかで期待している自分がいることに気づきました。いつか夫がお酒をやめて、平和な日々が訪れるのを期待していたのです。これまで、一度もこの心理に気づきませんでしたが、今思えば、これは安逸を求める心であり、常人社会の中で、幸せな生活を送りたいという人心が働いていたのです。そして、もう一つ、夫を生き甲斐と見なしていたことです。夫なしでは生きていけないなど、これは情に対する執着なのです。夫に期待を寄せても、応えてもらえなかったために、失望や絶望を感じていたのです。

 心を静めて法を勉強する時、ふとある法理を悟りました。情は、三界を司る神であり、三界内の全ての生命の源なのです。宇宙の古い法理に従い、情の質も変わり、その上、進化論や党文化により更に変異したのです。情はまさに毒薬なのです。修煉者が情から抜け出さなければ、それに捉われるほかに道はありません。

 さらに内に向けて探していくと、三界を自らの生まれ故郷と見なしている自分がいることに気づきました。ここを「家」とし、ここの人や物事に捉らわれていたのです。このように思う自分も、遠い昔から形成された常人の理が自分の思考を支配していることが原因なのです。

 悩む私を見て、師父は導いてくださいました。世間の万事万物は何を頼りに生きているのでしょうか。きっと生物が自ら生きて行こうと願うエネルギーが存在しているのです。恒星や衛星は何を頼りに動いているのでしょうか。それもまた見えないエネルギーが働いているからです。しかし、これらのエネルギーは一体どこから来たのでしょうか。それはきっといかなる生命にも、万事万物にエネルギーを与え、無限の力を持つ非常に巨大な生命なのです。では、その生命は一体誰でしょうか。それは紛れもない、慈悲で、偉大な師父なのです。

 師父の導きにより、ふと別空間の景色が目の前に浮かびました。それは光に満ちた美しい世界でした。この場所こそ、師父が私に命を授けてくださった、自分の本当の家だと心のどこかで思いました。この命の源は師父にあるのです。命を授け、無限の知恵を与えてださったのはまさに師父なのです! その瞬間、全ての煩悩が一気に消えました。

 自分は三界内の生命ではなく、ここに来たのも使命と責任を背負っているからであり、いつかは本当の家に帰らなければならないということを明白に理解することができました。そして、生命には次元の差があり、法を正す今、いかなる生命も更新され、大法への態度で自らの位置を改めなければならないということも悟ったのです。夫は修煉していませんが、真相を理解しており、私の修煉も応援してくれているので、彼はすでに自分の未来を選択したのです。大法は異なる次元の生命に異なる生存環境を与えました。つまり、人にはそれぞれの人生があるということなのです。

 この法理を理解してから、夫に対する情を放下することができましたし、子どもや友人たちへの情もなくなりました。情を放下して、心も体もすっきりしました。孫悟空が五行山から抜け出すときに感じた自由な気持ちと同じです。まさに「執着を放下すれば舟は軽くて快く進み、人心が重ければ海洋を渡ることは難しい」[1] の通りでした。

 これまでの修煉体験は、師父が説かれた宇宙の大法が真実であることを実証できていると思います。大法弟子になれて本当にこの上にない幸運です! 師父の期待に背かないよう、これからも精進していきたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「心自明」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/27/368064.html)
 
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