文/中国の大法弟子
【日本明慧2018年7月28日】数日前の早朝、私は、ある一つの夢を見ました。その日から数日が過ぎましたが、依然としてはっきりとその光景が目の前に浮かび、まるで、つい先程起こった事柄のように、心がずっと落ち着きませんでした。キーボードを叩いて文章を書く時、まるで重錘(おもり)が私の心を叩いているかのように、気持ちが重苦しくなりました。 同修の心を動かすことが出来、一緒に精進することを期待して、この文章を書きました。
夢の中で、私と妻と同修は実家の山村に行ってみると、そこにはたくさんの人々が集まっていました。地元の人もいるし、他の地域から来た人もいるし、同僚もおり、また多くの大法弟子もいました。山の斜面は次から次へと人でいっぱで、向かい側の山にも、後ろ側の山にも、山の下の小川沿いにも、至るところ人で埋め尽くされ、とても混み合っていました。山村はまるで重大な祝典を迎えているようで、とても賑やかでした。
これらの人々を見て、何が起きたのか、ここにいる人々はどこから来て、何をしようとするのか私には分かりませんでした。その時、上空の満天に七彩の雲が現れて明るく光り輝き、地平線にまで満ちあふれました。美しく彩(いろど)られた雲と雲の間から漏れる色とりどりの光の帯が大地をおおい、大地はその瞬間に七彩の安らかな光に覆われて、光彩は軽羅(けいら・ 紗や絽などの薄い絹織物) や薄霧のように柔らかく穏やかに、太陽の光が差さなくてもあたり一面非常に明るくなりました。空からまた多くの花びらが現れてふりそそぎ、一片一片の花びらはまるで一群れ一群れの鮮やかな蝶々のように、上空を飛び回っており、色々な色が入り交って大変鮮やかでした。こんなに美しくて瑞祥(ずいしょう・ めでたいしるし。吉兆)な光景をこれまで見たことがありませんでした。
突然、ある同僚が興奮した声で私の名前を呼びながら、指は空を指していました。南側の山頂の空から紫色の渦が現れ、宇宙のブラックホールの渦に似てゆっくりと回転していました、遠いところの山々の斜面にも、対応して一つの渦が現れて来て、空の渦と対応し合ってゆっくりと回転していました。空と地上の至るところが流れる光や溢れる色で、まばゆいばかりに光り輝いていました。全ての人々は不思議そうな顔で目の前の光景を見ており、何が起きたのか誰一人も分かりませんでした。
この時、妻(同修)は私を引っ張りながら前に進んでいました。私達は人の群れを通り抜けて、一つの広場にやって来ました。空は至るところまで色とりどりのセミの羽根のように薄い花びらが舞い上がっており、ここにもたくさんの人達がいて、皆は上空の不思議な光景を見上げていました。広場の前には、非常に高くてかすかな色の白い壁がそびえ立ち、下には自由に出入りができる大きな扉がありました。その扉の構えは雄大でしたが、壁と比べると、とても小さく見えました。壁に沿って両側を見ると、一目では見切れずとても長く続き、上を見上げると、とても高くそびえ立っていました。私達が扉の前に来ると、扉は自動的に開き、中に入るとまるで皇室の庭園のように、壮麗で華やかでとても美しい景色が広がっていました。そこには切り立った築山(つきやま)や、碧い波が漂う湖、青々と茂っている樹木、とても美しい亭台の楼閣、大理石で敷き詰められた道が続き、色とりどりの綺麗な花々がかぐわしく咲きみだれ、ここにも大勢の人々がいました。
そこで数歩前に進むと、突然私を呼ぶ声が聞こえてきて、帰位するようにと言われました、声は大きく快くて、それは人を引き付けて響きわたる声でした。私はその声が流れてきたところを尋ねて見上げてみると、満天の空に神佛や菩薩がおられました。そこは比類がないほど神聖で、壮観で、殊勝で、神佛や菩薩の頭上には全て光の輪があり、ある神佛、菩薩は水辺の花の上に座っておられ、ある神佛や菩薩は立たれたままのお姿で、瑞相(ずいそう・めでたい事が起こるしるし。吉兆)が満ちあふれていました。また、多くの神兵や神将が立ち並び、手には武器を持ち、空の上に秩序正しく整然と並び立ち、とても雄々(おお)しく威厳がありました。私は目の前のこの一幕を見て、とても驚愕し、「まさか法を正すことが終了したのか」と思いました。私は静かに胸の前で合掌すると、心の底から恭(うやうや)しく厳かになるとともに、体は舞い上がり、空の上に向かって飛んで行き、上空のある佛様の隣に止まって足を組んで座禅し、両手を結印しました。空に向かって飛ぶ時、少し不慣れな感じがして、まるで初めて飛ぶように少し緊張しました。下を見てみると、一目では見渡し切れないほどの人々が隙間なくびっしりといて、皆は空を見上げて、どうしたらよいかわからない様子でした。私は、壁の外側の広場はどうなっているのかと思い、見てみると、広場にも隙間なくびっしりと立ち並んだ、満天に満ちあふれる神々や佛さまや菩薩さまのお姿が見えました。
私は下を見たり上を見たりして、妻と同修がどこにいるのか探しました。私はあちこち見ましたが、地上にもいなかったし、上空にもどこにもいませんでした。私は自分はあまり良く修めていないのに、自分が帰位できるなら、妻や同修は絶対自分よりもっと高いところに行ったはずだと思って、見に行こうと思いました。そして、上に向かって飛び、宇宙空間を通り抜け、とても高い所まで飛び上がり、ある場所に辿り着きました。周りを見渡すと、至るところ紫色と青色の光で満ちていて、よく見てみると、これはハッブル望遠鏡で取られた鷹(たか)の模様の星雲の「創造の柱」ではないのかと思い、「創造の柱」を一回りしましたが、人は誰もおらず一つの生命が見えました。それは動物ではなく、今まで見たことのない種類の生命体で、「創造の柱」の下で、1台の馬車の上に半ば横になって乗っていました、馬車はとても長く、彼は積木でとても楽しく遊んおり、とても善良そうで遊び好きのようでした。ほかに何も見つからないので、戻りました。地上には依然として多くの人々がいて、皆、期待に溢れた眼差しで空を見上げ、自分の名前が呼ばれるのを渇望していました。空の上から1人の名前が呼ばれると、地上から呼ばれた1人が空へ飛び上がりました。上空にも多くの人々がいて、天空を埋め尽くしていました。
この時、空から名前を呼ぶのがストップされました。その瞬間、地上の人々は恐怖の顔に変わり、ある人は絶望してしまいました。私は依然として妻と同修が見つからないので、地上に降りて探しました。湖沿いを歩きました。地上には人がだいぶ少なくなり、人々は皆、自分の名前を呼ばれるのを今か今かと待っていました。突然、私は知り合いの同修に気づきました。その同修は急ぎの用事があるようで落ち着かない様子でした。すぐその同修のそばまで行って、「もう終了したのを知っていますか」と聞きました。彼は困惑した顔で私を見ながら、「何が終了したのですか」と聞きました。私は、「正法は終わりました。ほら、あの上空を見て!」と言いました。彼は空を見上げて、「何を見るのか?」と尋ねました。「あの満天におられる神さまや佛さま、菩薩さまが見えないのですか」と聞くと、彼は、「何も見えない」と答えました。私は手を差し出して、彼の目の前で数回揺らして、彼に「もう一度よく見て」と言いました。彼は空を見上げて、「何これ? 本当だ、こんなに多くの神佛、菩薩がおられる、何をされているんだろうか」と言いました。私は焦って、「貴方の名前は呼ばれなかったのですか?」と尋ねると、彼は、「呼ばれていません」と答えました。私は彼に、「早く両手を胸の前で合掌し、上に行って! 遅れたら間にあわない!」と言いました。彼は胸の前で合掌し、「どのようにして空へ行くのか?」と聞かれ、私はさあ飛んで行ってと伝えても、彼は「どのようにして飛ぶのか?」と聞き返しました。「上に向かってさあ跳ねてみて」と教えると、彼は数回跳ねていましたが、飛べませんでした。彼はまだ急ぎの仕事があるようで、そのまま気にせず去って行きました。実生活の中でも、この同修は常人の忙しい生活に追われて、毎日、お金を稼ぐことばかり考えており、三つのことは殆どしていませんでした。
私は地上にまだ多くの人が待っているのを見ました。そこにはまだ多くの同修の姿もありました。ただしかし、すでに扉は閉じられ、名前を呼び上げる声もなく停止されたままでした。この一幕は永遠にその瞬間に留まっていました。見上げる人々の恐怖に満ちた絶望的な眼差しは、私の目の前にありありと留まり続けました。突然、私は目が覚めましたが、心はズッシリと重いままで、少しの喜びもなく、心の中は悲しみで満たされ、地上に残された同修のことを思い悲しみに満ち、自分の不足を思い、どうしようもない悲しみの中にいました。
私達はおのおの胸に手を当てて、貴方は全力で人を救ってきましたか? 三つのことをきちんとやってきましたか? 貴方の修煉が最後の瞬間をむかえた時、貴方は帰位できるでしょうか? ともう一度、自問してみましょう!
師父は夢を通じて慈悲に教えてくださり、私の修煉中の多くの不足している部分を気づかせてくださいました。
私は自分の親の情への執着に気づきました。師父は、「大法弟子は、圓満成就に向かっていく最後の一歩まで、やり遂げるかどうかの試練を受けなければなりません。修煉が終る前の最後の一歩も、あなたにとって非常に肝心な試練になる可能性もあります。一歩一歩は皆さんの修煉、皆さんの試練に対して、ますます重要になっています。最後の段階になって、特にこのようになります」[1]と説かれました。もし、円満の前のその一念が不正の場合、些(いささ)かの不正があっても、自分の万古の機縁をダメにしてしまい、千万年待ち続けたあの苦しみや辛さをなめ尽くした修煉が、一朝にして台無しになってしまいます。
地上の人々の憎しみと絶望に満ちた眼差しを思い出すと、自分の衆生に申し訳なく、懈怠(けたい・なまけること。おこたり)に気づかせてもらい、心が痛くて仕方がありませんでした。普段、精進していない同修に対して、タイムリーに辛抱強く注意することをせず、この世に降りる前に、「もし、私がこの浮世で見失った場合、必ず呼び起こしてください!」という、お互いに声をかけあう堅い約束を忘れていました。
私はよりいっそう精進します。早く自分を正し、一気に、一念も逃がさず、根気良く、法理に合わない全てを修め切り、欠点や不足している部分を補填(ほてん)し、師父の期待通りに圓融し、急いで人を救います。もはや一刻の猶予もありません。皆も緊迫感を持ち、お互いに注意を促し合い、全力で三つのことを行い、共に向上し、後悔を残さないようにしましょう!!
個人の修煉には次元に限りがありますので、適切ではないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文: 『ロサンゼルス市法会での説法』