大法弟子の活動に参加する服装について再考する
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文/米国東部の大法弟子

 【明慧日本2018年9月9日】ニューヨークで「同修の大法活動に参加する服装についての提案」という文章が明慧ネットに掲載された。一部の同修は大法弟子の活動に参加する際に、「法輪大法は素晴らしい!」や「真・善・忍は素晴らしい!」と印字されている服を着ていましたが、自分の言動を規制せず、基本的な社会的礼儀を守りませんでした。このような行動は大法が広まる中で、積極的なよい役割を果たさないだけでなく、世人が救われる妨害にもなります。そのため、同修はこれらの活動が終了した後、ただちに普段着に着替えてくださいと提案します。このことは修煉や実修の視点から考える必要もあり、適当に扱ってはいけない大切な問題です。

 「法輪大法は素晴らしい!」、「真・善・忍は素晴らしいい!」という大法を広める文字が印字されている服を着ていることは、ただ活動に参加するために着ていますか? 写真やビデオを撮るために着ていますか? 活動の統一性を保つために着ていますか? それでは活動は何のためですか? 私達はこの服を着た瞬間から、大法弟子であることを自覚しなければいけません。心から活動の目的を理解して着ていますか? ただの黄色な服ですか? 服装に含まれている情報は何ですか? 私達は真に誇りを感じていますか? 私達が活動の真の意義を理解せず、常に正念を持ち活動に参加せず、自身を律しないでマナーを守らず、礼儀正しくなく、社会的な礼儀や規範に反する言動をしてはいないでしょうか!! 

 大法の活動に参加し、この出来事が世界に何を伝えているのかを常に考えて行動し、活動していますか! 私達の活動を通じて、世の人は何を見て、何を聞いて、何を得られますか。この活動は世人にとって、どういうことを意味していますか。私達はより良く、より有効的に、大法の真相を世人の心に留めることが出来ましたか。世人に救われる機会を提供してあげられていますか。それとも、私達はただ大法弟子のイベントに参加することしか考えていませんか。私達の精神は物質と同一なものであることを忘れず、内心から大法弟子の活動に対して、正しく認識していますか! 自分を律し、活動の目的を達成させることが出来なければ、私達は大法の活動を通して役に立つことが出来るでしょうか! もっと厳重なことを言えば、私達の言動のせいで衆生が救度されることに妨害をもたらしているとしたら、私達はこの損失をどのように負うことが出来るのでしょうか!!

 修煉は厳肅(げんしゅく)なことであり、問題が発生した場合は修復する必要があり、内から自分の不足を探さなければなりません。問題の根源を見つけ、実修の過程で自分を正さなければなりません。これは活動が終わり服を片付け、普段着に着替えさえすれば解決できるような問題ではありません。そして着替えさえすれば、礼儀正しくない行動をとっても良いということでもありません。大法弟子は自分を欺(あざむ)いてはいけません。私達が大法修煉に入門した以上、「少なくとも良い人になったら」[1] 、そうであれば、良い人になるということは社会ルールに従って社会的礼儀を順守し、それを守ることではないでしょうか! それには、上記に上げたあのような見苦しい悪い態度や行動を放棄しなければなりません。問題が起きたら、私達はこれらの機会を利用して確実に実修し、自分を向上させなければなりません。実修は最も重要なことです!!

 個人的な認識であり、欠けているところがありましたら、ご指摘ください。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/29/371781.html)
 
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