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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2018年9月27日】最近、明慧ネットと大紀元ネットに掲載された、各地の観光地で法輪功真相を伝える活動報告の文章を読みました。たくさんの事例にとても感動しました。しかし、不足に思うことは、我々が作成した画像のほとんどはレベルが低く、人々を感動させる効果はなさそうでした。慌てて撮影したもので、真面目に対応していないように感じました。基本的な撮影知識を学んだ後、私もたくさんの問題があると気づきました。例えば、混沌とした社会で一つのテーマを際立たせたい場合のやり方は、一枚の写真で一つのテーマ、人物あるいは場面をはっきりさせ、ニュース用の写真なら特にそうです。一目で、他人に表現したい主題がわかってもらえれば、もっと説得力があるのではないでしょうか? もちろん、広角レンズと望遠レンズなら、背景をぼかす機能がありますが、テーマをはっきりさせる画像は、人々に新鮮さと美しさを感じさせます。

 中国を含む今の社会では、専門の芸術学校以外に、芸術系授業(例えば、絵画、音楽、ダンス等)はそう多くないと理解しています。しかし古代では、このような琴、碁、書、画等の技能は、多くの人が活用していました。今の社会文化は、外星科技(がいせいかぎ:ゲームソフトの開発会社)の物ばかりに占められています。なぜ我々のホームページは、プロのカメラマンがいないのでしょうか?  これは悪魔が意図的に人類の伝統文化を破壊した後に起きた現象です。大法弟子は以前から、このような技能を把握できる文化環境がありませんでした。そのせいで、人々にとって、美は具体的に何かがわからなくなりました。実はすでに衰退してきて非人類社会の状態に陥りました。

 師父は『二〇一八年ワシントンDCでの説法』で「皆さんはこの滔々たる濁流に逆らって進んでいます。しかし、よく考えればこれだけではありません! 全宇宙は淘汰の真っただ中にあり、墜落していますが、皆さんはこのような流れに逆らって進んでいます!」と語られました。師父の説法に従い、我々は「流れをさかのぼるように」具体的な行動をとらなければなりません。

 神韻は伝統文化の復興を目指していますので、我々も普段から積極的に失われた伝統文化を学び、真相を述べるときに活用し、人を救うのにも有利ではないでしょうか? 考えてみると、乱雑な写真で大法のテーマを表現しているにもかかわらず、人を混乱させれば、大法を弘めることに役に立ちますか? もし厳重な中国で迫害の画像をみせるのであれば、画像の質の保障は出来ませんが、海外にいる同修なら、学習する環境がないわけではないので、真面目に対応しなければならないと思います。

 明慧ネットの記者たち、及びかかわっている同修達は、弘法と衆生済度に責任を持ち、基本的な撮影技能と知識を学ばれる事を提案します。経済条件が良い方はレベルの高いレンズを用意し、経済条件があまり良くなければ、写真の撮影技法に少し気を付ければ、かなり変わると思います。画像の撮影も修煉の一環ではないでしょうか? 真剣に対応しなければ、撮った写真は人を救う強い法力を持つことができません。実は、常人の撮影課程を見ると、一枚の写真をうまく撮るために、撮影者がかけた苦労は、我々よりもはるかに超えています! 例えば、プロのカメラマンは、ときには千枚あるいはもっと多くの写真を撮影して、その中からやっと一枚が採用されます。大法弟子は常人にも追いつくことができないのですか?

 実際に、明慧ネットと大紀元ネットは、いろいろな面ですでに正規化されていますが、画像の質も公式メディアの基準に達しなければなりません。実は大法のプロジェクトの多くはこのように行わなければならないと思います。一つのプロジェクトをやり始めたら、まずは関連課程を学び、自ら積極的に深めて行きます。ただ協調人に言われたから仕方なく行うのではなく、大法弟子はもっと成長し、修煉に基づいて頑張らなければなりません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/11/372302.html)
 
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