集団学法の問題について 厳粛に対処すべき
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年12月13日】師父は「皆で一緒に法を勉強することは私が皆さんのために切り開いた環境であり、皆さんのために残した形式です」[1] と説かれました。集団学法に参加することによって、修煉の各方面において、私達の向上を促し、精進させることができます。この集団学法の環境の中では、それほど自分を緩め、精進できなくなることはないと思います。ここで私は皆さんに一つ、気づいてもらいたいことがあります。それはつまり、皆で一緒に法を勉強する時、私達の目的は純粋で正しくなければならないという事です。

 よくある現象ですが、集団学法のとき、よもやま話をする人がいれば、遅刻をする人もいます。また、眠気を催す人がいれば、居眠りさえする人もいます。甚だしい時には本を落とす人がいれば、どこまで読んだか分からない人もいます。また、ある同修は『轉法輪』を読み終えたら、何も言わずに帰ってしまう人さえいます。皆が法を学ぶことを通して向上したいのですが、学法する目的が不純であれば、どうすれば向上するのですか? 私達は一途に学法しなければなりませんが、どうすればこの修煉状態を正し、昇華するのでしょうか?

 また集団学法のときの安全性の問題について、ここで注意を促しておきます。地元のAさんは、法を勉強する環境を提供しています。集団学法のとき、携帯電話を持ってこないないように、同修たちにも呼びかけています。しかし逆に、Aさんは自宅の固定電話をなかなか手放したくないのです。その原因は、子ども達に対しての情を放下できていないのです。同修たちはAさんに「集団学法のとき、固定電話のコンセントを抜いたらどうですか? こんなに多くの同修がいるところを警官に知られたら、どうすればいいのですか?」と何回も交流しましたが、Aさんは「集団学法のとき、もし子供達から電話がかかってきて私が出ないと、きっと心配します」とその理由を話しました。Aさんは自分の子供のことばかり考えているのですが、いくら交流しても悟らず何の効果もありませんでした。Aさんはこの問題について、なかなか向上できないため病業の形で妨害あり、警官も数回にわたりAさんの家をかき乱しにやって来ました。集団学法の環境を提供する同修なら、当然、もっと同修たちの安全の問題に注意すべきだと思います。自分も皆も正しい道を歩めば、もっともっと妨害が少なくなるはずです。法に基づいて物事を行うことこそ、これこそが大法弟子のすべての保障となるのです。

 注:
 [1] 李洪師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/20/377347.html)
 
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