文╱中国の大法弟子
【明慧日本2018年12月26日】最近、他の地域の同修と交流しました。私は「この数年、地元の秦皇島市では次から次へと同修が不当に連行されることが起こり、特にこの半年あまりの間、警察は狂ったように、連行すれば、証拠があるかどうかに関係なく、すぐに訴訟手続きをとり、決して人を解放しない」という現状を紹介し「原因はなんでしょうか」と話しました。
この同修は次のことを話してくれました。同修がいる地域では、数年前も同じように、同修が連続して連行されることが起きました。数人の同修は小範囲で交流し、「このことについてどう考えているか」と聞かれると、多くの同修は、「正念を発して、邪悪を一掃しましょう。連行に加担した加害者は全部救えない者ばかりです。長年、私たちが伝えた真相をなに一つ聞き入れず、もうこれ以上真相を話す必要はありません。彼らを残らず一掃しましょう」と言いました。
この同修は皆と交流して、「私たちの考えに、怨みや不平不満の気持ちがあるのではないでしょうか? 法を正すことが終了しなければ、それは衆生が救われる機会ではありませんか? 大法弟子には明るい未来がありますが、邪悪に操られた人たちの未来は大変恐ろしいものです。私たちが怨みや恐怖心を持っていれば、慈悲心が生まれません。ですから、正念を発しても威力はありません。なぜならば、慈悲というのは威厳と法力の表れなのですから、大法弟子は完全に他の為の生命でなければなりません」と言いました。
同修はその地域のある年配の同修のことを話しました。年配の同修は検察庁に出頭するように命じられました。年配の同修は行って、検察庁の人たちに、「あなたたちは大法弟子を迫害してはいけません。あなたたちの将来はどうなるか分かりますか?」と言いました。検察庁の人たちは自分たちが身分や地位が高く、権力も大きいことを自慢して、「我々がどうするかを考えるより、あなたは自分の目先のことを考えなさい」と言いました。しかし、年配の同修は検察庁に行く度に心の底から、「あなた達は将来どうするのですか?」と、自分のことを全く考えずに、彼らに政局を分析し、大法の真相を伝えました。その後、その人たちは年配の同修に会うと、「そうだね。我々は将来どうすればいいだろうか? もうこんなことをしてはいけないね」と言うようになりました。
この地域の同修たちは次第に心を正し、慈悲なエネルギーを発して、2015年に江沢民を告訴した時、妨害される同修は1人もいませんでした。そして、同修が真相の電話をかけると、相手は「おばさん、私たちはもうあんなことをやりません」と言いました。
同修が迫害される原因はいろいろあるでしょう。上述した迫害に加担した人を恨むこと以外、もう一つよくある問題は、連行が起きると、まず迫害を受けた同修の欠点を探し、その人の問題点を羅列するのです。このような心理は正念から来たものではありません。私たちは不当に連行された同修に要求してはいけないし、彼らの弱みや欠点を探し出して言ってはいけません。このような心理は「邪悪がなぜ同修を迫害するのかを理解している、賛成している」ことと同じではないでしょうか? そんな気持ちがあれば、同修を救出することができるでしょうか? 師父は「なぜならば、大法弟子は私の弟子であり、誰も私の弟子にかまう資格はないからです」[1] とおっしゃいました。
協力して救出活動を行なう時、一部の同修はこうしたい、一部の同修はああしたいと思っていて、感情的になって他人の考えを否定し、他人のやり方にはよいところが一つもないと低く評価し、無意識的に同修を味方から押し出してしまうのです。このように内部でエネルギーロスを引き起こし、自分を実証することは、実は妨害の役割を果たしているのではないでしょうか? 師父は「皆さんは同じ修煉者です。皆さんは敵ですか? 皆さんは同じ目標のためにこの世で人を救っており、皆さんは最も親しい間柄で、お互いに助け合うべきです。相手のことを気に入らないのですか」[2] と説かれました。
地元の同修達たちよ、私たちは本当に自我を放下し、力を合わせ、一つになって黙々と協力し、共に邪悪を解体しなければならないのです!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
[2] 李洪志師父の経文:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』