大法は私に生きる勇気を与えた(前編)
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 文/中国の大法弟子・小妮

 【明慧日本2019年1月8日】私は生まれつきの先天性身体障がい者で、家族に多大な苦痛をもたらしてしまいました。先天性身体障がいだけでなく、骨髄炎などの病気に罹り、辛い26年を生きてきました。生きるも地獄、死ぬも地獄のような状況下で、幸運にも私は法輪大法に出会い、新たな人生を得ることができました。

 医者「子供に美味しいものでも食べさせて下さい!」

 助産師さんの話によると、私は生まれた時、臀部にコブがあり、両足が奇形のうえ外に反っており、足首が柔らかくなっていたそうです。検査した結果、成熟していない左足の踵に7個の穴があり、臀部の右側に開いた傷口のようなものが数カ所ありました。元から貧しかった家庭は、私が生まれたことで両親は毎日憂うつな顔をしていました。私が生まれて1週間、父は私を抱いて病院に行きましたが、医者は1歳になってから来なさいといい、1歳になって病院に行くと、今度は大きくなりすぎて、手術ができないと言われました。以後、両親は私を連れてあちこちの医者を訪ね、治療を受けてきましたが治らず、どの医者からも言われたのは、「子供に美味しいものでも食べさせてください!」という言葉で、その意味は死ぬのを待つしかないということでした。

 最初の医者には、私が患った骨髓炎は重く、1歳まで生きられないだろうと言われ、2人目の医者は、私があまり生きられないといい、ほとんどの医者は私が成人まで生きられないと断言しました。6歳の時私はやっと立つことができ、この時、ふくらはぎが皮膚の肉に支えられて何とか立つことができました。試しに歩こうとしましたが、両脚が足と皮膚の肉で繋がっており、引きずって歩き、足に感覚はありませんでした。のちになって病状が重くなり、両足の踵の骨が露出したあと、骨が脱落しました。足からは臭くてねばねばした黒い液体が流れ出し、その液体に止まった蠅が飛び上がることができないほどの粘着力がありました。臀部の右側に開いた傷口からも同じような液体が流れ出し、触ると骨まで指が入り、臀部の骨が露出することもありました。感覚がないため、大小便が分からず、いつでも排泄できるように、お尻の部位が開いたズボンを履いていました。臀部にあるコブは身体の成長につれて大きくなりました。このように栄養が流れ出すので、母は栄養のあるものを私に食べさせました。このようにしても私はガリガリに痩せて、母の話によると、人間の姿ではありませんでした。このような私が愚鈍であれば何も考えずに済むのですが、しかし私は利口で、教えられることはすぐ覚え、話すことも上手で、親戚や隣近所の人たちに好かれていました。おじいさんはよく言っていました。「この子を先に死なせるのは耐られません。小妮はあまりにも賢いのです」。私は状態が良いときは少なく、無気力で、状態の悪い時は食べては寝るだけの繰り返しで、とても疲労を感じていました。ベッドから起きるのも、頭を上げるのもとても辛かったのです。このように絶望と苦痛の中で生活をして、加えて義姉からは泣き言を言われ、生きる勇気を失い、私は静かにベッドに横たわって感覚がなく、死神が迎えに来てくれるのを待っていました。

 死を待っていた私は、朦朧とした中で突然私に呼びかける声が聞こえました。周りを見渡すと人の気配はなく、声はとても親切で、どこからの声だったのか分かりませんでした。しかしこの声は私を呼び覚ましました。私は物事を記憶するようになってから、一つの感覚を持ち、自分はかつて天上の神で、この世に迷い込んでしまったことを思い出しました。私は全身の力をふり絞って身体を起こして座り、この一生を台無しにしてはならず、強くなって、死を待ってはならないと思いました。そこで私は自分の運命を変え、奇跡が起きることを期待していました。

 大法が私の人生を変えた

 親戚に法輪功の学習者がいました。私が26歳の1996年4月のある日、その親戚が来て親に、「小妮に法輪功を習わせたらどうでしょう。もしかすると奇跡が起きるかもしれません!」と言って、1冊の本を渡されました。私は学校に通ったことがなく、字が読めませんでした。私は人を見かけては字の読み方を尋ね、親戚が読んでくれる時、私は指で文字をなぞって覚えていきました。家に人がいない時、私は一人で読んでみましたが、家族が帰って来て自分の読み方が正しいかどうかを尋ねると、思いもしなかったことに全部あっていました。家族はこのことを奇跡だといい、私はここから精神状態がよくなりました。

 間もなく煉功を教えてくれる人が来て、私はオーバーコートで下半身を覆い隠し、自家制作した椅子(椅子の真ん中に開いた穴の下に排泄物を受ける容器を置き、周りは布で覆い隠し、いつでも大小便ができる)に座り、人の群れから遠く離れて煉功を学びました。このように2カ月が経った頃、私は自分で大小便をコントロールできるようになり、幼児が履くようなズボン(お尻の部分が開いた状態)を履かなくてもよくなりました。

 これまでは薬を飲み続け、経済的に家に大きな負担をかけても病気は一向に快復しませんでしたが、大法を煉功するようになってからは、薬を飲んだことがないのに日増しに身体の状態がよくなり、生きる自信がつきました。以後、私は家事を手伝うようになり、母と一緒に食事を作り、洗濯をし、義姉に代わり子供の面倒を見て、家事で悩む家族を助けました。私はもう家族に迷惑をかけることなく、役立つ人間になりました。大法の修煉を始めて16年になりましたが、病院に行ったこともなく、薬も飲んだことはありません。 

 修煉したあと分かったことは、病気は業力によって生じるもので、治療は病気の表面の病状を取り除くだけで、時間が経つとその病業は再び現れます。修煉者は師父が病業の一部を取り除いてくださいますが、残りの病業は自分自身で返さなければなりません。そのため修煉の中で病業のような症状が現れることがあります。

 私に病業の試練がやってきたのは、1996年の秋、めまいと高熱でベッドから起きられず、意識が朦朧とし、1週間ほど食欲がなく、冷たい水だけを飲み、身体から冷汗が出続けました。大量の水を飲み、大量の尿を排出し、1日でバケツ3杯分の尿を排出し、少なくとも20キロはありました。この時、私は睡眠に入ると、夢の中で自分は河で泳ぎ、身体は軽やかで、とても気持ちがよかったのです。足の小さな穴からは黒い液体と、腐乱した肉が流れ出し、ちょっと触ると針に刺されたような痛みだったのです。私は家族に告げました。「私のすべてを師父に預けました。たとえこの試練を乗り越えることができなくても、後悔しません。なぜなら前世で多くの業力を作ったからです」(私は夢の中で多くの生命が私に返済を求めていたのを見ました)

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/1/257743.html)
 
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