幸せな修煉の道
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 【明慧日本2019年1月10日】小さい頃から私は成績がよく、家庭環境も良かったのですが、なぜだかずっと幸せを感じませんでした。そのうえ母の長年の持病が家族にもたらした苦痛や、夫に対する失望が期待を超えたことは、私に人間がちっぽけだと感じ、人は世間では孤独でどうしようもないと感じさせました。そのため私は神を信じていないのに、迷いと苦痛の中で逆に神の存在を非常に期待し、心の中で常に「慈悲なる神様、我々を救ってください」と繰り返し呼びました。

 法を得る紆余曲折の

 救われたいという私の望みを神が見てくださったのか、1998年の年末ごろ、一人のおばさんが私に『轉法輪』をくれました。しかし、その時の私は名利や情に溺れていた上、長い間無神論を注ぎ込まれたため悟性が悪くなっていました。しかも大法に対してそれほど深く認識していないとき、江沢民が中国共産党を利用して大法に対する残酷な迫害を始めたので、私は嘘に騙されて大法を離れてしまいました。

 このように大法を離れて6年が経ちました。そして2005年頃になってそのおばさんが再び私のところを訪れ、「天安門焼身自殺事件」は嘘であることや、「藏字石」(中国の 貴州省平塘県にある2億7千万年前の石が二つに割れ、その石に「中国共産党亡」という文字が 顕れた)に関する真相を伝えてくれたので、やっと自分が中国共産党の嘘に騙されていたと分かりました。私は彼女が持ってきたDVD「永恒の物語」を見ながら、「人は天上から落ちてきたのですが、今人は大法の中で修煉して天上の家に帰られるようになり、しかも今生で成就できます」というナレーションを聞いていましたが、突然胸がドキンとして一つの考えが頭の中に現れました。この一念はとても強く、私は直ちに大法は天へ登る梯子だとわかりました。そして自分はこれから何をやるべきかがわかりました。

 私は師父のすべての説法をダウンロードして貪るように読みました。私の心は洪大な理に揺り動かされました。心の中の疑問が一つ一つ解決されることによって私の決意はますます固くなりました。「私も大法を修煉して自分の本当の家に帰りたい」と。

 師父は私のために仕事を変えてくださった

 修煉しようと決めたら急に時間が足りないことに気づきました。その時子供もいたし、常に残業があって、毎日自分に残された時間はほとんどありませんでした。そこで「これではだめだ。私には修煉のための時間が必要で、別の仕事を探すべきだ。給料が少なくても家庭生活さえ維持できれば十分だ」と私は思いました。この念が生じてから私は毎日発正念をする時、「修煉する時間があって、三つのことをやる時間もある仕事に変えてくださるようにお願いします」と言う一念を加えました。一方では師父にお願いし、一方ではネットで新しい仕事を探しましたが、満足できる仕事は見つかりませんでした。

 2カ月後のある日、一人の同僚がおしゃべりをする時突然「今、企業のある職を内部募集していますが、お知らせがあってから数週間過ぎたのに誰も応募していません。この職は仕事は楽ですが、みんなは給料が低くて将来性もないから興味がないのでしょう」と言いました。私は胸がときめいて「これこそ師父がわざと私のために残してくださった職ではないか?」と思いました。すぐ責任者のところへ行って私の意志を表しました。責任者はすぐ承諾してくれました。彼女も嬉しくて「幾人かやりたいと言いましたが、私は彼らが適任者ではないと思いました。あなたこそ一番適切な人です」と言いました。そして給料は今と同じだと言いました。私は「師父の按排は本当に良かったです。師父に感謝します」と心の中で思いました。

 家庭の魔難の中で心性を向上させる

 私が修煉して精進すると夫が不機嫌になりました。彼は私がなんと愚かになったかと思い、良い人生を楽しまないばかりか、逆に「天下の大悪をあえてする」道を歩むなどありえないと言いました。彼は私に修煉を放棄して気の向くまま暮らすように強要し、そうしないと離婚すると言いました。私は何回も繰り返して大法の真相を伝えましたが毎回彼はすぐ離れていき、チャンスを与えませんでした。私は非常に苦しくなり、1年間頑張りましたが結局離婚しました。私は一人で子供を扶養し、彼はすぐ再婚しました。

 離婚してからの2年間私は彼に対する恨みがいっぱいで、彼が子供を連れて自分の家に行くことさえ嫌がり、彼と今の奥さんが一緒に子供を連れて遊ぶのをなおさら嫌がりました。毎回このようなとき私は嫉妬で内心は苦しくなり、理由もなく腹を立てました。しかし、内心では自分が正しくないと分かっていました。これで修煉者といえるでしょうか? 修煉者としては「善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とする」[1] べきで、善良で寛容であるべきです。しかし、私は毎回自分を抑えきれず魔性が爆発しました。師父は「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います」[1] とおっしゃいました。これこそ私のことを言っていることではないでしょうか? 私はなぜこんなに駄目なのでしょうか? 実は本当に悲しいのは彼らではないでしょうか? 彼らは真相がわからず、宇宙大法に反対しており、後で淘汰されるでしょう。真相を分かってこそ淘汰から逃げることができ、これこそ私がやるべきことでしょう。しかし、今の私の状態ではどうやって彼らを救えるでしょうか?

 私の分かっている一面は焦り、何回も夢から目が覚めました。どうしたらいいでしょう? なぜずっと「忍」ができず向上できないでしょうか? 私は学法を強化し、『洪吟』と『精進要旨』の「真修」、「道法」などの経文を暗証しました。私は自分の頭を大法で満たし、嫉妬や恨みや悲しみなどの常人の執着が入る隙間がないようにしました。また同じことにあったら私が先に思い出したのは師父の法の「常人の苦楽を記さざれば 乃ち修煉者 世間の得失に執せざれば 羅漢なり」[2]、「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」[3] でした。

 徐々に私は忍耐して腹を立てないようになり、落ち着いて穏やかに彼らが子供を連れて遊びに行くことを認め、心の中から憎しみや嫉妬がなくなり、取って代わったのは憐憫と寛容でした。後になって彼とは友だちのように軽くしゃべることもでき、彼の仕事や健康状態に関心を示すことができました。しかも、しゃべる時彼の気持ちに配慮し、気がとがめプレッシャーがかからないように注意しました。

 相は心から生じ、「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり」[4] です。私が変わったら、彼らも変わりました。彼は私の平静さと変化を不思議に思い、その時から彼らは子供を連れて一緒に遊びに行きませんでした。逆に彼が私の家に来て子供に会ったり、或いは私と一緒に親と子供を連れて遊びに行ったりしました。従って私は彼に真相を伝える機会が増え、適切なチャンスがあれば真相を伝え、繰り返して真相の小冊子を渡しました。はじめの時、彼は依然として冷たい態度で断りましたが、私は気にせずその後、適切な時に続けて真相を伝えました。彼がその場で小冊子を断るなら私はやり方を変えて子供のおばあさんに渡し(おばあさんはずっと大法を支持していた)、家に持って彼らに見せるようにしました。このように数年続いているうちに彼も徐々に変わってきて、真相に耳を傾け認めるようになりました。特に嬉しかったのは2016年に彼は匿名で江沢民を告発し、自分のために、よい未来の基礎を築いたことです。しかも彼の後妻もおばあさんが何回も持ち帰った資料を見て徐々に真実がわかり三退に同意しました。

 師父は「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[5] と教えてくださいました。世の中の人はみな法を得るために来たので誰も私たちが救い済度するように師父が按排されたのです。私たちは修煉に精進し、自分の心性と次元を向上させてこそ人を救うことができます。世の人が最初どんなに私たちを失望させ、どんなに時間が長くかかっても彼らを放棄するわけには行きません。常人のわかっている一面は自分が法を得、救われるために来たと分かっているからです。もし私たちが彼らに大法弟子の慈悲と大法の素晴らしさを実感させることができれば、きっと彼らの正念を呼び覚ますことができます。

 子供弟子をしっかり導く

 だれも自分の子供を愛し、誰も一番良いものを子供にあげたいと思っています。私から見れば子供に何をあげても法を得させることに及ぶべくもなく、世の中のものがいくら良いと言っても自分の真の家とは比べものになりません。息子が4歳になったとき、私は彼と『轉法輪』を読み、真・善・忍のとおりに良い人になるよう教えました。子供は少しも嫌がらず毎回真面目に本を見て、静かに私が読むのを聞き、静かに私が文字の表面的な理を説明するのを聞きました。

 私達は毎日1、2段落を勉強しました。第6講くらいまで学法したとき、突然気づきましたが息子は大部分の常用漢字を知っていて、たった5歳の子供なのに買ってあげた児童書は大体自分で読めるようになりました。大法は本当に不思議です。息子は非常に聡明で何でも簡単に学び、しかも創造性も優れていました。彼が自分の想像によって積み木で作った自動車、戦車は大人が見ても感嘆しました。息子が頭の中の物語を描きますと、描いたのは本物そっくりで、友達の拍手をもらいました。子供は性格が明るく活発で大法の基準に合う人になるべきだとわかっていて、同じクラスの生徒は誰もが彼と遊びたがっていました。また子供は元気で5年間に1回だけ病業を消すことがありましたが、学法と煉功を強化することですぐ良くなりました。私は子供の学習にはそんなに関わっていませんが、彼は自ら積極的に勉強し、成績はいつもクラスのトップレベルで、しかも勉強も気楽にやっています。

 思いおこせば夫と離婚した当時、彼は大法を修煉すると子供に悪い影響をもたらし、子供にうつ病とひねくた性格をもたらすというばかばかしい考えを持っていました。しかし、この数年間子供の陽気で明るい性格と各方面での優秀な現れを見て、彼も心の中で自分が間違ったとわかっていることが私には見えました。

 真・善・忍によって子供を教育すれば、良い子供を育てることができないことなどあるでしょうか?

 法を正す時期の合格した大法弟子になる

 師父は法を正す時期の大法弟子には使命があり、虚言に騙された世の中の人を救い、彼らが将来の大淘汰から残れるようにすべきだと教えてくださいました。私も法を正す進展についていくべきで人を多く救うべきです。

 私はサラリーマンなので昼には三つのことをやる時間がありません。夜は学法し、家事を切り盛りするのでどうしたらいいでしょうか? 私は同修たちと1週間に1回は必ず外へ出て真相を伝えると約束しました。毎回その日になると私たちは資料をいっぱい入れた大きなかばんを背負って発正念をしながら事前に準備した資料を各々の部屋のドアの取っ手に掛けます。外で面と向かって真相を伝える時、理性的な人であれば真相を伝え、三退したあと資料を渡します。

 私たちは面と向かって真相を伝える中で様々な縁のある人に会いました。ある日、神韻のDVDを中年男性にあげました。このDVDの内容は神韻の精彩で絶倫な新年のタベであり、その内容は中国五千年の神が伝えた文化の現れだと伝えました。彼は非常に興味をもって喋りました。彼は定年退職した警官であることがわかりました。以前大法弟子の部屋を監視し、彼らの修煉を禁止しました。彼は大法、神、修煉、三退についていろいろな疑問を出し、私たちは詳しく答えてあげました。彼は興味深く聞いて常にうなずきました。途中トイレに行くときも私たちに帰らずにぜひ待つように、続けて話したいと言いました。私たちは夜11時まで話しましたが、最後に彼はためらうことなく三退に同意しました。そして真摯に「あなた達はいろいろ知っており、知識も豊富だが、いまこのような若い人は少ないのです。素晴らしいです。神がみなさんを守ってくださいますように」と言いました。この善良な警官が今後新しい紀元に入り、将来の美しさが見えるようになったと思うと涙が溢れ、心の中には師父に対する感謝でいっぱいになり、師父が縁のある人をここまで連れてくださったことに感謝しました。これらの善良な人たちを救い済度しくださった師父に感謝します。

 若くて善良で単純な大学生に会ったことも少なくありません。インターネット封鎖を突破することはできるが、まだ真相をわかっていない人、神韻のDVDを見たがまだ三退していない人など様々な人に会いました。毎回私たちはできる限り真相をはっきり伝え、世の中の人に大法の素晴らしさと中国共産党の邪悪さを分からせました。夜になると3時間で3、4人くらい三退させることができます。

 普段生活の中で私もできる限り縁がある人を逃さないように頑張っています。一時期私は用事があって常にタクシーに乗りました。ほとんど毎回、私はなるべく運転手と話し、三退して平安を守ることを伝えました。大部分の運転手は私が彼のために伝えているとわかり、しかも多くの人は真相の録音電話を聞いたことがあり、真相紙幣(法輪功の真実を伝える言葉が書かれた紙幣)をもらったこともあったのでほとんど三退に同意しました。ある日、若い運転手に三退を勧めたあとインターネット封鎖を突破できるウェブサイトを書いてあげたら彼は喜んで何回もありがとうございますと感謝しました。

 一度運転手と話し合う間に目的地を過ぎたので遠回りをして送ってもらいました。運転手は遠回りした部分の料金はどうしても受け取らず、しかも「あなたは素晴らしいです。お名前は? 私は必ず覚えておきます」と話しました。たまに配達の人や家電を修理する人が来ても私はできる限り話しかけ、真相を伝えます。ある日、クローゼットを配達してくれた人に真相を伝えたら彼は少しの迷いもなくすぐ三退に同意しました。彼は自分は法輪大法が素晴らしいことを知っていると言いました。彼の職場にも大法弟子がいて聞いた真相も少なくないと言うのです。

 現在法を正す全体の形勢は目覚しい勢いで進展しており、世の中の人の思想を制御する邪悪の要素もますます少なくなったので真相を伝えるのも以前より楽になりました。人々はずっと私達を待っているので、私たちが外へ出て声をかけさえすれば師父は私たちに縁のある人が救われるように按排しくださいます。

 たまには忙しく、たまにはとても疲れますが、私たちは人を救う道を歩むなか、師父の経文の「大覚は苦を畏れず 意思は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正 法の路」[6] を暗証すると、心の中は師が法を正すことを手伝う神聖な感じと人を救う幸せに満ちてくるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」
 [2] 李洪志師父の著作:『洪吟』「三界を飛び出る」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [5] 李洪志師父の著作:『洪吟 二』「法正乾坤」
 [6] 李洪志師父の著作:『洪吟 二』「正念正行」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/28/368122.html)
 
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