私の些細な考えごと この一念の相違
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年3月30日】ある日、法輪功の第二功法を煉っているとき、胸骨が突然痛くなり、それは今までなかったことです。私は「この痛みは、自分の空間場が浄化されたことの現れだ」と考えました。すると、たった2、3秒で痛みが消えました。もし違う考え方をすれば、恐らくこんなに早く痛みが消えないかもしれません。本当に「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり」[1] の通りでした。

 外で真相を伝えているとき、空は見る見るうちに黒雲が立ちこめ、今にも大雨が降り出してきそうになりました。そして、海外の同修は横断幕や看板など出しているため、雨に降られたくありません。そんなとき「今は大法弟子が衆生を救う最中なので、雨の神も雷の神もご協力ください。雨を降らすなら、私たちが事をやり終えるまで待ってください」と一念をいれると、しばらくの間、本当に雨が降らないかもしれません。

 一方、もし「これは旧勢力の妨害で、大法弟子がやっていることを邪魔する要素をすべて解体させよう」と発正念すると、これも同じく転機が現れて、雨が暫く降らないかもしれません。しかし結果は同じですが、その一瞬に起こした一念によって、私たちの受けた感銘が異なります。前者の場合は殊勝な感じがしていますが、後者の場合はプレッシャーを感じます。

 ある日、純粋な心をもって大法のことをやっている最中に、突然、足が痛くて歩けなくなる場面を想像してみましょう。私ならば「この足の痛みは師父によって体を浄化されおり、これは師父からの励ましで、今日は特別に得るものがある」と思います。このように思う根拠はどこにありますか? 師父は「大法弟子自身が良く行うことができないときだけ、旧勢力は作用するのです。その時、旧勢力はあなたの弱みを掴んでいます。通常、旧勢力は恐れており作用することができません」[2] と大法弟子たちに教えられたからです。自分は清浄な心をもって最も正しい事をしているため、旧勢力に妨害される事はありません。多分、すぐにも足は正常な状態に回復します、と思えばよいのです。

 もし「これは虚像で認めません。この迫害の元となる邪悪を解体しましょう」と思うと、結果は同じく足の痛みがすぐ消えるかもしれません。しかし、二つの考え方、結果は同じかもしれませんが、当事者の心理状態、感銘は異なります。前者の場合は、師父に対する感謝が現れます。後者の場合は、旧勢力にいつでも隙に乗じられる圧力と衆生を救い済度するときの苦難です。前者の心は喜びに満ちており、後者の心は疲れている状態に包まれます。

 その違いは考え方の原点の違いに由来します。前者の原点は、「私は大法弟子で師父に加護されて、修煉の中で経験したことは皆良いことです」、後者の原点は、自分を「迫害される対象」として想定しているので結局、迫害の影が離れないようにずっと追随します。

 明慧ネットの修煉体験文章を読んで、よくある内容は、病気の難に遭って浮かんだ一念は「旧勢力の手配を否定する」こと、そして、内に向けて自分を探し多くの執着心が見つかり、同時に師父のご加護を願い、最後に症状が消えて体が回復して、大法弟子は正念を以てこれらの関を乗り越えたというものです。

 しかし、本当に上記の内容の通りであれば、自分の手配があってこそ修煉者に「内に向けて探す」ように促し、大法弟子の修煉に助力して手柄を立てたと旧勢力は思うかもしれません。旧勢力は師父に「見てください、私の手配が役に立ったでしょう。私の手配があってこそ、あなたの弟子はようやく自分を修めることが出来ました」と自慢するかもしれません。それでは、旧勢力は大法弟子に「助力」するために、また次の難関を手配する可能性があるのではありませんか。そうなると、我々の修煉は本当に旧勢力に左右されるものになります。そうなると、口では「旧勢力の手配を否定する」と言いながら、実際はやはり、旧勢力の手配した道を歩むことになります。だから、「ずっと発正念をしているが、どうして面倒なことが絶えないのか」と感じる修煉者がいます。

 修煉者には執着心があって、常に何事においても執着心が現れるのです。それに対して、旧勢力が迫害を加える理由にはなりません。

 修煉者として執着心が現れたとき、内に向けて探すことができれば、師父が按排された道を歩むことになり、旧勢力が妨害を働く理由は無くなるのです。そうすると、修煉者は師父の加護と指導の下で引き続き修煉することができます。

 しかし、もし修煉者が執着心を固守して放下しなかったら、「皆さんが執着しているものであれば、邪悪はそれを更に強めるのです」[3]  そこで、修煉者の執着心はちょうど旧勢力の存在価値を証明したのではありませんか。ふだん着実に修めることができず、ただ防御態勢を取っていわゆる「妨害」を排除するだけでは、小さな難は乗り越えられますが、大きな難は乗り越えることができないかもしれません。

 いつもいわゆる「旧勢力」を心にかけているなら、あなたの空間場に旧勢力の「存在感」を強めることになるのではありませんか。

 内に向けて自分を探して、着実に修めて、「三つのこと」をしっかりと行えば、自然とその中で次元を高めていくことができます。上記のことがしっかりできれば、私たちは旧勢力の「妨害」を排斥し、否定するのではなくて、旧勢力の手が私たちに届かず、当然、妨害の働きようがないのです。

 修煉者は「三つのこと」を行うというプラス要素だけを把握して、旧勢力の妨害などマイナス要素を考えないようにして、修煉のことを簡単明瞭にしましょう!! 修煉に現れたいろいろな現象や状態、真や偽など、いろいろな事が多すぎます。師父がおっしゃった「いかなる心も動じなければすべての変動を制することができます」[4]  には、その意味合いも含まれているのではありませんか。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『米国中部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/4/29/327284.html )
 
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