文/青年弟子
【明慧日本2019年4月21日】私が一部の同修達と交流して分かったことは、多くの同修は毎日法を勉強していても「法を学んでも法を得ず」という状態になっているようです。私本人も長い間同じような問題がありましたが、ようやくその状態から抜け出すことができました。ここで自分の体験を書き出して、皆さんのお役に立てばと思います。
まずは純粋な心で学法することが大事です。何も求めず、何も欲しがらず、無為な状態で法を学び、宇宙の大法に同化する過程で、その次元に符合すれば、法の後ろにいる佛、道、神はその次元の法理を自然にあなたに現すのです。
師父は次のように説かれました。「将来気功師になり有名人になって、金儲けがしたいという目的でチベットへ行き、チベットの密教を学びたいという人が多くいます。よく考えてみてください。真の教えを得た活佛やラマ僧はみな非常に強い功能を持っています。気功を学びに来た人が頭の中で何を考えているか、その人が何のために来たのかは、一目見れば、『この人はうちのものを学んで、気功師になって金持ちになり有名人になろうとしており、この法門の佛道修行の方法を破壊しに来たのだ』とすぐ分かります。こんなに厳粛な佛を修める法門が、気功師になって名声や利益を追求するなどという目的のために、勝手に壊されてよいものだろうか? 君の動機はいったい何ですか? というわけで、彼に絶対に教えるはずがありませんので、こういう人が真の伝えを得ることはありません」[1]
ご存知のように『轉法輪』の一文字一文字の後ろに皆佛、道、神がいます。学法する時の心が純粋でなく、あるいは表面上にとどまり、任務を完成させるように学法をしていれば、後ろにいる佛、道、神にはその心が何を考えているのか一目瞭然です。このような人に法理を開示するでしょうか? このことが分かった私は法を学ぶ時、できるだけ頭を空にして集中力を高め、自分の主意識で一文字一文字を頭に入れるように読むようになりました。そこで一つの現象に気がつきました。前に何度も読んだ内容とその文字が初めて見たような感じでした。また質問があっても、読み続けると次に分かってきます。繰り返して本を読むことで、新しい法理がどんどん現れてきます。
ここで例を一つ挙げます。長い間、私はあることに執着して頭から離れず、忘れようとしても何かに触れるとすぐ頭に戻ってきました。十数年も修煉していましたが、あまり精進せず、法理に対する理解が浅い上に、旧勢力の妨害もありました。また夢の中で昔自分には人に借りがあって、その債権者が返済を求めに来たと分かりました。これらが原因で、私はその状態からなかなか抜け出せず、発正念をしたり、学法したり、内に向かって自分の問題を探したりして、ある程度の執着心が見つかれば少し良くなりましたが。しかししばらくするとまた繰り返して出てきて、根本的な問題が掘り出されていないように感じました。
ある日、『轉法輪』の第五講を読んでいる時に次の内容に気づきました。「金を求める人が佛を拝む場合、佛像に向かって、あるいは観音菩薩像または如来佛像に向かって『どうか、金儲けができますようによろしくお願いします』と言ったとします。するとそれによって一つの完全な意念が形成されます。その意念は佛像に向かって発せられたものですから、すぐにその佛像に乗り移ってしまうのです。他の空間にあるその身体は大きく変身したり、小さく変身したりすることができますので、佛像に乗り移れば、この佛像は一つの大脳を持つようになり、思惟を持つようになります」[1]、「他の空間では、それが思うままに動き、思うままに常人を操ることができます。この有形の身体は佛像の姿とそっくりなので、偽物の観音菩薩、偽物の如来佛を礼拝によって作ってしまったことになります」[1]
私はこのように悟りました。長い間自分がいつもそのことに執着して考え続けたため、一つの完全な意念が出来上がったのではないでしょうか? 師父は「現在までに人体科学が発見したところによれば、人間の意念、大脳の思惟は一種の物質を生じさせることができます。きわめて高い次元から見れば、それは確かに物質の一種です。しかしこの物質は、現在までの研究で発見されているような脳波電流の形のものではなく、完全な大脳の形式をもったものです」[1] と説かれました。本の中には人が佛像に向かって意念を発した例が挙げられていますが、現実の中の私の意念は自身に対する執着であり、執着し続けることはその物質にエネルギーを与えることに等しく、「完全な大脳形式」がだんだんと「有形の身体」になるのではありませんか? さらに恐ろしいのは、この「有形の身体」は私本人と全く同じ形象になりますが、それは本当の私ではなく、「偽の私」です。師父は「あなたの見た佛は、佛なのでしょうか? 必ずしもそうとは言えないのです」[1] と説かれました。
それまで私は「偽の私」の存在に気づくことができませんでした。当時ある同修は私に「その強く執着している思想は『あなた』ではないのよ」と教えてくれましたが、その時私はまだ理解できませんでした。今分かってきましたが、自分が考えているように見えても、実は「偽の私」は私の執着を利用して真の私を支配し、そのことばかり考えさせ、一層執着させるのです。このことは深く隠れている為なかなか見つけられず、本当に自分がそう考えていると思ってしまいます。このことから私は『西遊記』の中で「孫悟空三度白骨の精を打つ」の中で、唐玄蔵が化けた妖怪を見分けることが出来ず、孫悟空の助言を信じませんでした。修煉において私たちは邪悪の仕業を見破るために、孫悟空のあかめ(火眼金晴)が必要であり、師父のお教え通り、「 法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2]
また、師父は「法には定法無し」を説かれました。「釈迦牟尼は菩提樹の下で、功を開き、悟りを開いた後、直ちに如来の次元に達したわけではありません。彼は四十九年間にわたる説法の間も、絶えず自分を高めていました。次元を一つ上がる度に振り返って見ると、説いたばかりの法はみな違っていました。さらに上がれば、先に説いた法もまた違ってきました。四十九年の間に、彼はこのように絶えず昇華していきながら、次元が上がる度に、自分の以前に説いた法は認識が低かったことに気づいたのでした。さらに、それぞれの次元の法はみなその次元における法の現われで、どの次元にも法がありますが、どれも宇宙の絶対的真理ではないということにも気づきました。しかも高い次元の法ほど宇宙の特性に近いのです。そこで彼は『法には定法無し』と言ったわけです」[1]
われわれは修煉の過程で法理において絶えず高め、絶えず昇華している時は「法には定法無し」の状態です。修煉の最初の段階では、『轉法輪』に書かれた表面の意味だけである程度の執着や邪悪を破ることができますが、旧勢力の按排も一重一重にありますので、高い層の詭計を見分けるためには、さらに高い次元の法で破るしかありません。ですから法を学んで法を得、絶えず昇華することが必要です。
師父は「高次元の法が分からないために修煉ができない」[1]と教えられました。より深く法を学ばなければ、師父の法に対する理解はいつまでたっても表面にとどまり、修煉を高めることができません。もし長い間ある状態から抜け出せず、内に向けて探しても発正念をしても一向に改善されなかった場合は、自分が学法する状態を反省して、学法をして法が得られているかどうかを考える必要があると思います。
私たちはよく学法をすると共に内に向けて探し、心性を修めることによって次元が高まり、より高い次元に達すれば、師父は『轉法輪』の背後にいる佛、道、神にその次元の法理を私たちに現してくださいます。私たちはその高い次元の法理で自分の修煉を指導してさらに高めます。このように繰り返して絶えず次元を突破していきます。
師父は「法はここまでしかお話しできません。さらに高いものはあなたが自分で修煉して会得しなければなりません。質問の時間に、ますます具体的なことを尋ね、生活上の問題さえわたしに解決を求める人がいますが、それではあなた自身は何を修煉するのですか! 自分で修煉し、自分で悟らなければなりません。わたしが全部言ってしまえば、あなたの修煉するものがなくなります」[1] と説かれました。
今まで私を含む多くの同修たちは魔難に遭う度に師父に助けを求めていました。もちろんこれが間違っているわけではありません。しかし天上の主、天上の王だった私たちは非常に大きな能力を持っているに違いありません。法から生まれた知恵と能力を生かして、私たちは邪悪の仕業を見破って除去することができると思います。
師父は「皆さんに教えますが、ここ数年来、私はいつも大法弟子に非常に大きな能力があると言っていますが、どうしても信じない人がいます。なぜならば、あなたに見えないようにしているからです。あなたの正念の作用で、周りのすべてとあなた自身まで変化が起こりますが、あなたは試してみようと思ってもいません」[3] と説かれました。
本来なら私たちは自分たちの力で邪悪の仕業を見破って除去することができますが、無意識のうち師父に求め、師父に頼り、師父にしてもらいたがります。慈悲なる師父は私たちが法に基づいて心性を高めるのをご覧になり、私たちの為にしてくださいます。しかし大きな能力を持つ私たちは、いつも師父にご迷惑をかけるばかりでいいでしょうか?
大法弟子として皆師父の要求に従って法を学んで法を得、内に向けて自分を修めることができた時は、法の力で邪悪を破り、全体的に高めることができます。それによってもっと大きな知恵と力が生まれて来て、もっと多くの衆生を救い済度することができ、師父のご苦労を少なくし、師父が喜んで安心できられるようになります。
師父はこのように私たちに教えられました。「必ず法をしっかり勉強すべきであり、それは皆さんが位に帰るための根本的な保障です。それは師父が軽々しく考えたことではなく、師父が皆さんに説いたのは宇宙の法なのです。先ほど皆さんにくれぐれも修煉を怠ってはならず、くれぐれも法の勉強を緩めてはならず、必ず真剣に勉強すべきだということを教えました。今までしっかり勉強しなかった人は師父が今日もう一度話したので、帰ってから必ず真剣に法を勉強し、修煉し、考えがほかのことに気を取られてはいけません」[4]
以上は私の次元での認識に過ぎませんので、正しくないところがあればご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除しよう」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」