文/山東省の大法弟子
【明慧日本2019年5月9日】修煉する間に、私は徐々に自分の観念から突破し、自分の能力を広げ、自分を浄化することができました。
一、「自分を軽視する」観念を破る
過去には常に自分の学法が上達できず、理解力が悪く、不足なところがたくさんあると感じました。同修と比べれば、まだまだ距離があると知らないうちに思い込み、コンプレックスや自分を軽視する観念がどうしてもありました。師父は、「『法を正す時期の大法弟子』とは何でしょうか? 宇宙の中で最も素晴らしい称号であり、最も偉大な生命です」[1]と語られました。
師父は常に私達を高い次元へ引っ張ってくださっているのに、私はなぜ自分を軽視するのでしょうか? この観念は師父を信用していないことではないでしょうか? 私はついに、これらは旧宇宙の腐敗の要因によって形成された観念で、この観念が私を防げていることに気付きました。私はこの観念を打ち破り、自分の観念を師父の説法の内容と照らし合わせ、自分の法を正す時期の大法弟子の立ち位置を見直し、大法弟子に備わった従容(しょうよう・おちついた、ゆとりのある様子)と自信を取り戻しました。
二、対立の観念を打ち破る
中国共産党の邪悪な党文化の環境の下で、「好」ではなければ「悪」、「正」ではなければ「誤」、「友」ではなければ「敵」だという絶対的な敵対観念が形成されました。ひいては自然にこのような観念になり、自分が意識できなくなりました。例えば、地元で「邪悟」という噂されている人がいますが、実はただ彼女のコミュニケーション方法が一部の協調人の考えに合わなかったので、仲間外れにされました。私は彼女に連絡したり、やり取りをしたりしていたせいで、私を含めて仲間外れにされました。最初に私は納得できず、これらの協調人達に議論しに行こうと思っていましたが、これは邪悪な党文化の観念が旧勢力に利用されたことだと意識して、自分自身もこのような絶対的な敵対観念の邪悪な党文化を持っていると気付きました。しかも、「嫉妬心」につながることだとわかりました。
大法弟子は高次元まで修煉しますので、このような邪悪な党文化の絶対敵対観念に左右されてはならず、旧勢力に騙されてはいけません。この観念を破ると、同修に対する噂はただ風のように吹き流しました。
三、迫害された観念を打ち破る
1999年7.20から悪党に迫害されて以来、私は留置所に6回も入り、労働収容所に2回入り、そして刑務所に1回入り、仕事も失いました。当時、このような不公平さを憤慨した人心が生じ、旧勢力に繰り返して利用されて迫害を受けました。自分だけが心身ともに被害を受けているのではなく、家族や友達、周囲の人達までも深く被害を受け、大法に対する理解ができなくなりました。師父に深くご加護をいただいていることにより、最終的にこれらの影から抜け出せることができ、真に師父が法を正す荘厳(重々しく、威厳があって気高いこと)さや神聖さを体験でき、さらに、修煉の厳粛さや貴重さを感じました。
2008年の年末、私は刑務所から出て来て、自分自身そして自分の大法や師父に対する認識を振り返り、自分の人生の道筋を再検討しました。そうすると、自分の根本的な執着心を見つけることができました。それは師父や大法に対して徹底的に100%信用していませんでした。多数失敗した後に、自分が師父に対し信じることができなかったために、学法をしても法の含意(がんい・表面に現れない意味を含みもつこと)をくみ取れず、高次元の法理が理解できず、旧勢力の按排を否定することが出来ていませんでした。
『明慧週刊』に掲載された一つの交流文章に、一人の同修が「警察官に連行されても、自分はこれを迫害だと思わず、ここで一つの真相を伝え、衆生を救度(あらゆる苦しみから救うこと)するよい機会だと思いました」とあり、これを読んだ私は「これこそが大法弟子の本当の正念だ!」と震撼させられました。
私は自己を放下すべきです。また、私心を放下すべきであり、迫害される観念を放下すべきです。これらの根本的に旧勢力に按排されたマイナス思考を否定し、旧勢力の存在自体を絶対に認めてはいけません。私はこのことで師父のご教示を一層理解できました。以前失敗した経験を恥ずかしく思い、迫害される観念を突破したことを嬉しく思いました。初めて自分が大法弟子としての正しい立場を見直すことが出来ました。不満や不公正さ、損得勘定、恐怖心、戸惑いなど、全てが消え去りました。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』