同修の交流文章を読んで考えたこと
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年5月31日】『明慧週刊』2019年2月28日の文章の中に、多くの同修が病業のために亡くなった内容がありました。それを読んで大変驚きました。また、同修が「情」と「怨み」を修め、法理に則って分析した文章もあり、それらを読むと自らの人心もはっきりと見え、そして、「人を怨む心」や「身内に対する情」があることに気付かされました。

 魔難の中で、法と師を固く信じることができず、同修が肉体を失い、大法と衆生を救い済度することに大きな損失をもたらしたことは、とても心を悲しませることでした。しかし、法と師をしっかり信じることによって、魔難を乗り越えた同修の交流もありました。

 1人の同修が大きな毒蜂に刺され、腕があっという間にパンパンに腫れ上がりました。家族は彼女に毒を絞り出そうと手伝ってくれましたが、同修は法に則って悟り、大法弟子は師父に管理されているのだから、常人からの助けを求めてはいけないと思いました。そこで彼女は部屋に入り、ドアを閉め、部屋の中で長時間にわたり発正念をしました。すると、腫れが引いてきました。回復して刺された跡だけが残っている彼女のを見て、家族は驚きを隠せず、「法輪功は不思議すぎる」としきりに称賛しました。

 またある同修は、交通事故に遭って怪我をしました。同修は入院せずに病院から帰って来ましたが、家で寝込んでしまい、起き上がれませんでした。常人の夫はこれを理解できず、大法と師父に暴言を吐きました。他の同修の助けの下で、怪我をした同修は法に則って悟ると、翌日、師父は大きな手で彼女を座らせてくださいました。そして、彼女は足を組めるようになりました。夫はそれを見て大変驚き、「法輪功は凄いなあ!」と態度を180度転換し、従業員に「法輪大法の悪口を言う者は解雇する」と言って、従業員数人を全員三退させました。この事を通して、周りの生命が大法に救い済度され、同修自らも魔難の中で心性と次元を高めました。

 法の中で自らを正し、生命の本質を昇華させることは私たち修煉者の使命です。師父は「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」[1] と説かれました。修煉は実に厳粛なことです。何か難に遇えば、必ず法に則って考え、法に則って悟り、そうして初めて魔難から踏み出すことができ、初めて法を正す師に手伝うことができるのです。同修が書いてくださった交流文章に感謝します。

 数日前、地元のある同修は別の空間から「あなたはいついつ逝く」と聞こえて来て、それを信じてしまいました。彼は家族に「悲しむことはない」と告げ、そして大法の書籍などを整理し、後のことをすべて手配しました。その数日後、彼は本当にそのまま逝ってしまいました。彼はとてもいい同修で、大法の事においても、人を救うことにおいても大きな役割を果たしてきましたが、しかし、彼は旧勢力に騙されてしまいました。旧勢力は最後まで彼に法を正す師に手伝わせようとせず、師父の法を正すことを妨害しました。師父が法の中でおっしゃったことでなければ、一切聞いてはならず、また、一切信じてはいけません。そうして初めて旧勢力に騙されず、旧勢力が手配した道を歩まないことになります。

 師父は私たちに「いかなる佛、いかなる道、いかなる神、いかなる魔に対しても、心が動じることがなければ、必ず成功するに違いありません」[1] と説かれました。旧勢力がどんな手口を使ってこようとも、私達は法に則って考え、法の中で悟れば、きっと旧勢力に騙されることはありません。

 法に則っていない所があれば、同修に慈悲なるご叱正をお願いします。

注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/4/384729.html)
 
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