メディアの中で内に向けて探し 全体に責任を負う
■ 印刷版
 

文╱ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2019年7月1日】最近メディアの仕事で遭遇した問題を通じて、どのように正法時期に全体に責任を負うかについて、いろいろと考えてみました。その考えを皆さんと交流したいと思います。

 私は華人向け番組のアナウンサーです。メディアの仕事に深くかかわっていくうちに、いろいろ問題が出てきました。例えば、一部のアナウンサーは仕事のために決められたオンラインの時間を守らず、あるいは放送用の文章に要求通りに署名しなかったり、他人の録音内容をしっかりチェックしなかったり、さらにチェックさえしないこともあり、放送時にミスが起きました。また、他人に指摘された録音ミスを無視するだけでなく、編集者自身の原稿内容にもよく問題が出ています。例えば、正しく表現せず、意味を誤解されたり、諺(ことわざ)について逆の意味に解釈していたり、名称や数字を書き間違えるなど、多くのことがあります。

 最初の頃、私は出てきた問題を丁寧に指摘していましたが、同じ問題が繰り返されると、嫌な気持ちが出てきて徐々に不平不満に思い、他人の指摘にも厳しくなり、完全に物事自体が正しいかどうかになってしまいました。外に向けて他人の問題ばかりを見て、自分が修煉者だということを軽んじていました。それでも、自分は全体に責任を負っていると思っていました。最近、プロジェクトの担当者に病業の現象が現れたことで、私は全体における法の実証について自省しました。師父は「皆さんは、『自然』というものは存在せず、『必然』には原因がある、ということをはっきり認識しなければいけません」[1] 、「彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います」[2] と説かれました。

 私は落ち着いて内に向けて探し始め、隠されていた自分を実証する心が見つかりました。人を見下す、嫉妬心、焦燥(しょうそう・あせっていらだつこと)感に駆られる心、利益に執着する心、人に譲らない心、闘争心、常人の中で形成した責任分担の観念、人にどう対応するか、物事に対してどのように行なうかなどの観念、これらの執着や常人の理屈によって、私は同修に強烈に執着していました。

 師父は「ですから、常人社会で認識したものを放棄しない限り、宇宙の真相が見えないのです」[3] 、「執着している全ては即ちあなたの障碍であり、修煉の時に遭った全ての関は実はあなた自身の難でもあります。私が難を利用した目的はあなたの執着している鍵を開け、真相を見させ、あなたの思想が昇華できるようにするというところにあります」[3] と説かれました。

 私はこれらのすべての現象が自分の人心と対応していることを悟りました。この人心によって、は全体の中で出てきた問題について、理解できず、包容できず、全体にうまく協力できませんでした。我々は「真・善・忍」に基づいて修煉しています。単純に真に問題を反映し、「善」がなければ、法に則っていないと思います。

 発正念をして全面的にこれらの人心や執着を除去すると同時に、悟れば、悟った通りに行なうべきです。私は出てきた念をしっかりと検討し始めました。良くない考えやマイナスな気分が出てきた時、自分を落ち着かせてその考えに従わず、自分を正し、問題を自分が解決できれば解決しますが、解決できない場合は担当者にお願いして、私は必ず恨むことなくしっかり協力します。

 私は毎日明慧ネットを見ています。中国の大法弟子の修煉状況や交流文章を読み、自分を照らして、自分の修煉を励ましています。そして、毎日できるだけ世界のニュースを読み、世界の状況を把握し、報道の進捗(しんちょく・報道の進捗をついてくる)についていけるように自分に要求しています。

 徐々に私は問題にぶつかる時、前と同じように我慢できない気持ちがなくなり、外に向けて探す考えもなくなり、相手の立場で考えられるようになりました。そして、同修たちは大変だと感じ、皆いろいろな難関を乗り越えて一生懸命頑張っていると、心から感心するようになりました。

 ある日の朝、私は外で煉功するために、前もって煉功点に行ったところ、もっと早く着いた2、3人の同修が煉功点の周囲のゴミを拾ったり、掃除をしているのを見かけました。同修は皆がきれいな環境で煉功できるように、前もって環境を整えており、それを見て私は心が温かくなりました。メディアの会社を最初に立ち上げた頃、皆にどれほど苦労をかけていたか、そして、常人社会に立脚できるように、またメディアの作用を発揮できるように、同修たちがどれほど努力を払っていたか、今このプロジェクトはすでに安定した状態になりました。私はやるべきことをしっかり行ない、しっかり協力すればよく、この環境自体を大切にするべきではないでしょうか。

 自分の人心や観念を放棄すると、私は心が静まると感じ、集中力も強くなり、気持ちもすっきりしました。

 師父は、「誰にも自分が執着しているものがあり、誰もが常人社会で自分が認識した真理を持っていると思っているため、人間はこういうものを固守して自分の人生を維持させています。実は皆さんに教えますが、常人の中でどんな理を悟ったとしても、人類より高い次元にいる生命から見れば、皆間違っています。なぜならば、人類社会は全部逆になっているからです」[4] と説かれました。

 修煉者として、法の基準で考え、随時に自分が修煉者だと自覚し、物事が正しいかどうか、自分の思想をしっかり持ち、常に誠実で、善良で、包容の心で他人に対応すれば、全体に責任を負うことができるでしょう。

 適切でないところがあれば、ご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「道法」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「時間との対話」
 [3] 李洪志師父の経文:スイス法会での説法』
 [4] 李洪志師父の経文米国西部法会での説法』

 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/5/388134.html)
 
関連文章