今回、同修の死から得た貴重な教訓
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年8月17日】2018年の秋、解放されて2カ月も経たないうちに、同修のAさんは亡くなりました。彼をめぐって周囲の同修に現れた状態に、私は多くのことを考えさせられました。

 ふだん私はAさんと付き合いがなく、一度しか会ったことがなくて良い印象も持っておらず、彼のことについて無関心でした。しかし家に帰って1カ月後、聞くところによると、彼の体調がどんどん悪くなっていき、食事がのどを通らなくなり痩せこけているそうです。それを聞いた私はとてもびっくりして、見舞いに行きました。

 会ってから少し世間話をして、そのあと彼の話から、彼は「家庭の温もり」を渇望していると分かりました。しかし迫害の中で、その些細な願望も満たされることができませんでした。当時、彼の妻も不当に拘禁されており、2人の子供は親戚の家に預けていました。

 自分は「拒食症」になったと、彼は私に話しました。しかし私たちがスイカを食べるのを見て、彼は「やはり、ものを食べるには雰囲気が大切ですね。周りに食べる人がいると、つい自分も食べたくなりました」と言いました。それで、彼は本当に一切れのスイカを食べました。彼の言動から、「情」が強いと私は感じました。普通の人間なら、3年の刑務所での生活を経験して家に帰ると、家庭の温もりと絆を渇望するのはごく自然のことです。しかし修煉者にとって、その「情」は旧勢力が迫害を働く理由になったのではないでしょうか?

 2回目に見舞いにいったとき、Aさんの状況は明らかに前より悪くなっていました。「同修たちが持ってきた師父の説法のテープを聞きましたか?」と聞くと、彼は「聞いていません、聞く勇気がありません。今は座ることも出来なくて、いつも横たわるしか出来ないので、この姿勢で師父の説法を聞くことは、師父に対して不敬です」と答えました。私はそれを聞き心がギュッとしました。1カ月の間、同修たちは行き来して、彼のために美味しいもの、栄養のあるものを作って届けました。しかし、彼が師父の説法を聞けないことを誰も知らず、そのことについて彼と交流することも全然ありませんでした。 

 家に帰った後、私は昔のことを思い出し、私が経験した悲劇はなんと今、Aさんの身に再現されているように思いました。あれは12年前、私は刑務所で邪悪な圧力に耐えられなくて、仕方なく「転向」に同意しました。解放されてから同修たちの中に溶け込みたいのですが、同修たちは三々五々に我が家にやって来て、それぞれの修煉体験や悟ったこと、私に対する期待などを無理矢理に私に押し付けました。しかし刑務所の中でどのように過ごしてきたのか、どんなことに遭遇したのかについて、誰一人も私に尋ねたりしません。また、今、私が心の中に何を考えているのかも、誰も聞いてくれませんでした。

 刑務所で3年間も学法していなくて、同時に邪悪の洗脳に対抗しなければならない私にとって、修煉を放棄しないという決心を支えてくれたのは、師父と大法に対する信念の他、何もありません。「転向」したことで師父にとても申し訳ないと思う自分に「心性」、「次元」などを考える資格さえ持てないと思い、少し自暴自棄になりました。そのような状態の下で、私が受けたのは周囲の同修の冷たい言葉です。「あなたの体にある邪悪を消去するために、私たちは毎日発正念をしています」、「聞くところによると、あなたは仏教を信じるようになったそうですが」、そして軽蔑な眼差しで、「あなたは『師父』と呼んでいるのですか?」、などなどまるで刃物のように、私の心にぐさりとつき刺してきます。

 当時、同修に接触したくなくて、私は遠く離れました。だんだんと修煉も疎かになり、一時、本当に仏教のものを研究し始めました。紆余曲折を経て、やはり法輪大法の修煉に戻りましたが、あの過程は本当に心に深いダメージを残し、多くのマイナス面のものを取り除くために私は大変苦労しました。

 Aさんの状況を考えると、同修たちは私の時と同じような方法でAさんを「助けよう」としているのではないかと思います。同修たちは自分の基準でAさんに要求し、Aさんは本当に何を必要としているのかを全く分かっていません。Aさんの状況によると、誰かがそばにいて一緒に学法し、煉功し、生活を共にした方が良いと思います。しかし現状では、昼間に多くの同修が行き来しますが、夜になると、Aさんは部屋で1人きりで、呆然としていたようです。

 3回目に見舞いに行った時、私はAさんに自分の体験を話しました。今回、同修たちの「助け」に同じ問題が存在しているのかと聞くと、彼はひたすら頷きました。「結局、あなたは心身ともに疲れ果てているのではありませんか」と聞くと、彼はまたひたすら頷きました。当時の彼の体力がほとんどないため、ほぼ何も喋りませんでした。私はまた「覚えていますか? 当時、あなたも私を疲れさせた人の中の1人でしたよ」と言うと、彼は詫びました。私は彼を自分の家に連れて帰ろうとすると、彼は喜びました。見たところ彼も1人でこの部屋に住みたくないようです。しかし、その決定は遅すぎました。3日後、彼は逝ってしまいました。

 いつになったら修煉者は同修を助ける時に、相手の立場に立って、親身になれるのでしょうか? 似たような教訓があまりにも多すぎます!!

 また、人を助ける時、よく共産党文化のものが混じっていて、自分の考えを相手に押し付けていることを自覚しない同修もいます。Aさんの健康状態が良くないとはいえ、「修煉者には病がない」ことについて、彼の正念は固く、私たちに「病院に行く必要はない」と言ったことがあります。しかし彼に「病院に行こう、命を助けるのが最優先だ」、「病院の栄養剤の点滴をまず打とう!」と勧める同修も何人かいて、本当に医者を連れて来た同修もおり、彼に鍼灸を施す同修もいました。その同修たちは全部、彼と長年一緒に修煉してきた古い弟子です。これらの古い弟子は、どうして肝心なところで法理が分からなかったのでしょうか? どうして本人の意志に反して、「明日、すぐ病院に送ろう」と決定したのでしょうか? 上記の現象の裏に隠れた原因を探ってみると、あれはすべて「情」であり、同修に対する情だと思います。

 師父は「人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです。もっとも、これをいっぺんに断ち切るのは容易なことではありません。修煉は長い道のりで、徐々に自分の執着心を切り捨てていく過程です。とはいえ、自分自身を厳しく律しなければなりません」[1] と説かれています。また、「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」[1] とも説かれました。

 法理と照らし合わせて、歩んできた過程をふり返ると、Aさん本人にも、周囲の同修にも(私も含めて)現われた様々な状態の根源は「情」だと思います。

 私はどうしてAさんを家に連れて帰ろうと考えたのでしょうか? 純粋に大法のため、彼のためでしょうか。一層一層深い所まで掘り下げたら、やっと隠れていた自分の執着心を発見しました。それは「反感」です。以前、自分の体験があったため、Aさんの周囲に同じことが起きたのを見て、私の心に「反感」が浮かびました。もしその「反感」を抱かず、自分の考えをタイムリーに同修たちと交流して、皆で交代してAさんの家に泊まってAさんと一緒に生活し、一緒に学法と煉功をしていれば、Aさんは死なずにすんでいたかもしれません。しかし、その「反感」があったため、私は地元の同修たちに何も相談しておらず、心に考えていたことも全然打ち明けていませんでした。

 周囲の同修たちのやり方に「反感」を持ったため、私はAさんを目下の環境から連れ出して、静かな我が家の家庭環境の中で学法し、煉功し、魔難を乗り越えようと計画しました。しかし少しでも、不純の念があれば、旧勢力はまた妨害を働きました。私の家に行くと承諾したAさんは転んで、それっきり二度と立ち上がること無く、すぐに他界してしまいました。

 事は過ぎましたが、しかし、その過程の中から教訓を汲み取らなければいけません!! 「情」の妨害を軽く見てはいけません!! 修煉を緩めると、すぐに旧勢力に弱みに乗じられて、挽回できない事態になりかねません!! これが今回得た貴重な教訓でした。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/2/10/382565.html)
 
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