純粋な心で、より多くの人を救う
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 中国吉林省のある大法弟子が師を信じ、法を信じた物語

文/吉林省の大法弟子が口述し 同修が代筆

 【明慧日本2019年9月25日】

 一、縁を結んで、法を得る

 1995年のある日、私は従姉妹の家へ遊びに行きました。当時、彼女はちょうど本を読んでいました。彼女に「あなたは体調が優れないし、よくご主人と喧嘩するから、この功法を学ぶべきです。この功法は法輪功と言う功法で、本当に素晴らしいものです」と勧めました。字が読めないと言うと、煉功に行けば教えてくれる人がいるわ、と伝えました。しかし田舎に住んでいてバスも通らないし、どうすればよいだろうかと、色々と話し合いました。

 家に帰ってから数日が過ぎたとき、全身の病気が治りました。胆石症、リューマチ性僧帽弁狭窄症、脳しんとうの後遺症、腰痛と足の痛みなどが全部なくなりました。今になって分かりましたが、その時に、法輪功を学びたいと言う一念が生じたため、師父が助けて下さったのです。師父は「皆さんもお聞きになったことがあるだろうと思いますが、佛教には、『佛性がひとたび現われると、十方世界を震わす』という言葉があります。覚者がそのような人を見ればひとしく救いの手を差し伸べ、無条件に助けてあげようとします」[1] とおっしゃいました。

 あれから2、3年が過ぎた1998年の年末のある日、私はまた夫と喧嘩しました。夫は稼いだお金を家計に入れず、賭け事にすべて使ったからです。あの日、我が家の米は一粒もありませんでした。再び人にお米を借りに行くのは恥ずかしかったので、夫のポケットから100人民元を取り出してお米を買いました。その後、夫に気づかれて喧嘩を売られました。彼は私とはもう一緒に生活できないと言い出しました。

 私は腹が立ってたまらなくなり、姉の家に行きました。夫と別れて実家へ帰りたい、と姉に伝えました。当時、姉はすでに法を得ており、私に大法の素晴らしさを教えてくれました。「この法を学べば、なぜこれらの事が起きたのかがきっと分かるわ。あなたは前世で彼に借りがあったからかも知れない。この法はそのことをはっきりと教えてくれるはずだわ。月曜日に輔導員が師父の説法ビデオを皆で見るように段取りしたので、一緒に見に行きましょう。それから次にどうするかを決めましょう」と誘われました。

 私は姉の話を聞き入れ、月曜日から説法ビデオを見に行きました。私は小さい頃から何をやっても真面目で、説法を聞くときも真剣に一言も聞き落とさず、全部聞き入れました。師父のお話は本当に正しいと思い、今まで誰もこのような道理を話してくれた人はいませんでした。師父は初日に、私に法輪を植え付けてくださいました。しかし不思議なことに他の人とは違って、私には業を滅する過程がありませんでした。あとになってなぜ、すべての病気が完治したのか分かってきました。2、3年前に従姉妹の家で、大法のことを聞いて学ぼうという一念が生じたから、師父はあらかじめ私の業を滅してくださったのです。私がまだ大法の修煉を始めていないのに、見守ってくださいました。

 9日間の説法を聞き終えてから、私は自宅で煉功点を始めました。当時は5、6人が毎朝煉功をし、夕食後に学法をしました。私の知識レベルは低くて字も読めなかったため、同修の皆から字を学びながら、『轉法輪』を読みました。いつもその時のことを思い出す度にとても懐かしく、私の生涯の中で一番幸せな時期でした。

 二、師が法を正すことを手伝う

 1、省政府へ陳情に行き、省長と話し合う

 1999年7.20に、中国共産党は法輪功への凄まじい迫害を始めました。私は省政府へ陳情に行ったところ、現地の警察学校へ強制連行されました。彼らは迎えに来るように、戸籍の所在地の派出所に電話をかけました。そして、現地の警察学校に残った者はますます少なくなり、私は最後まで取り残されてしまいました。

 ある日退勤時間になった時、脇の下にカバンを抱えた5、6人の幹部姿の警察官達がやって来ました。私は彼らに大法の実態を伝えると、彼らも大変聞きたがりました。その中の1人が「金銭を使うことを惜しがらず、ここに来て陳情するのは何のためか?」と聞かれ、私は「財産を貯めても、健康な身体でなければダメです。私は法輪功を煉って身体が健康になりました。しかもこの功は我々に真・善・忍に従って良い人になるように要求しています。この功はこれほど素晴らしいのに、なぜ煉るのを禁止しますか?」と聞き返しました。彼らは「法輪功は確かに素晴らしいが、江沢民が良くないと言っている。我々は江沢民の話に従わなければならず、当然、給料を支払う者の話に従うべきだ。我々もこのことに関わりたくないが、仕方がないのだ」と返答しました。その時、彼らの運転手がやって来て「あなたは長々と喋っているが、今誰と話しているのか分かりますか? こちらの方達は省長と市長ですよ。普段なら彼らの中の誰が一般人とこれほど長く話してもらえるでしょうか」と大声でしかりました。運転手が騒がしく話すと、省長は彼に我々を迎えに来るように、と郷長に電話をかけさせました。そして郷の役人が私たちを迎えに来てくれ、帰えることができました。

 翌日の朝、床の掃除が終わってベッドに横になりましたが、急に一つの考えが浮かびました。「もし、師父の身体が佛体ならば彼らに捕まえられるはずがない。もし、肉身が彼らに捕まえられたらひどく殴られるのではないか」と考えれば考えるほど胸をえぐられるように辛くなって、涙がとめどなく流れ落ちました。その時、師父が坐禅した姿で西南方向からいらっしゃいました。私の目の前までいらっしゃってから、「彼らには私を捕まえることができません。私はどこから来ても来たところへ戻れます。法を多く学び、多く学び、多く学んでください」とおっしゃいました。そして、やって来たところに戻って行かれ、私は大変興奮しました。

 2、正念をもって警官に対応し、悪事を制止させる

 自宅に帰った私に会った村の同修たちには、恐怖心が生じました。私は怖がらないように彼らを慰めました。「私が全部の責任を負うから、あなた達は私に誘われて煉功したと言えばいいのよ」と言って、私はすべての責任を取りました。夜に村長が我が家にやって来て「明日、警官が来ます。あなたが煉ると答えると刑を言い渡され、今後、煉らないと答えると無罪になります」と告げました。私は「当然ながら続けて煉功します」と答えました。

 翌日、警官らがやって来て「これからも煉功しますか?」と聞かれ、私は煉功を続けると答えました。警官は「我が中国共産党が法輪功を取り締まって、法輪功が禁止されてるのに、なぜ、続けてするのか? お前は共産党に統治された庶民に過ぎず、なぜ、共産党の要求通りにしないのか」と言いました。彼は話しながらテーブルを叩き、私を脅かしました。私は少しも怖いと思わずに、同じようにテーブルを叩きながら大声で話しました。「私が心臓病を患っていた時、共産党は私を治してくれましたか? 私の師父が治してくださいました」と言って、彼らがどんな質問をしても、すべて言い返しました。私を説得できなかった警官らは上司に報告して、車で私を連行していき拘束しようとしました。そして「お前が続けて煉功すれば、懲役3年の刑罰を下すぞ」と脅しました。私は「実刑何年だと言い渡されても、私の考えは変わりません。荷物の準備ももう終わりました」。そう言って、荷物を指差しました。結局は車が来なかったので、警官らは仕方なく帰って行きました。

 しかし、奇怪なことに帰る直前になると警官らの態度が大変穏やかになりました。そして、ほほえんで「煉功したいなら家の中で煉功しなさい。泥棒が入るからドアには鍵をかけるように」と言ってから、立ち去りました。

 私は初めて北京へ陳情に行く時に、途中で連行され、地元の留置場に送られ、15日間拘束されました。この15日間、同修たちと留置場の中で一緒に毎日学法しました。私が一緒に法を読むことで、非常に速く向上しました。

 その後、また北京へ陳情に行きましたが、北京のある派出所に拘禁されました。警官らは私を鉄の椅子に座らせて縛り上げ、どこから来たのかと聞かれましたが、私は答えませんでした。所長は師父の写真を持って来て、「もし、お前が話さないなら、この写真を焼き捨てるぞ」と脅かしました。そして、ライターで火をつけました。私は写真を奪おうとしましたができませんでした。彼は隅に走って行き、もう一度、焼こうとしました。私にはもう手が届かなくなりました。ふといい考えが浮かび、「あなたが焼けるのはただ1枚の紙に過ぎません。師父は他の空間にいらっしゃるので、あなたには焼くことができません」と言いました。する警官は怖くなって、焼き始めた部分をこすって火を消し、とても怖がっている様子で、別の部屋の中に駆け込みました。その後、私は現地の留置場に送られました。

 3、苦痛を感じなくなれば、苦はなくなる

 2000年の年末の頃のことでした。不当に監禁されている同修が多くいて部屋が足りないので、一つの部屋に三十数人が監禁され、みな横を向いて隣り合って寝るしかなく、「立つ太刀魚」と呼ばれていました。もし誰かがトイレに行くため立ち上がれば、戻ったときはもう入れず、一晩中立っているしかありませんでした。私は毎日横になると師父の詩「円満となって佛果を得る 身を労するを苦と算せず 心を修するは最も過ぎ難し 関という関は全て闖えるべし いたる処すべて是れ魔 百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看る 世上の苦に堪え得れば 世を出ずれば是れ佛陀」[2] を暗唱しました。1~2回暗唱すれば眠れ、一晩中不快を感じることなどありませんでした。今振り返ってみれば、私が法に溶け込んでいたときは功が作用していました。「修は己にありて、功は師にあり」[1]  。 師父は私たちに「苦を嘗めることをもって楽とす」[2] とするように教えられ、私が苦を感じなくなれば苦はなくなりました。このとき、私は本当に法の威力を実感しました。

 4、師父を信じ法を信じれば、悪人が私を動かすことはできない

 その後、私は1年間の労働教養を強いられました。刑務所の中の同修たちは様々な間違った認識を持っていました。私は訳も分からず転向させられてしまい、他人にサインを代筆されてしまいました。そして泣きました。その後、解放されて同修に字を教えてもらうように頼みました。1年くらいで全部分かるようになって、皆と一緒に『轉法輪』を読むことができるようになりました。そして我が家で学法グループを作りました。

 ある日、警官らが3台の車に乗って我が家にやって来ました。その中の責任者が聞きました。「まだ煉功するのか?」と聞かれ、私は「煉功するのは当たり前です。煉功しなくて病気になれば、共産党が治してくれますか?」と反問しました。2人の女性警官が小声で私に告げました。「彼が再び聞いても何も言わず、もしこの功がいいと思うのなら1人で家の中で煉功しなさい」と。警官らはしばらくして帰りました。

 ある日、派出所から7、8人の警官らがやって来て、家宅捜索を始めました。野菜を入れる穴蔵まで捜索しました。1人の警官が私に「師父を罵れ!」と命令しました。私は「なぜ、師父を罵りるのですか?」と聞くと、警官は「もし、お前が罵らなければ我々は帰らない。お前が一口でも罵ればすぐに帰る」と言いました。私は「幼い頃から今までに1回も人を罵ったことがありません。罵ることができるはずもありません」と答えました。警官は怒って「家で罵らないなら、派出所に行けば罵れるだろう。そうだろうが!」と叫びました。私は心の中で師父にお願いしました。「どこへ行っても私は師父を罵ることなどしません。警官らがすぐ帰るようにしてください」。結局、私はその場で半身不随の状態になって、倒れてしまいました。警官らは怖くなってすぐに立ち去りました。ただ1人の警官と小隊長が残って、私をオンドルの上まで運び、私の兄と姉に電話しました。それからは警官らの妨害は再びありませんでした。そこで、師を信じ、法を信じることができれば、警官らは私を動かすことができないと分かりました。

 ある日広場で法輪功の真相を伝えていた時に、背の高い人に会いました。彼は「私も煉功したいのですが、息子にも病気があり、どこで本を買えますか?」と尋ねました。私は「家にあるからすぐに持って来ます」と言うと、彼は「他にも何かありますか?」と聞かれ、私はすぐに帰って、各種の法輪大法のものを一つずつ持って来ました。彼に私の名前と住所を聞かれ、私は全てを教えました。

 夜、横になって寝ようとした時に、頭の中に師父からの悟らせが現れました。今日会った者は610弁公室のスパイで、真に煉功しようとするのではないという事でした。数日後、村から人がやって来て「あなた達が外で迫害の真相を伝えているのを、610弁公室の人員らは誰が何をやっているか全部把握しています」と教えてくれました。

 私は恐れず、いつも通り外出して法輪功の真相を伝えました。そして毎回真実を言って、本当の名前を告げましたが、とてもいい結果をもたらしました。ある同修は「真相を伝える時、真の名前は教えないように」と告げました。試して見ると結果は良くなかったのです。常人は嘘を聞くと下唇を突き出し、軽蔑のまなざしで私を見つめました。私たちは真・善・忍を修めているので、嘘を言うわけにはいけません。そして元通りに迫害の真相を伝える形を取ると、良い結果をもたらしました。

 師父は「まわりの人は彼が練功していることを知っており、職場の人たちも、町内の人たちも、隣近所の人たちもみな知っています」[1] とおっしゃいました。私たちは全宇宙で最も正しいことをやっているので、正々堂々と法輪功の真相を伝えるべきです。団地ではいつも人を使い私を監視しています。そして常に兄の所に告げに行きましたが、兄は「妹は意固地で、誰も説得することができません」と彼らに答えました。

 私は毎日昼間に外出して、法輪功の真相を伝えました。真相ポスターを貼る時にも、木に掛け軸をかける時にも、いつも派出所の警官らが尾行していました。ある日、掛け軸をかける時に、パトカーの警官らは何も見えなかったように、側をゆっくり通って行きました。

 江沢民を告訴する際にも、近辺では私が初めて行ないました。警官が我が家に訪れましたが、私は家にいませんでした。警官は息子に「お前の母親が真相を伝えたり、チラシを配ったり、掛け軸をかけたりしても我々は別に何も言わなかったはずだ。それなのになぜ、江沢民を告訴するのか? 派出所に来るように伝えてくれ」と言いました。私が派出所に着いたときはもう退勤時間になっていました。彼らは私を小さい部屋に拘束し、次の日に取り調べようとしました。私は心の中で「今回もし、師父が真相を伝えるために刑務所に行くように按排されたのなら、すぐに行きます。何日でも構いません。しかしもし、師父の按配でなければ、私は1日も行きたくありません」と師父に告げました。すると師父は、心臓病の虚像を演化してくださいました。警官らは私の心臓発作を見て、夜間にもかかわらず、市の警察署に行って拘禁同意書をもらって来ました。結局、病院で検査すると2回とも不合格で、留置場側は受け入れませんでした。仕方がなく、警官らは私を自宅に帰らせました。ここで体験したのは「修は己にありて、功は師にあり」[1] でした。

 2017年の夏のある日、私は4、50歳の男性に小冊子を渡しました。彼は「あなたはこんなものを配る勇気がよくありますね?」と言い残し、小冊子を受け取らずに帰りました。1カ月後、彼は2人の若い女性を連れて我が家にやって来ました。彼女たちは卒業したばかりの大学生だと紹介してくれました。そして、あなたがどんな信仰をしているのかをインタビューに来たと言いました。彼は「あなたは法輪功を煉っていましたね。そうでしょう? まだ煉功していますか? それをやって何の意義がありますか? これからは煉功しないでください」と言われ、私は「なぜ、煉功をやめなければいけないのですか? この功法は素晴らしく、病気治療と健康保持ができます」と答えました。続いて彼らに法輪功の真相を伝えようとすると、彼は2人の女性に真相を聞かせないで、急いで2人を連れて立ち去りました。 

 あれから1カ月くらい過ぎて、ある日電話がかかってきました。相手は自分は610弁公室の者だが、お前が煉功しているかどうかを確認するために電話したと言いました。私は大声で「煉功しています」と答えました。すると彼女はすぐ「大丈夫です。ただ聞いただけです」と言って、すぐに電話を切りました。私の感覚としては、彼らが私の正念にぶつかると怖くなって、続けて迫害しようとする考えもなくなったようでした。まさに師父がおっしゃったように「汝に恐れ有らば 它は直に抓む 念を正しくすれば 悪は直ぐに崩れる」[3] でした。恐れる心をなくして正々堂々と何事もすれば、師父はあなたをきっと助けてくださいます。

 私は真相を伝える時、何回も次のような状況に出遭いました。ある人は私の腕を掴んで告発するか、警察に報告しようとしました。その時、私は少しも怖くありませんでした。心の中では「私はあなたに制約されません。師父が私の面倒を見てくださいます」と強く思いました。そして彼に「あなたは見た目が良い人のように見えたので真相を伝えたのです。大法弟子を迫害すれば、必ず地獄に堕ちます。本当にそんなことをやりますか?」と聞きました。一般人はこのような話を聞くと、すぐに表情が変わります。そして、笑いながら手を放します。ある人は「冗談ですよ」と言いました。このように危険を回避できたことが何回もありました。

 これら全ては旧勢力が按排した妨害だと思います。師父が認めておられないので、我々も認めるはずがありません。師父はこのように教えてくださいました。「しかし、いずれにせよ、師父は旧勢力を認めていません。皆さんも認めないでください。正々堂々と良く行い、それらを否定し、正念を十分にするようにしてください。私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します。しかも、師父の周りに多くの護法の神がおり、多くの佛、道、神、更に大きな生命があるので、彼らも参与してきます。なぜならば、認められていない無理やりに加えた迫害は法を犯しているからです。宇宙の旧い理もこれを許しません。理不尽な迫害は絶対だめです。このようにしたら、旧勢力も手を下すことが出来ません。つまり、皆さんはできるだけ正しく歩むということです」[4]

 ある日、私はバス停で50歳くらいの男性に法輪功の真相を伝えました。私が話しかけると彼はすぐ「あなたはなぜ、私にこのような話をしますか? 私が何をする人か分かりますか? 私が職員証を見せればあなたは怖くなるでしょう!」と言いました。「今、私が救おうとしているのはあなたの生命です。大災難が到来する時に、あなたも命を保つべきでしょう」と私は言いました。すると彼は「私は某某県で法輪功の人を捕らえる部門の責任者で、捕らえたら刑罰を下して…」と言いました。「私たちは危険を冒してあなた達に法輪功の真相を伝えていますが、何のためかご存知ですか? もっともっと多くの人を救うためです。大災難が到来する時に、命を保たせるためです。私の師父は無私無我で、すべては他人のためになるようにと私たちに要求されています。そして我々はそのようにやっています」と伝えると、彼の態度は穏やかになり、色々な質問をしてきました。私は丁寧に一つ一つ答えました。

 最後に彼は「多くの人が私に法輪功の真相を伝えたことがありますが、よく分かりませんでした。今回、やっと分かりました。三退します」と言いました。「どういう仮の名前で、三退しましょうか?」と尋ねると、彼は「仮名は要りません。本名で三退します」と言って、ポケットから警察署の職員証を差し出して、私に見せました。最後に私に感謝しました。そして、自分は息子に会いに来たと言いました。この付近の広場で自宅を購入したと言いました。しかも「不思議ですね。以前、およそ27、8人が私に法輪功の真相のことを言いましたがよく分からず、三退しませんでした。今日、あなたの話を聞いて、よく分かりました」と言って、30分くらいその警官と話しをしました。

 私の叔母さんの息子は商売をやっています。当初、彼に真相を伝えると彼は怖くなって「国が禁じています。捕まったら死ぬまで殴られます。私の車にも常に小冊子を置く人がいましたが、捕まったららひどく殴られ、さらに、吊り上げて酷く殴ります」と何回も言いました。私は毎回彼に会うと法輪功迫害の真相を伝えました。三回目に彼に会ったのは2005年の年末で、彼は我が家の私の母親に会いに来ました。私は再び、彼に真相を聞かせました。今回は少し詳しく話し、私の一言が彼の心を動かしました。「私は多くの人に迫害の真相を伝えているわけではありません。もし、3人に伝えて3人が三退したとしましょう。私ひとりの命で3人の命を救い交換することができるなら、それはとても価値があります。人は自分だけのために生きている訳ではありません」と言うと、彼は感動して「私の昔の学友があなたのような弟子をここまで教えたことは、本当に嬉しいことです。実はあなたの師父は中学校の同級生で、以前からの知り合いです」と言いました。

 後にある結婚式場で、またその叔母の息子と再び会いました。親戚と話す時に三退を勧めると、その人達は怖くなって躊躇しました。この時に彼が「私はあなたの話を信じます。私は中国共産党員ですが、三退します」と皆の前で話してくれました。彼が手本を示すと、その場の親戚たちは誰もが三退に同意してくれました。いま彼の商売はとても調子が良く、彼もすすんで他人を助けています。

 2017年の6月のある日、私は50歳あまりの男性に法輪功の真相を伝えました。初め、彼は信じようとしませんでした。私たちが江沢民と対立しているとか、焼身自殺しているとかと言いました。私は基本的な真相を伝えました。焼身自殺は中国共産党が演技したもので、嘘だと伝えました。後で彼は「あなた達のお守りは本当に効果がありますか?」と聞かれ、「それは当然です」と話しながら、カバンの中を探して見たが小冊子とお守りのカードが全部なく、ただ小さなヒョウタンだけが残っていました。私は「この小さなヒョウタンをあげます」と言うと、彼は自分は今、病気にかかっていると言いました。そこで「真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」と念ずるよう言い聞かせました。次の日、再び会いました。彼は興奮して「ほかに何かありますか? もっと頂けませんか? 法輪功は確かに効果があります」と言ってくれました。それを聞いた周りにいたお年寄り達は、毎回私に会うと「法輪功の真相資料を下さい」と言います。私の姿が見えると近寄って来て、頼んできます。

 結び

 100パーセント師を信じ、法を信じるとは、口で言うだけでなく行動にも現れます。このような試練はずっとあります。最後になって大きな試練がある可能性もあります。ただ、あなたが信じているかどうか、確固たる信念があるかどうかが問題です!!

 師父はこうおっしゃいました。「ある時期になると、功が本当に存在するのかどうか、修煉はできるものなのか、果して高い次元へ修煉していけるだろうか、佛は本当に存在しているのか、などについて、あなた自身が紛まぎらわしく思い、迷ったりすることが起きます。将来、あなたに錯覚を与えて、それらすべてが存在しておらず、みんな偽物だ、とあなたに思わせるようなことも起きるかも知れません。動揺するかどうかを試すのです」[1]

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「恐れ無し」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/7/16/389765.html)
 
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