文/中国大法弟子
【明慧日本2020年1月31日】時間が経つのは早いもので、また新しい年である2020年を迎えようとしています。2019年12月29日の午前中に、私は父と一緒に真相の書かれた対聯※(ついれん)を貼りました。新年の対聯はいつもと比べてより一層美しく、色鮮やかで縁起の良いキャラクターが描かれ、「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」という人を救う内容が直に伝わってきて、とてもおめでたい印象に残るものでした。真相の書かれた対聯は常人の物と比べると色彩も美しく、内容も格調高くてすべてが異なり、表門の前に貼り出されると多くの人が足を止めて見入り、いろいろと感想を言う人もいました。
12月30日の午前中、妻と一緒に台所で餃子を包んでいると、父は表門の前でうろうろしてから、家に入るといきなり、「お前は余計なことをして災いを招く気か! あの対聯の地色は白じゃないか! 周りの人はわしが死んだと思うじゃないか。それに、対聯の内容がストレート過ぎる。お前は死にたいのか。刑務所に行きたいのか。刑務所に入れば気が済むのか!」と私を怒鳴りつけました。
その時、私は心性を守り切れず、「あの対聯を貼っても人に迷惑をかけないし、それに、私が法輪功を煉功していることは、村の幹部から村民まで皆知っている。対聯ぐらい、いいじゃないか。お父さんは煉功していないから、恐れることはないだろう」と反論すると、父はさらに激怒して、「きっと誰かが、お前を通報するだろう……」と言いました。
父が怖がっていることは分っていました。その時、私は「父をこれ以上怒らせてはいけない。修煉者として他人のことを優先に考え、無私無我にならなければならない。他人を苦しめてはいけない」と思い、「心配しないでください。都合が悪いと思うなら、それを取り下げればいいですよ。でも、はっきり言いますが、対聯は昨日すでに一日中貼っており、多くの人が対聯を見ました。今日、突然取り下げたなら、他の人はどう思うでしょうか? もしも聞かれたら、お父さんはどう答えますか?」と尋ねました。
父は黙って何も言いませんでした。そこで私は「では、こうしましょう。今年はもうこのままにして、来年、お父さんの好きなものを貼りましょう。もし、今の対聯を取り下げたなら、きっと人に笑われるでしょう」と私は言いました。
法輪大法の修煉を始めてからすでに10年が経ち、父が怒っているのは、私が試されているのだと分かっていました。私は落ち着いて話題を変え、大法に対して父が罪を犯すようなことをさせてはいけないと思いました。こうして騒ぎは早々に収まりました。トラブルに遇った時、大法の法理で問題を解決するように教えてくださった師父に感謝いたします。
お正月が過ぎてからは、父が一人暮らしのため寂しくなるのを心配して、時間があれば父を乗せてドライブに出かけました。レストランでご飯を食べる時には父の好物を注文し、お酒も飲んでもらい、出来る限り父のために考えました。家族はとても和気あいあいでした。利己的な考えを修め、他人のために考えるように教えてくださった師父に感謝いたします。
ある日、父は「息子よ、何度も朝起きて表門の外に立ち、対聯に書かれた文字を見て、『法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい』と読んだが、そのたびに、優しい気持ちになれた」と言いました。それを聞いた私は心から嬉しく思いました。
※対聯(ついれん)とは、門の両脇などに対句を記したものを言う。中国の伝統的な建物の装飾のひとつであり、慶弔時に一時的に貼るものと、恒常的に掲示するものがある。