最後の道を歩むには、発正念こそカギである
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年2月4日】先日、ある年配の同修Aと会い、その同修Aの家族である同修が7月に不当に連行され、その後、逮捕状が出されたことを知りました。私はその同修Aに「発正念を多く行なって、中国共産党が悪事を働くのを許してはいけません」と発正念を強く促しました。思いもしなかったことにその同修Aは成すすべがないとでもいうように、「発正念は役に立つのですか、誰も発正念していないのでは? ○○さんは発正念していないのではないですか? 彼女はまだ不当に連行されていないのではないですか?」と言いました。私はその時とても驚き、その同修Aと交流したいと思いましたが、何度も繰り返し言わなければ、発正念の重要性をはっきり説明できないと感じました。さらに私の急用もあって、その場をそそくさと立ち去り、その時は別れました。

 その後、私が思い出したのは何年もの間、このように言い含めても、以前と同様に認識する同修に私が接触したのは、本当にこの年配の同修Aだけではありませんでした。ある同修は短時間発正念した後、発正念の効果が見られず、発正念を重視しなくなり、多くの場合少しやっては投げ出してしまい、さらに根気よく発正念できず、さらに中国共産党に対して、自分たちの「発正念は役に立たないものである」という考えを自分の考えの中に反映させ、そう思い込んでしまいました。この時、中国共産党はものすごく喜んだであろうし、そのような間違った認識によって騙された同修のために行なう発正念においても、心を込められず、しっかり行なうことが出来ませんでした。そうであるならば、中国共産党は大法弟子の人心によって守られた事になるのではないでしょうか?

 発正念は師父が私たちに与えてくださったもので、同時に、しっかり行なわなければならない三つのことの一つです。もし、発正念が役に立たないならば、師父が私たちに行なわせることはないでしょう。

 さまざまな同修が迫害されたのには多くの原因があり、またとても複雑です。私たちは表面上からも背後にある本当の理由の見分けがつけられませんが、理由がないということは絶対にありません。私は師父が説かれた「本当にそれほど正しく行うことができれば、どんなものも妨害することができません」[1] を思い出しました。それでは私たちがしっかり行なわなければならない三つのことの一つの発正念を、私たちはしっかり行なっていますか? 中国共産党を解体し、迫害を制止する作用を本当に起こしていますか? 「做好(しっかり行う)」と「做了(行った)」は、1文字の違いですが、しかし、その効果は天と地の差になるかもしれません!! 常人の中で、学生は勉強を努力してまじめに勉強し、試験はそれでやっと良い成績を取ることができます。農民は種をまく時にのら仕事で力を出してこそ、はじめて良い収穫ができます。多くの常人の中のことでも精いっぱい尽くして、真剣に取り組んではじめて成し遂げることができます。ましてや、私たち修煉者が行なうべき発正念のような最も厳粛な、殊勝な行為をしっかり行なわなければ、どうなるのでしょうか?

 自分と他の同修が長年歩んできた法を正す修煉の道を振り返ると、何度も出遭った厳しい魔難の中で、また、大きな圧力の前で、さらには、中国共産党が迫害して切羽詰まった時に、師父への正しい信念を持ち、師父が与えてくださった佛法神通を用い、毎回、毎回強大な正念を発し、中国共産党を解体し、迫害を溶かしてきました。そして、いかに道が困苦であっても今日(訳注:2019年11月)まで歩んで来ました。多くの実例の中で、だんだんと正念の威力を感じ、だんだんと師父と大法に対する正しい信念が満ち、だんだんと正念の作用を感じることができ、大法弟子の清らかな正念の下で、だんだんと数知れない奇跡が現れるのを体験し、見ることができました。

 以下では、自分の経験と合わせ、きちんと発正念を行なうことについての私の一つの認識について、交流したいと思います。もし不足の所があれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 一、正の要素のための強力な責任と衆生を救い済度することへの責任感がなければならない

 1.正の要素のために責任を負うという正念がなければならない

 今年(訳注:2019年)4月、周りにいる同修が「病業」の虚像によって、長期にわたって妨害されていることがわかりました。また、ある同修は家庭の魔難によって長期にわたって苦しめられ、ある同修は邪悪の情の魔と色魔によって欲しいままに迫害されていました。そこで私は心の底から「中国共産党はとても悪く、私たちの大法弟子を大法弟子ではないかのように扱い、大法弟子は神のようにふるまえなくなり、大法弟子の全体の修煉と衆生を救い済度することに対して、非常に大きな妨害作用を働き、師父が法を正すことに妨害と障碍をもたらしている」という念を出しました。私は中国共産党がもたらしたよくない物質をきちんと片付けなければなりません。

 師父は説法の中で「皆さんにこのようなことを話したことがあります。佛とはなんでしょうか。如来は真理を踏まえて意のままに来ており、それは世間の人が名付けた呼称です。しかし正真正銘の佛は宇宙の保護者であり、宇宙の全ての正の要素に責任を負うのです」[2] と私たちに説かれました。私は心の中から「宇宙の中のすべての正の要素のために責任を負う」という念を生み出しました。

 同修と大法弟子が救い済度するのを待っている衆生は、みな宇宙の中の正の要素であると私は思います。私は「大法弟子の一時的な態度がどうであれ、大法弟子の本質は正の要素であり、大法弟子が各層の宇宙の代表であるため、師に従って世に下り、師を手伝い法を正し、衆生を救い済度し、真・善・忍に同化し、返本帰真する生命なのだ」と認識しました。ただ長い輪廻転生の中で、旧勢力によって多くのとてもよくない執着と人心が強化され、世の中に迷いますが、本質的には必ず非常にとても良い生命であり、大法弟子の来世の初心はきっと自分をしっかり修め、師が法を正すことをお手伝いし、衆生を救い済度したいと思っており、このような生命が正の要素なのです。

 

 人々と衆生はほとんどが大胆にも、法を正すことが必ず成就するという信念を抱いて世間に降りて来ています。そして、大法が救い済度するのを待っている生命であり、ただ人の世の常人社会の名、利、情に迷い込み、来世の宿願と期待を忘れています。しかし、その者たちの生命の本質もとても貴重であり、このような生命も宇宙の中の正の要素であり、大法弟子がその者たちを呼び覚まさなければなりません。

 ですから、大法弟子は宇宙の中のすべての正の要素のために責任を負うべきであり、大法と大法弟子を迫害し、人々と衆生を壊滅するすべての邪悪を徹底的に解体し、これらの宇宙のゴミを根絶すべきである、と私は思います。旧勢力そのものを含め、すべての邪悪が宇宙のゴミであると私は思います。心の底からこの念を発した時、体全体がすぐに強いエネルギーによって包まれ、立てていた掌がエネルギーによって持ち上げられ、主意識は非常にはっきりした状態にあり、師父の慈悲なる加持を私は強く感じました。個人的に感じたのは私のこの一念が法の私に対する要求に符合し、法の力が私の体に現れたのだ、ということです。

 発正念の過程で「一路法を正して天の蓋を切り開き 不正にしてかつ負なるもの全てを淘汰す 蒼天が変ぜんと欲して誰敢えて阻む 乾坤再造して永久に敗られず」[3] 、「風雨雷電を撃破し、九霄(しょう)に上る 極めて強い威力を持ち、天よりも高い 蒼穹を一掃し、尽きることがなく 腐敗した者と異物を、一斉に消滅させる」[4] 、その「宇宙の全ての邪悪を粉砕することができるという唯我独尊の勢いがなければなりません」[5] という師父の法がすぐに私の頭の中に反映されました。

 2.衆生を救い済度する強い責任感がなければならない

 師父は「法徒は魔難を受け 毀されるのは衆生」[6] と私たちに説かれました。私に強い責任感が生まれたことを私は何度も切実に体験しました。本当に宇宙の衆生のことを思い、中国共産党の存在を許さず、大法弟子が迫害されるべきではない時、すぐに入静した状態に入ることができ、この時に発する正念はとても強く、本当に山を切り分け、さらに長い時間発してもいつも疲れを感じることなく、かえって正念を発した後は体が軽くなります。発正念の過程で師父が灌頂し、加持してくださるのを何度もはっきりと感じ、全身が発熱し、エネルギー場が特に強くなりました。私は「私たちが発正念している時、もし責任感を本当に生み出したなら、実際には真念の発正念となり、その効果は『型どおりの発正念』や『仕事を終わらせる』という心理の下での発正念とは、全く違う」ということを体験しました。

 二、発正念の基点と気持ちは正確でなければならない

 私たちが発正念する時に慈悲深く、平和的であるべきで、人の恨みなどの人心はなく、私たちが修煉するのは真・善・忍であり、私たちに恨みはなく、この迫害が人の人に対する迫害ではない、ということを私たちはわかっていなければなりません。そして、他の空間の邪悪生命による大法弟子と人々に対する迫害であることがわかれば、私たちははじめて常人の道理のこの層に陥ることはなくなり、情や恨みに動かされず、気持ちを穏やかにし、理知がはっきりとしてはじめて神の状態であり、佛法神通を引き出すことができるのです。

 先日私たちのところで同修2人に逮捕状が出され、私は心がつらくなり、情の中に陥り、発正念の時に始めても正念を発することができず、疲れ、つらかったのです。その後「世を救う法徒を迫害するのは無量の罪 もし迫害されるものが本当の神ならどうするのか 嘘を信じる者こそ被害者になる 大法徒はどんなに苦しくても、神への道を歩んでいる」[7] という師父の法が私の頭の中に入ってきました。私はすぐに目が覚め、正念がすぐ出てきました。ですから、私たちは法に則って本当に理解しなければならず、それではじめて人の思惟の中に限られることはなく、人の中から飛び出すことができ、本当に正念を発することができるのです。もちろん、人に対するこの慈悲は他の空間で大法を破壊し、大法弟子を迫害し、人々と衆生を破壊する邪悪生命に対して、躊躇なく徹底的に排除し、決してうやむやにしませんが、気持ちは始終静かなのです。

 三、発正念は根気よくしなければならず、さらに、態度はきちんとしていなければならない

 学法し着実に自分を修め、しっかり発正念し、しっかり真相を伝える、という「三つのこと」をしっかり行なうように、師父は私たちにお伝えになりました。発正念が三つのことの一つである以上、それは非常に重視しなければなりません。さらに、他の二つのことと同じように、根気よくしっかりと行なわなければなりません。いつもしっかり行なわなければならず、質と回数も保証しなければなりません。全世界の大法弟子は毎日4回、正時に発正念し、堅持してしっかり行なわなければなりません。他には自分の状況によって他の二つのことに影響しないのと同時に、さらに事情を斟酌(しんしゃく:あれこれ見計らって手加減すること)して按排し、発正念の回数と時間を増やします。自分の空間場が整理され、きれいになればなるほど妨害が小さくなり、それではじめて、三つのことがさらにしっかり行なえます。

 何年もの間、多くの地方で迫害がひどいのを見て、実際に発正念の作用が起きておらず、さらに本当に重視し、さらに根気よくしっかりと正念を発する大法弟子はとても少ないのです。多くの同修がいつも全世界の4回の正時をみな保証しがたく、さらに適度に、他の時間を増やすなどは言うまでもありません。そしてさらに、発正念の時間が少なく、質も高くなく、いつもぼうっとしているか、あるいはあっさりと寝てしまい、自分の空間場の邪悪が長期にわたってきれいに取り除かれていません。積もれば積もるほど、最終的に迫害され、あるいは身体上の魔難が起きるのです。私たちは「質も回数も保証できず、しっかり発正念できないのは、最も主要な原因は『発しても影響がない』などの観念による妨害と、心の底から重視していないことで引き起こされているのだ」ということを見ています。

 その他に、発正念をする時は必ず改まった態度で、しかも、姿勢にも注意しなければなりません。私のそばにいる1人の同修は、長期にわたって発正念の際にぼんやりしていて、同修はこれを悩んでいますが、発正念する時に同修が柔らかいソファーに座りたがるのを私は見ています。地面に座る時はベッドの端に寄りかかるか、あるいは敷き物でいつも腰が曲がっており、結印の時にも結印が丸くならず、片手を立てているか、あるいは大蓮華手印の時にひじの部分をいつも足に乗せています。私は明慧交流文章の啓発を受け「発正念の時、腰をまっすぐ正して首をまっすぐに立て、両足を組んで敷き物の上に姿勢正しく座り、何かに寄りかからず、結印の時の両手は『楕円のような形を作って』[8] 、片手を立てるか、あるいは大蓮華手印の時は、ひじの部分は空中に浮かせて・・・」と同修にアドバイスしました。同修はアドバイスを受け入れて試してみると、結印の時すぐに強いエネルギーを感じ、頭がはっきりし、長時間発正念してぼんやりした状態がすぐ消失しました。発正念のポーズは実際に態度にも反映しました。態度を改めないと、妨害も大きくなります。このことは私たちも重視すべきであると私は思います。

 発正念のポーズは『精進要旨二』「正念を発する時の二種類の手印」に師父の写真が2枚あり、ポーズが不正確な同修はよく見て、参考にするよう希望します。

 四、発正念が日常のあらゆる面を貫くことを重視する

 私たちのところの年配の同修2人は、長年外で真相を伝え続けており、同修2人はうまく協力し、1人が真相を伝えるか資料を配り、もう1人がそばで発正念し、黙々と協力し、尊いのです。同修2人が通りで真相を伝えているのに私はいつも出会います。年配の同修2人は長期的な試練を経て、衆生を救い済度する上で本当に自我を放下でき、互いに協力し、互いに補い合っているのです。しっかりと正念を発し、しっかりと真相を伝え、しっかりと法を学びます。こうすれば、何事も比較的に順調にいき、比較的に安全になります。

 ある時資料を配っていて、ある年配の同修が警察署に不当に連行されて行きました。もう1人の年配の同修は絶えず発正念をし、師父にご加持をお願いしました。警官たちに無条件に同修を解放するよう要求し、その結果30分経過後、不当に連行されたその同修は解放されました。

 実際に発正念した同修は、さまざまな状況や環境下で発正念を思い出すことができ、多くの同修が毎日真相を伝えに出かける前に、行かなければならない場所を正念でその場を清めます。同修の家に行っても発正念をし、必ずしなければならないことの前にも正念で場を清めます。集団学法の前にも正念でその場を清めます。そして、中国のこのようなひどい邪悪の環境の中では、幸運を求める心が少しも存在しない状態下で、中国共産党にスキを突く機会を少しも与えませんでした。このような同修はずっと正念正行と注意安全が結び付き、正念と注意安全が対立しないので、何年もの間ずっと着実に、師が法を正すことをお手伝いする道をしっかりと歩んでいます。

 師父は説法の中で「皆さんに教えますが、現在も残っていて大法と大法弟子を迫害することのできるものは学習者自身の原因です。正念を発することを重視していない学習者、あなたたち自身が受け持つべき、責任を持つべき空間にある邪悪がまだ根絶されていないという原因です。ですから、皆さんは正念を発することをくれぐれも重視してください。自分に能力があると思っているかどうかに関わらず、正念を発するべきです」[9] と私たちに説かれています。

 法を正すことがすでに終わりに近づいており、最後になればなるほど、中国共産党は狂ったような態度を表し、大法弟子と衆生を命がけで陥れようとしますが、師父が私たちに佛法神通を与えられ、私たちには邪悪を除去し、悪を行なう邪悪を制止する能力が備わっているのです。ただ、これらの佛法神通を使うつもりがあるのかどうか、発正念を重視するつもりがあるのかどうかにかかっているのです!

 私たちは「最後の道を歩むには、しっかり発正念をすることがカギである」ということを体験し、会得しました。同修の皆さん、より多くの衆生を救うためにも、私たちの全体の受ける損失を少なくするためにも、私たちが法を正す時期の大法弟子としての責任に耐えるためにも、発正念の重要性を心の底から認識し、ともにしっかりと発正念をいたしましょう!!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『導航』「米国西部法会での説法」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「法を正す」
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「正念」
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「正念」
 [6] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「世々生々は此の一生のため」
 [7] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「希望はまだある」
 [8] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「二、動作図解」
 [9] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「米国フロリダ州法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/30/396452.html)
 
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