筆を執って 大法の素晴らしさを実証しよう
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年4月21日】

 同修の皆さん こんにちは。

 年月が瞬く間に過ぎて行き、明慧編集部の『2020年世界法輪大法デーの原稿募集のお知らせ』の締め切りにますます近づいてきました。周りの多くの同修は「なかなか書けない」という観念に妨げられ、原稿を未だに書いていないようです。ここでは、自らの経験と体得を書き出し、まだ筆を執っていない同修達を励ます「呼び水」となって、皆さんと共に、今回の答案用紙を提出して行きたいと思います。

 3月5日付けの明慧編集部の原稿募集のお知らせを始めて見た時、「このような機会はもう多くないだろう。書くべきだ。今すぐ書こう」と思いました。しかし、最初に完成した文章はあまり気に入りませんでした。書き直そうと思いましたが、「うまく行くのかしらん」と迷いました。

 葛藤する中、「どうして書くのだろうか? 仕事のために仕事をするのか?」と自問をしました。答えは「そうではない」でした。「じゃ、発表するために書くのだろうか?」、「いいえ、発表できるかどうかを決して求めてはいけない」と思いました。その時、「参加する目的は、師父に感謝し、着実に修める実例を持って大法の素晴らしさを実証するものだ」との一念が脳裏に浮かびました。

 この考えに沿って書けば、アイデアがどんどん出て来ました。師父からご加護を頂いたこと、着実に修める中で起きた奇跡など、その実例が一つ、また一つと頭に浮かんできました。すると、キーボードを打つ手も止まりません。私はもうすぐ70歳になりますが入力するのが遅く、お昼ご飯の時間になっても、夕飯の時間になっても書き終わりませんでした。

 夜11時まで書き続きました。師父のご加護の下で、魔難を乗り越えた神の奇跡を文章にまとめました。翌日の昼頃に文章はほぼ完成し、その後、さらに何度も書き直しをして、ようやく、「師父に感謝し、着実に修める実例を持って、大法の超常さと素晴らしさを実証する」という、私が定めた目標を達成しました。

 最初、私は文章の完璧さを追求し、自分の力をうまく発揮できず、書いた文章には中身がなく、説得力もありませんでした。その後、着実に修める実例を持って大法の素晴らしさを実証する、という内容に変更してから、文章がすらすらと書けました。師父のご加持に感謝いたします。

 60代の同修Aさんのことを思い出しました。Aさんは小学校に数年しか通っておらず、ピン音もほとんど忘れてしまい、文章をとても書けませんでした。しかし、『師のご恩を思い起こす』という交流文章から、師父が弟子に「書けばいいですよ」と励ましてくださったことを知り、Aさんは師父のおっしゃる通りに行ないました。それからというもの、Aさんは明慧ネットの原稿募集に欠かさず投稿しました。Aさんは自分の体験を書き出し、同修に入力してもらい、そして、明慧に送信してもらいました。Aさんが書いた「再び修煉の道を歩む」という交流文章は明慧ネットで掲載されたのです。「私の交流文章が掲載されたとは、とても信じられません」とAさんは言いました。

 同修の皆さん、自分の修煉に悔いを残さないように、法を正す進展について行くようにしましょう! この機縁を大切にし、筆を執って、私達が修煉の道で着実に修めた実例を書き出し、大法の素晴らしさと超常さを実証しましょう。

 手を携えて、みな共に前進して行きましょう。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/5/403385.html)
 
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