文/ 中国の大法弟子
【明慧日本2020年7月6日】『劉伯温碑記』に刻まれた予言によると、末世の時期に大疫病が流行するという。今まさにその予言が現実になり、予言では疫病の中で「貧者は1万人に千人が生き残り、富者は1万人に生き残れるのは2、3人である」と述べられています。なぜ劉伯温氏は富者が劫難を乗り越えるのは難しいと警告したのでしょうか?
実は常人のみならず、金があって裕福な大法弟子は精進する修煉者が少なく、長期にわたり無形の障害を突破していません。学法においても自分を指導する法理を悟ることができず、甚だしきにいたっては邪に悟り、誓約を果たさず岐路で彷徨っているのです。
以下の内容は同修と交流したいとまとめたので、不適切な認識があれば、同修の指摘をお願いします。
一、富者は金銭のために生き 心が惑い違約する
特異効能を持つ某氏が自分の次元で見たことは、今日の世界で最も裕福な某富豪は古代ローマのコンスタンティヌス皇帝の生まれ変わりです。いかなる生命であれ今生は重大な使命を持っているため、歴史上に輝かしい人生を賦与されました。かつて徳を多く積んだ人は今生の財に変えられ、今生の使命を果たすための基礎を作りました。
師父は「大法弟子だけがこの世に来るために師父と約束を交わしたのではありません。全てのこの世に来た人、生命、天上から降りた神はみな、私と約束があったのです。宇宙はあまりにも大きく、生命も非常に多いので、小さい地球に多くの生命を収容できません。選ばれたのはかつて私が法を正し、衆生を救い済度することを手伝うと誓った衆生で、このような衆生だけが地球に生まれることができます。ただ、私はあらかじめ歴史上、大法弟子が具体的にこのことを行なうよう按排したのです。しかし、法を広めることや、人から人へと法を伝えることに関して、全ての人にその責任があります」[1]と説かれました。さらに、「世の人々、多くの大手会社の社長は、皆さんに教えますが、前世のときお金を儲けて大法のために使うと願いを立てたのです。今は迷ってしまい、大法のために使っていないだけでなく、邪悪にお金を費やしました」[2]とおっしゃいました。
私達の理解では官職に就いた人も同じで、この世界の一人一人が異なった膨大な天体に対応しています。今の名声と富と地位は、自分がこの位置で大法を手助けすると願いを立てたために、この位置を得たのです。しかし中共が大法を迫害し始め、正信が弾圧されている時、正の作用を果たす者は迷い、負の作用の生命はもっと迷ってしまいました。
名誉と富は過去世に徳を積んだため賜ったもので、数十年の享受で使い果たしてしまいます。使命を侮辱すれば、誓約の中で罰せられることに決まっています。
個人から国まで全部そうなのです。米国の富強は偶然ではなく、世界の警察になるのも歴史に賦与された責任なのです。そして末劫の時期に中共が大法を迫害し、人類が疫病の大劫難で消滅される時、米国は中共を封じ込めなければなりません。米国はなぜ感染症が酷いのでしょうか? それは誓約を果たしていないからです。米国は30年以上にわたり、あらゆる優遇策と巨額の貿易黒字で中国共産党(以下、中共)を太らせてきたものの、中共の正信に対する迫害の抑制はあまりにもできていません。信仰の自由に対する擁護も長い間表向きの演技だけだったのです。2019年朝鮮労働党(共産党)が法輪功への迫害を始めましたが、欧米の政府はこのことに対して一言も言っていません。誓約を厳しく違約したことは、人間は知らないのですが、しかし神はしっかりと見ています。
二、違約すれば修めるのは難しく 富者は誓約を忘れている
師父は、「大法弟子は一人も漏らさず、もし今日、大法弟子にならなければ、あなたは世界で有数の大富豪になり、お金がいくらでもあります。あなたが大法弟子にならなければ、あなたの威徳、あなたが持っている巨大な徳は多くの富と交換できるのです。すべての弟子がそうです。あなたが明確に大法弟子になりたいと思ったとき、財産を放棄し、大法弟子になると決め、これらのものを放棄したのです」[3]とおっしゃいました。
私達が理解した内包では、大法弟子は普遍的に裕福ではありません。しかし金持の同修もいて、彼らは特例であり、特例には特別な使命があります。
確かに大部分の同修者は、当初、高い次元で「世に下り法を得て、師に手伝い法を正す」と誓約しましたが、裕福な環境の中で修煉することを拒みました。なぜならば、金があればあるほど放下できなくなり、貧しければ精進できるからです。しかし、富裕層も空白になってはならず、未来の修煉の路を切り開かなければならず、そのため、ある神々は困難を知っていても、自分はこの世に迷うことはないと信じ、富裕層の中で修煉することを選びました。しかし、多くはこの世に迷い、金銭に埋没して自ら抜け出すことができなくなりました。
昨今の人を救うプロジェクトについて、師父は「大法弟子として、お金があればお金を出し、力があれば力を出すべきです」[4]とおっしゃいました。
一部の裕福で金がある同修は、かえって行なう事が少ないのです。生活のレベルを維持するためには金がいくらあっても足りず、たまに大法に貢献して自分は大法の要求で行なったと見せつけるのは、一種のショーにすぎず、天上から人間まで皆が見ています。
甚だしきに至っては何百万、何千万元の資産を、修煉していない子供たちに分け与えて、自分は金銭に対する執着心を放下したと言い、常人でさえできることを自分の修煉環境と見なしているのです。大法の貴重な資源はやっとの思いで一カ所に集められ、このように常人の名・利・情に迷い使命を忘れてしまいました。他の事においていくら頑張っても認められず、この金銭において約束を守らなかったため、旧勢力に乗じられやすく、修煉に大きな難をもたらしてしまいます。
法理の中ではすでに「今日、この肝心な歴史的な時期に1円のお金、わずかなお金でも一人の修煉者の境地、心の持ちよう、執着を反映し、圓満成就できるかどうかを決めています」[3]と説かれています。
精進している多くの同修は一円でも節約して真相資料を作り人を救うプロジェクトに貢献しています。苦を嘗め人を救うことは威徳を積み、宇宙の衆生は感嘆して敬服しています。裕福で金を持っていてもかえって精進をしない同修はどうしますか? 金銭についての違約をしただけですでに神々から軽蔑され、未来の佛・道・神・主を成就させる威徳があるのでしょうか? あなたを軽蔑する神々にあなたを未来の宇宙の局所の主とさせるのですか?
師父は「常人社会で仕事をしながら修煉しますので、金がいくらあっても構いませんが、ただ金に執着する心を捨てないといけません。金の煉瓦で家を建てても、頭に何も思わず、重くみていません。常人の中で修煉しているので、どんな仕事をする人もいます。商売をすればお金を稼ぎますが、何も思わなければ何の差し支えもありません。それを大事にみていなければ、それがあってもなくても同じだと思っていれば、あなたはこの関を乗り越えたことになります」[5]とおっしゃいました。
一般の裕福な家庭の同修は、師父のこの説法をよく理解できていないうえ、裕福な生活を享受していて、自分は金銭や物欲を放下したと言っています。ほんとうに放下したのでしょうか? 自分の衣食住のレベルを少しでも下げると耐えられなくなり、法の中で説かれたように「それがあってもなくても同じだと思っていれば」[5]になっていないのです。物がなければとても辛く、手を尽くして裕福な生活レベルに戻して、はじめて辛さをなくして心を放下するのです。これは自分を欺いた偽の放下なのです。
法に照らして修煉していないために、学法する際は法理が得られないように妨害され、読めば読むほど法理を理解できないのに、自分の次元は昇華したと思っています。金銭以外においてどんなに積極的に頑張っても、不足を補うことはできません。そして自己を実証する中に陥るのです。
もちろん、金を持っていても精進する同修もいて、大法のプロジェクトの中で責任を果たして資金の好循環をもたらしています。その人の商売は外在的な要因に影響されることなく、ますます良くなり長く続いているのです。
予言では末世の大疫病の中で、「『貧者は1万人に千人が生き残り、富者は1万人に生き残れるのは2、3人である』となっています。その警告はまさに今の感染症であり、多くの大富豪は誓約に違約し、さらに多くの富者は金銭に迷い、真相を受け入れず救われないのです。法を得ても精進せず、修煉の誓約に違約しているのです・・・。
違約の教訓は目の前に来ています。修煉の路で転んだところから立ち上がり、漏れがあればそれを補いましょう。師父はチャンスを与えてくださいます。このことを認識できず執着を持って放さない修煉者は、チャンスを与えられても以前のように失い、痛恨な後悔となって後世の教訓になるしかありません!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
[3] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
[5] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」